ディオス

 リディア・マスター・アルケンノヴァ。


 アルケンノヴァ家の恥、何もできない私の名前だ。


「あっ、ご、ごめんなさい」


 肩をぶつけてしまった人に頭を下げた。


 長すぎる前髪のせいで相手はよく見えなかったし、そもそも顔を見上げることもなかった。それで、どんな表情で去っていったのかも分からなかった。


 多分私のようなものとぶつかったのが不快だったのだろうか。それとも私がアルケンノヴァ公爵家の子供だから負担になったのだろうか。


 アルケンノヴァ家を象徴する銀髪を見れば誰もが関心を持つ。けれども、私が拒否すれば生半可に近寄らない。一度も祝福されたと思ったことのない家柄だけど、それだけはありがたかった。人と話すのは負担だもの。


 私なんかと話なんか、したい人もいないだろうから。


〝リディアさんはどうしてそんなに自分をけなすのですの?〟


 ……あの人は、何だろう。


 私と同じ銀髪と青い目の人。でも私のようなものとはあまりにも違う人だった。綺麗で自信に満ちた人、聞こえる噂ではここで一番強い人だという話もあった。


 そういえば、現オステノヴァ公爵夫人が私の父上の妹だと聞いた。ということはあの人と私はいとこってこと。私なんかとはそんなに違う人なのに。


〝あまり自分を過小評価しないでください。リディアさんは十分強くて素敵で可愛いですからね〟


 どうしてそんなことを言うの?


 そんなに素敵で強い人が私なんかにそんなことを言っても当惑するばかりだ。


 もしかして私をあざ笑っているのだろうか。それなら理解できる。そんな人が私のことを本気でそう思ってくれるはずがないから。


〝つまりリディアさんがどんなに愛らしくて強い人なのか、みんなが……〟


「……やめて」


 思わず独り言を呟いてしまった。人が見たらどんなに気分が悪いだろうか。


 全く事実でないそんな甘言には騙されない。私は立派でも、綺麗でも、強くもないから。


 そんなありもしない事実に気づくことも、みんながそう思ってくれる日も、永遠にない。


「……悪い人」


 そう、彼女は悪い人だ。


 本で見たことがある。虚しい希望を抱かせて絶壁から足で蹴って落としてしまう人。そんな悪い人だから私にもそんなことが言えるの。


 けれども、……でも。


 私なんかにそんなことを言ってくれたのは……彼女が初めてだった。


「きゃあ!」


 物思いにふけって前を見えずにまたぶつかってしまった。


「ご、ごめん……」


「何だよ、ずいぶん探したぜ。ここにいたか?」


 一瞬、固まった。


 慣れ親しんだ声。飽きるほど聞いてきた声。そして……いつも私を蹴飛ばしてどん底に落とす、気持ち悪い声。


 あえて見なくても分かった。私と同じ銀髪碧眼を持ち、私とはあまりにも違う自信に満ちた顔。ハンサムな目鼻立ちでいつも私をあざ笑って侮蔑する人。


「なんで返事がないのかよ。しばらく会えなかったから忘れたかぁ?」


「に、兄……様」


 私の兄様。ディオス・マスター・アルケンノヴァ


 他の兄様たちや姉様たちとは違って、この人はいつも私に干渉してくる。本人がいない時も人を唆せて……。


「おお、覚えてるな。でもさぁ」


 兄様は私の頭に手を当てて顔を近づけた。私は習慣的に目を伏せようとした。でも兄様の手が私の頭を強くつかんで持ち上げた。


 痛い……!


