一歩を踏み出すために

『ネスティ!』


 幼いメイドが倒れていて、幼いリディアがその子を抱いて泣いていた。


『ネスティ、ネスティ、しっかりして。ネスティ……!』


『リ……ディア……お嬢、様……』


 メイドの体のあちこちが墨でもかけたように真っ黒に染まっていた。リディアはメイドの顔をたたいたり、真っ黒に染まった部分に触ったりもした。しかし、メイドの状態が好転する兆しはなかった。


『触ら、ないで、ください…….危険……ですから……』


『ど、どうしたの? なんで貴方がこんな……』


『分かり……ません……でも、これ、邪毒……下手するとお嬢様も……』


『何言ってるの! 貴方がこんなに痛いのに……!』


 リディアは泣き叫ぶだけで、何もできなかった。


 しかし、それも仕方がない。メイドは邪毒に浸食されたものだから。リディアの特性は浄化能力ではなく、浄化できる魔道具も持っていなかった。リディア一人でその子を救う方法はなかった。


 助けてくれる人でもいたらよかったのに……。


『何だよ、うるさいぜ。ぎゃあぎゃあ言うなよぉ』


『……! 兄様!』


 今の私よりも若いディオスだった。彼はいつものように自分に追従する使用人を従えて現れ、間違いなくリディアとメイドをあざ笑った。


『兄様! お願いします! ネスティを……ネスティを助けてください!』


『あぁ? なんで俺が?』


『に、兄様!』


『ったく面倒くさいぜ……』


 そう言いながらもディオスはまずネスティをざっと見た。それから手を振りながら体を抜いた。


『ダメだぜダメ。そのままあの近くに捨てろ』


『兄様!! それは……!』


『お前は教育も受けていないのかよぉ? 邪毒だよ、邪毒。それほど邪毒に浸食されたら完治は難しい。まぁ、大雑把に病身になって延命はできるかもしれないがな』


『じゃ、じゃあ死なないってことですよね!?』


 リディアは希望にしがみつくように必死に叫んだ。しかし、ディオスはリディアのそのような気持ちさえあざ笑った。


『一生病気がちで死んでしまうはずだ。なぜ生かすんだ? ただ今死ぬ方が楽だと思うんだぜ』


『そ、それでも……!』


『あとさ、俺も邪毒に浸食されたものを治す方法なんか知らないんだ。知ったとしたも助けてくれる義理もないよぉ』


『た、助けてください、どうか……』


『そのメイド、お前がいつも連れて行っていた子じゃないかよ? そんな子が倒れたのにお前は祈ることしかできないのかぁ?』


『えっ……』


 リディアが石になったように固まってしまった。彼女の胸の中でメイドがかすかに『ダメ……』や『聞かないでください、お嬢様……』とか言ったけれど、リディアはそれさえ聞いていなかった。聞く気があるはずがなかった。


『そもそもこの邸宅でいきなり邪毒になぜ侵食されるのかよ? それもお前が悪かったんじゃないのかぁ? それともそのメイドが何か間違って触ったかもな。何でもお前が直接収拾してみろよ。それもできないくせに偉大なアルケンノヴァの名に寄生しかできないのかよぉ?』


 無理だ。まだ幼いリディアが邪毒病を治療できるはずがなく、この時期にすでにディオスのいじめと家の掌握が始まったところで、他の助力者を探すこともできない。


 もちろんディオス本人も知っていながら無理を言うのだった。でもやられるリディアだけがそれに気づかなかった。


『でも、でも……』


『でもじゃない。俺は行くから自分で何とかしろよぉ』


 ディオスは最後まで笑いっぱなしで立ち去り、リディアはメイドを抱きしめて泣きながら歩き回った。リディア自身は幼い年でもメイドを持ち歩くほどの身体強化が可能だったけれど、死んでいくメイドには何の役にも立たなかった。


 結局、応急手当が可能な人を探して命だけは救われたけど、完治には至らなかった。


 


 ***


 


「……そうなりました」


 戦闘術の授業が終わった後、私はアルカに了解を求め、リディアと二人だけでティータイムを持つことにした。練習場で全部話すよりは、別の席を用意した方がいいと思ったから。


 リディアの話を聞きながらゲームの回想シーンと対照してみた。特に違うことはなかった。むしろゲームの記憶がリディアの説明の不完全な部分を補ってくれた。


「あの時は兄様を恨みました。でも……間違った言葉ではありませんでした。リディアは結局何もできなかったですから」


「リディアさんはあの時幼かったでしょ」


「いいえ」


 リディアの話し方はかつてないほど断固としていた。表情は暗くて悲しかったけれど、皮肉にも自分のトラウマを言うことには躊躇がなかった。


「もちろんその時リディアにできることは本当に何もありませんでした。でも……リディアは力もなく、それを補う方法も見つかりませんでした。ただ父上に可愛がられただけでしたから……そうなったんですの」


 その事件以後、リディアは自責と自己卑下が激しくなった。そしてディオスのいじめまで激しくなったせいで今のように変わってしまった……か。ゲームとまったく同じ展開だ。


 その事件だけだったら、リディアはここまで自分を卑下しなかっただろう。でもディオスは悲しむリディアを苦しめ続けて彼女の自責を刺激し、リディアは彼の暴言にほとんど洗脳されるようにした末、こうなった。


 ……ディオスの奴、まるで自分には何の責任もないかのように……!


