第105話
(先生が……恐がってる……??)
アルマはしばらく、ミィココの表情に釘付けになった。ミィココのほうは、どこか余裕を失った様子で目を瞬き、顎を引いて、じっとミレゾナの動向を見つめていた。
その様相は、天敵に見つからないように祈り、過ぎ去るのを待つようだった――やがて、ミレゾナは這いずり、小石が転がり落ちていった方へと移動を始めた。
空洞の中に静寂が戻る。は……、とごく短い息を漏らしたのはミィココだった。
「せんせ……」
“戻るぞ”
と、頭の中に声が響き、アルマは声を掛けるのを止めて来た道を辿る方へ引き返していく。
トンネルの中に入り、ミレゾナの牙の光が失われるくらいの辺りでアルマが再びランタンに光を灯した。振り返ると、変身を解いたミィココが立ち尽くし、表情を固くして地面を見つめていた。
「ミィココ先生? あの、どうかしましたか……?」
「どうか、とはなんじゃ」
「いえ、なんだか元気が無いような気がしただけです」
アルマに言われて、ミィココは深く息を吸い、歩きながら、言葉を探しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……やつの鳴き声がのう」
「え? ああ、さっきの高い声ですか。それがどうかしましたか?」
「記憶じゃ。ただの記憶というより、トラウマ、というべきかもしれんが」
「……トラウマ。み、ミィココ先生に。」
アルマは信じられず、平坦な口調で繰り返す。「あの鳴き声に、何か覚えが……?」
「‟砕けたパンゲア”の話は知っておるか?」
「ええ、もちろん。私、冒険家ですし」
「儂が生まれたばかりのころ、世界には大きな一つの大陸があった。パンゲアというのは、その大陸の伝承名じゃ。じゃが……いつしか巨大な厄災が起き、大地が砕け、裂け、ゆり動き――やがて今のメガラニカ、ムー、レムリアに別れた」
「元は一つの大陸だった――この説は、世界地図を見たら何となく分かるんですよね。3つの大陸の輪郭同士の形状が、上手く噛みあうようになってるんです。対してジパングとアヴァロンのような群島地帯もありますが、これは火山活動で隆起してできたと考えられてます」
「細かい学説やら検証のことは、この際、置いておくがのう。少なくとも儂は、あの厄災を体験した。かつてのパンゲアの中心、今でいうレムリアに当たる場所でな」
「……なら、砕けたパンゲアは学説でも伝説でもなくて」
「ただの歴史、儂にとってはただの記憶じゃ。だが――紙もないほど古い時代のこと。そのことを覚えておられるものは、もう魔女と星くらいものじゃな」
ミィココは、洞窟の天井を見上げて、一呼吸を置いた。
「儂は聞いたんじゃ、それを思い出した。あの厄災の日に、全てが砕け、瀕死に至るほどの傷を負ったあの瞬間――聞こえたんじゃ。さっきのに似た音が、天に響き渡ったのを」
"QRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAWWW!!!!!!!!!!!!!!!!!!"
「……!!」
アルマは息を呑みつつ、静かに話に耳を傾けた。ミィココは続ける。
「あまりの音に、とても生物の声だとは思わなかった。それに死にかけておったからな……。運よく後にメフィーに救出されたものの、メフィーも竜の本体は見ていないそうじゃが」
「単なる偶然ですか? ミレゾナの鳴き声が、先生の記憶の音と似ているのは」
「そう断じても良いが――ふむ。メフィーにも聞いてみるか。奴はあの厄災を遠くから観測していた。だからこそ奴は無傷で済み、そして儂を救出できたと言っていた……。儂の知らんことも、見ていたかもしれん」
ミィココは振り返り、アルマを見る。アルマは自然と背をただした。
「碧翠審院に報告をしたら一度、レムリアにでも行こうかのう。アルマ、お主も来るか? ミレゾナに関する証人として」
「え、レムリアに!?」
外の大陸を渡る、という提案に、アルマは目を光らせて、すぐに頷いた。
「はい!はい! 喜んで!」
――こうして結局、二人は碧翠審院に報告に行った後で例の通達の内容を知ることになった。
「はっ……。向こうからも呼んでおるとは、奇遇じゃな。なら、行かぬ理由はない」
ミィココはそう言うと、翌日には役所が用意した船に乗り込み、アルマと共にレムリアへと向かったそうだ。
*
