第107話

「昔もルカヱル様が来たか…?」セタの質問を復唱したアイランは首を傾げる。「き、来たはずですけど……。じっちゃんも、箒に乗った魔女様が島に訪れたことは言い伝えられて来たと言ってたので」

、という伝承なんですね? 風の噂で、ルカヱル様と箒のことを聞いたんじゃなくて」

「――そう聞きました」

 アイランは頬を掻く。「その時の魔女様がルカヱルと名乗っていたって話です。だから、あのルカヱル様なんですよね?」

「……ええ、確かにそうですね……そうなるはずです……」

 セタの中で、何かが気になった。

 指のささくれのように小さく、されど、決して見逃せない違和感が――。

(ルカヱル様が本当に来てたのか? デルアリアの調査の時の様子じゃ、まるで一度も来たことが無いような気配だったのに? 俺の気のせいか……?)


 “ルカヱル”様!? えっ、あの魔女の……!

 本当に?

 うん、本当よ

 私はルカヱル

 こんな遠い島でも知られていて、うれしいよ


(いや、もしルカヱル様が一度でも此処に来てたなら、あの時のやり取りは少し変だ。あの時のルカヱル様はまるで、この島の住人に……アイランに認知されてることを、意外に感じてる様子だった)


 ま、魔女様の箒!? 

 へえぇ、ほんとうに箒で飛ぶんだぁ

 じっちゃんの話しとった通りだぁ……


(アイランもアイランで、魔女と箒のことを最初から結びつけて知っているみたいだったし、それもフジイさんから伝え聞いたように言っていた。箒で空を飛ぶ魔女なんて、世界でもルカヱル様だけど……)

 セタはこれまで会ってきた魔女達のことを思い返したが、誰一人、箒で空を飛んだりはしていない。そもそも考えてみれば変わった話だ。飛ぶ魔法の道具として、箒が使われるなど。

(いや、でもアイランさんに聞いても仕方ないか。この件は、実際にルカヱル様本人に聞けばいい話だし……)

 セタは質問した結果を想像した――『竜図鑑プロジェクトが始まるよりも以前に、この島に箒で来たことがあるか?』と。

 ルカヱルが“はい”と答えれば、セタの抱いた違和感は只の勘違いに過ぎないものとして終わる。

 だが、ルカヱルが“いいえ”と答えれば。

 もし、“いいえ”と答えれば。

(もしルカヱル様じゃないなら、この島に箒で来た魔女は誰なんだ? なんでルカヱル様の名前が島に残ったんだ?)

 セタは自身の中で増大する違和感を払しょくできずにいた。

 頭の中で、正確に刻まれた記憶の奔流と共に、違和感はどんどんと渦巻いていく――



 ウルが関係するんですか?

 うん

 ……インクレスも?

 うん

 一応、アトランティスもね


 ドクター・ウルは、貴方?

 “いいえ”――主の望む答えだろう、ルカヱル 

 では、ごきげんよう


 アトラス海

 昔、アヴァロンから西に広がる海は

 そう呼ばれてたことがあったの


 その海流には一つ間違いがあり――

 ジパングの遠い沖合にある離島の付近です

 その流れが、予想図と実地計測では全く異なっていました

 あれさえ正しければウルの名も有名になったかもしれませんね


 いや、今日は大人しい

 もし海流が逆転していたら、海面に独特な波紋ができるもんなのですが

 竜の機嫌が良いのかもしれないですな


 じゃあ今度は

 あたしの代が後世に伝えないといけないってことだぁ……


 私ね、インクレスの最初の伝承者は魔女なんじゃないかって、思ってるの


 儂の活動範囲は長らくメガラニカと近海のみじゃからな

 お主や他の魔女と違って海を渡る長距離移動に時間がかかるからのう

 いいなあ

 私もメガラニカの外を冒険してみたいです

 ねえ、ミィココ先生。ねえ

 ヲルタオには、特別な目的は無かったかな。私が“どうせなら遠くに行って見たい”って言ったら――扉の魔法を使ってジパングに連れて行ってくれただけだから。

 17だ

 アーニア様の年齢。つまりアーニア様にとって、これは“勉強”の側面がある

 これは魔女修行だな

 それにヲルタオの魔法センスは天性のものだが、マナの感度はまだまだ磨くところがある

 暇なら、奴にマナの見方を手ほどきしてやれ

 メフィーの魔法の一つだね。樹の魔法

 自分が撒いた種から育った樹木や草花の感覚を、いっとき借りる。それがどれだけ離れててもね

 ミィココ様の魔法、面白いですね。空をスキップしてるみたいです

 箒で飛んでおるお主に言われたくないがな

 儂にその魔法は使えんからのう


 スキップで空跳ぶのも、どうかと思うけどね

 