 拳がブルブルした。でもこの話を今リディアにすることはできない。ハンスさんに任せた調査が終わる前には、私が知っていること自体が怪しくなるから。


 代わりに私はリディアの手を取って、慎重に言葉を選んだ。


「はっきり言いますわよ。リディアさんは間違っていません。その歳だったら私でも似ていたと思いますの。その仕事は運がなかっただけです。むしろあのメイドの子が誰の味方であれ、家の使用人がそんな状態になったのに放置したあのクズこそ資格がありません」


 リディアは私の言葉に少し驚いたかのように目を丸くした。そしてすぐクスクス笑い出した。


「リディアさん?」


「あ、ごめんなさい。テリアさんが兄様をそのように呼んだのは初めて聞いたので……」


 ……すでにリディアの前で悪口を言った気がするけど。


 そう思ったけれど、リディアが楽しそうだったので言葉では言わなかった。


「私は悪い奴を悪い奴だと呼ばないと気が済まない性格ですからね」


「それにしては兄様のことをかなり上品に表現しませんでしたか?」


「大人しく口を握りしめましたわね」


 決闘の約束をする時にね。


 リディアもその時のことを思い出したのか、また笑った。私も彼女が笑うのが嬉しくて思わず微笑んだ。


 しかし、リディアはすぐに目を伏せた。そして悲しそうな顔をした。


「ありがとう。ただ言葉だけの慰めだとしても……」


「そんなことないですよ。本当にリディアさんは何も間違っていません」


 そう、悪いのはあいつだから。今説明することはできないけど。


「ふふっ、テリアさんならそう言ってくれると思いました。ありがとう」


「その答えこそありがたいものですわよ。初めて会った時のようだったら、そう言ってくれなかったでしょうからね」


「テリアさんのおかげですの」


 よし、雰囲気いいわね。このままもう一度推し進めてみようか。


「それで、リディアさん。一つお願いがありますの」


「お願い……ですの? リディアがテリアさんにあげられることはありませんが……」


「いいえ、これはリディアさんでなければできないことですわ」


 その言葉にリディアは少しおびえたようだった。急に重い責任を負うようなことを言われたから当然だろう。


 私はリディアを安心させるためにそっと笑いながら続けた。


「ネスティさんって言いましたよね? 私を彼女の元に連れて行ってください」


「え?」


 リディアは驚いた様子だった。


 まぁ、無理もないでしょ。急にネスティの元に連れて行ってほしいなんて、私が考えても突拍子もないお願いだから。


「え、あ、あの……なぜですの?」


 私は返事の代わりに腕から魔道具を取り出した。以前、母上の前で私の特性が『浄潔世界』だとご覧に入れた時に使ったその邪毒魔道具だった。


 あの時のように邪毒魔道具を作動させ、私の魔力で覆って浄化する姿を見せてくれた。魔力が増したことだけは要領よく隠して。うむ、やっぱり慣れると瞬く間に終わるわね。


 その姿を見たリディアの目が大きくなった。


「そういえば、私の特性が何なのか教えてくれたことがありませんでしたよね? 今ご覧になった通り浄化能力ですの。私の口で言うのはアレですけど、世界権能のすぐ下くらいはなる最上位ですわよ。どういう意味か分かりますの?」


「ネスティを……治療してくれるということですの!?」


 リディアはまれに大きな声を出してテーブル越しに身を乗り出した。突然の行動でさすがの私も少し驚いたけれど、外見だけは泰然と答えてくれた。


「ネスティさんは邪毒に浸食されてそうなったと言いましたよね? それなら邪毒のせいで体が壊れた邪毒病でしょう。その場合は体に侵入した邪毒が変質してレベルの低い浄化能力では完全に無くすことはできません。でも私の能力ならそれも全部なくすことができますの」


「……!」


「もちろん、邪毒のせいで壊れた体自体は戻せませんし、そのせいで生じた合併症も同じですの。私にできることは邪毒をなくすことだけですわ」


「でも……! 邪毒さえなくなったら、あとは治せるのではないでしょうか……!?」


「そうですわね。かなり高い治療士を見つけなきゃなりませんけど……まぁ、四大公爵家の令嬢には意味のない心配でしょ。もしディオス公子が邪魔するようでしたら、私が別に紹介します」


 もしアルケンノヴァの公爵が直接関与したり、あるいはディオスが積極的に協力していたら治療が可能だっただろう。しかし公爵は忙しい上、たかがメイドに気を使う余力がなかっただろう。そしてディオスは協力どころか妨害ばかりしたはずだ。


 邪毒病にかかった人の邪毒を浄化することも、浄化後を担当する治療士も非常に珍しい。それこそ公爵家でも決心して探さないと連れてこられないほど。当然、ディオスに迫害されていたリディアが求めることはできなかっただろう。


 だからこそ、私の提案はリディアにとって一番かけがえのないものだ。


 しかし、ネスティはリディアにとって最も敏感な問題だ。それほど大きな信頼がなければ、彼女に案内してもらうことは難しい。ゲームでも信頼が築かれる前に急いでしまったら攻略に失敗し、そのままバッドエンドまで直行したりもした。


 少し不安だったけど、リディアは今まで見たことのないほど明るく笑っていた。あの笑いを見れば大丈夫だろう。大丈夫だと信じたい。


 リディアは非常な力で私の手を握った。そして目を輝かせて口を開いた。


「リディアは……」


―――――


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