一方、通達から翌日のジパングでは、ヒシカリ地方の調査を終えて大役所に魔女アーニアとレゴリィが戻って来たところだった。
彼らにとっては異邦の地であるジパングで最初の竜の調査を終え、疲れているところだったが、ルカヱルの残した図鑑の情報、セタの残した竜の絵もあって、思いのほか調査は順調に進んだのだった。
そのころ、トーエも時を同じくして、アヴァロンから帰還し、図鑑プロジェクトの窓口として復帰したところだった。
「魔女アーニア様。そして、レゴリィ様ですね。エダの大役所のトーエと申します。今後ともよろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
トーエとレゴリィが挨拶を交わす中、アーニアは人見知りの子供がそうするように、少し身を退いてトーエを見つめていた。
「アーニア様も、よくお越しくださいました」
「……別に。僕にそんな気を遣わなくても良いからな」
トーエは目を丸くしたが、実はもともと、“北の魔女アーニアはこういう性格だ”という事前の情報を得ていたため、
「ははっ、そうですか。それでは挨拶はそこそこに、ぜひ本題からお話しましょう」
と、前向きに応じた。
レゴリィは書類を二部、トーエに渡す。
「こちらを。一つは、先に役所からお借りしていたルカヱル様、セタ様が記した図鑑の記録です。こちらが、我々が再度観測して得た、“フルミーネ”の情報です」
「そうですか。これはご丁寧にどうも」
トーエは書類を二部受け取る――。一方はセタたちの作製した文書の写しなので、見覚えがあった。美しい黄金の竜のスケッチである。一方で、レゴリィたちが新たに作った文書にも目を通す。
レゴリィのスケッチは、クロッキーの出来に近い。ただ、セタの絵と見比べて照合しても、必要最小限の特徴の情報が担保されている、と分かるものだった。デザイン、絵コンテ、そういったものにも見える。
一方、アーニアが作成したらしきキャプションにも目を通す。色や大きさなど、ごく端的な情報が記されていた。
「色は金、全長20メートルくらい……。そして鳴き声は甲高い……」
トーエは鳴き声の情報が書いてあることに少し感心した。思い返せば、ルカヱルの図鑑には声、あるいは音の情報がほとんどなかったのである。
もちろん、紙に声の高さに関して一行だけ書き足したところで、なんの定量性もない情報である。ただ、複数の情報に基づいて図鑑は構成されるものである。そう考えれば、些細な情報も書き残すに越したことはないと思えた。
「いかがでしょうか。なにぶん、不慣れなもので……ルカヱル様が記していなかった情報も、気付いたものは残しておりますが」
レゴリィがアーニアの代わりに図鑑の出来を問う。アーニアの視線が、微かにトーエを窺うように動いた。
「ええ。十分です。もともと、今回はルカヱル様が観察済みでしたからね。不足した情報を書き足していただいて図鑑の完成度が上がれば、プロジェクトの意義が深まります」
「ふう、良かった……」
と、アーニアが小さく呟いた。態度は素っ気ない魔女だが、根は真面目らしい、とトーエは思った。
「さて、次の図鑑の情報は“デルアリア”というものですが……実は、その前に白魔女様から指令が来ております」
「白魔女様?」「メフィー様から?」
と、レゴリィ、アーニアが反応する。
「ええ。それが、一週間以内にレムリアの白塔までお二人に来て欲しい、という内容です。こちらで送迎の手配は致しますが、レムリアまで船で三日、白塔まで更におよそ一日かかりますので、よろしければすぐにご準備いただきたく」
「えー、まだ来たばっかりなのに、また船で移動なの? 僕、あれちょっと苦手……」
「アーニア様、しかし白魔女様の言うことですので、そこをなんとか」と、レゴリィがあやすように言う。
(親娘みたいだな、この二人は)
トーエは密かに思いつつ、咳ばらいをした。
「……船はいつでもご用意できます。ただ、明日までに出発しないと遅れてしまうかも」
「分かったさ。じゃあ行くよ」
と、アーニアは渋々頷いて、レゴリィを窺った。
「ねえ、レゴリィ……。レムリアにも美味しいお茶ってあるかな?」
「ありますぞ。もし早めに着いたら、ご紹介しましょう」
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