 それに私だって元々箒を使えたわけじゃないよ

 教えてもらった魔法だから


 箒の魔法ね



 ノアルウに教えてもらったの



「あっ?」

 とある会話の記憶が頭をよぎった時、セタは声をあげた。

「せ、セタさん? も、もしかして私、なにか怒らせちゃいましたかね……?」

「いえ! そうではないです。ただ――少し驚いただけで」

「……? ルカヱル様が、この島に来てたことにですか?」

「そうではなく――ルカヱル様が、この島に来てなかったかもしれないと思ったからです」

「ええ? 来てなかった? って、どういうことです?」

 アイランは混乱していたが、セタは一人、確信に近いものを心の中で抱いていた。

 ルカヱルが敢えてこの島に戻って来た理由――「答え合わせ」したかったものがなんだったのか、セタは記憶をヒントに思い至ったのである。

(この島でルカヱル様が探してるのは、インクレスの痕跡だけじゃなかったんだ――ノアルウ様の痕跡なんだ)

 そう考えると、答え合わせの真意も理解しやすい。

(じゃあ、この島に最初に来た箒の魔女は、ノアルウ様なのか……? でも、アトランティスが崩壊したときから消息不明だったのに、あり得るのか?)

 しかし、おそらくルカヱル本人は、以前この島に来た時のアイランとのやり取りで既に違和感を感じていたのだろう、とセタは考えた。

 そのうえで、この島にノアルウ本人が来ていたという確信を得たとすれば――この島とウルと関連する、と言っていたルカヱルの発言をセタは思い出す。インクレスと海流の研究をしたという変わった研究者である。

 それに加えて、魔女である可能性が高いインクレスの最初の伝承者のことが頭をよぎる。

(そうか、そうだ――ウルの論文も、インクレスの伝承者も、この島の魔女の噂も、つまり全部ノアルウ様の痕跡かもしれないってことか)

 かつての‟ウル”が、海流とインクレスの双方の研究において、的を得た鋭い考察を残していたことは偶然ではない――それらの関連を最初から知っているインクレスの伝承者本人が、時間を経た後で改めて論文として書き残したとすれば、的を得て当たり前なのだ。

 空気の魔法の使い手だったノアルウからすれば、気流の流れを読むなど容易い事だろう。その結果こそがウルの海流予想図であり――しかしながら、その海流予想に誤りがあったと、過去のアヴァロンで報告されたのである。

(その報告でインクレスの位置を検知したのか? だから、この島に来た……?)

 この島の付近で波紋が現れたのは、アイランの祖父の祖父の代――100年以上前だった。ウルの論文が、ヲルタオが技科学院工房で成果を出すより早く存在していたことを考えれば、時系列に大きな食い違いはなかった。

(ルカヱル様が、メフィー様に聞いたあの質問はそういう意図か。ドクター・ウルのような論文を書けるとしたら、メフィー様かノアルウ様か、そのどっちか――ルカヱル様はそう考えてたんだ)

 “主の望む答えだろう、ルカヱル”

(メフィー様がああ言ったのも、ルカヱル様の考えを汲んでのことだったのかも。でも、なんでノアルウ様は、姿も名前も隠してるんだ……?)

 島に残っている魔女の伝承によれば、箒の魔女は‟ルカヱル”を名乗ったというのだ。ウルという名義も偽名である。

 そのうえ、ノアルウの魔女としての動きはヲルタオにも悟られていなかった。今は完全に身をやつし、隠れて生きているようだった。

 なおかつ、その行動原理はインクレスのことを遠巻きに警告し続けるものだった。

(ノアルウ様の行動に目的があるとすれば、きっとインクレスだ――でも、各地で自分の名前を名乗らなかったのはなんでだ? 魔女を名乗った方が、警告も納得してもらえるはずなのに。魔女を名乗れない理由があるとか? それってなんだ……?)

 セタは視線をアイランに向けた。彼女は驚いた様子で、すっと背筋を伸ばした。

「アイランさん」

「は、はいっ。な、なんでしょう?」

「箒の魔女の伝承について、なんでも良いです。この島に記録はないですか? ルカヱル様が戻るまで、少し調べたくて」




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