「覚えていながらどォして挨拶しないんだぁ?」


 兄様の片足がさっと動いた。


 ああ、まただ。やっぱりこの人は変わってない。


 あきらめて目を閉じた足に衝撃が襲った。足が地面から離れてしまった私はそのまま尻もちをついてしまった。


「きゃあ……!」


「そう、やはりお前はそのくらいの位置が似合うぜ。次からはお前の席を忘れるなよ」


 浅はかな笑い声が響いた。兄様だけでなく、いつも兄様と一緒にいる取り巻きたちもクスクス笑っていた。


 アカデミーへの編入を決めた時から覚悟はしていた。そのためか、あまり痛くはなかった。むしろ安心さえしていた。


 そう、苦しくない。いつもあったことだから。私にはこれが平凡なことなの。


「あれぇ? どォして返事がないのかよぉ? まだ目覚めなかったのかよぉ?」


 兄様はニヤリと笑いながら手を上げた。私は反射的に目を閉じた。


 しかし、続いて聞こえたのは手のひらが私を殴る音ではなく、何かが何かをパンと受け止めるような音だった。


「止めなさい」


 ……この声は。


 こわごわと目を開けてみると、兄様よりは小さいけど私よりははるかに大きい女の子が兄様の手首を握っていた。テリアだった。


 止まって、くれたか。


 初めて見る事態に理解できず固まってしまった私だったけれど、続く対話にはかろうじてついて行くことができた。


「何だ……ぐっ、お前は!?」


 兄様はなぜかびっくりして手を振り払おうとした。でもテリアの手はまるで岩のように微動だにしなかった。それどころかますます力が強くなるような……。


「くっ!」


 兄様はうめき声を上げ、腕に魔力を込めた。今度こそ腕を振り払った。つかまった手首が赤く染まっていた。


「まさか貴様もここにいるとはな。生意気な態度は相変わらずだぜ」


 テリアはなぜか首を傾げた。


「私が入学したの知らなかったの?」


「は、なんだ? 俺が知っておくべき理由でもあるのかよぉ? それとも何か口コミでもあったみたいだな? しかし、俺は去年は一年中遠征実習だったぜ。去年アカデミーで何の幼稚なことをしたかは俺の知ったことではない」


 すると、兄様はテリアの顎に手を当て……ろうとしたけれどテリアの手が弾き出した。にもかかわらず、浅はかな笑みは消えなかった。


「かなり断るんだな。だが俺は寛大なんだ。ちょうど俺の格に合う女性を一人くらい求めたかったぜ。オステノヴァは以前からアルケンノヴァに媚びるのが得意だったな? どうだ、今なら未来の公爵夫人の席が空いているぞ?」


 ……この人は、テリアにまで手を出そうとしているのか。


 しかし、テリアのように素敵な子なら、兄様と似合うだろうか。兄様は私なんかとは違う人だから。私にそんなことを言ってくれたこの子も実は私なんかより……。


「四年前にそんなに恥をかいても、まだバカなのは相変わらずだね。そして悪いけど貴方なんか卑劣で弱い人間に相応しい人はこのアカデミーにいないわよ」


「何だと?」


 ……今、何と……?


 私が言葉の意味を受け入れる前に、テリアは近づいてきて私を起こしてくれた。そして兄様を振り返りながら唇を弓のように曲げた。


 その唇から思いもよらなかった毒が次々とあふれ出た。


「才能はないし、実力も足りないし、そういうくせに劣等感だけあって妹をいじめたりするのが趣味でしょ? いくら自分が恥ずかしくても、自分の本質まで忘れてしまうのはちょっとアレじゃないの? あ、ごめん。卑劣な人はもともと廉恥というものがないわね。お願いだから頭を下に突っ込んでくれないのかしら? 貴方、虫唾が走るの」


「ヤロウが!」


 兄様が手を上げた。でも私は会話についていくことができずぼんやりしていて反応できなかったし、テリアを助けないとって考えもできなかった。


 そもそも手伝う必要もなかったけど。


 ――紫光技〈選別者〉


 テリアの右目が紫色の魔力光を噴き出した瞬間、恐ろしい威圧感が周りを埋め尽くした。


「ぐおぉ……!?」


 兄様の取り巻きたちはしばらくも持ちこたえることができなかった。彼らはまるで上から見えない巨人が押さえつけたかのように地に倒れた。兄様は彼らと違って完全には倒れなかったけど、片膝をついたまま腕で持ちこたえるのが精一杯だった。


 テリアはぞっとするほど冷たい目で彼らを睨みつけた。


「四年前そんなに情けなかったくせに、相変わらず飛びかかる根性だけは褒めてあげるわ。でもね、貴方私だけじゃなくてジェリアにもめちゃくちゃやられたって? でもどうしよう? そのジェリアも私よりはるかに弱いのよ?」


「何の……!」


「まぁ、ジェリアと手合わせする時もこの〈選別者〉は使ってないけどね。 それでも余波に押さえつけられて立つこともできない貴方よりはジェリアの方がましなの」


 テリアはうつむいて兄様に顔を近づけた。そして嘲笑を含んだ唇でささやいた。


「よく似合うわね。ね?」


 あれは、さっき兄様が私に言ったこと……。


 頭の片隅でぼんやりとそんな考えをする一方、私の体は思わず前に出て口を開けていた。


「ちょ、ちょっと待ってください! 兄様は悪くないです!」


「は?」


 テリアの冷たい目が私に向けられた。それだけでも全身がブルブルした。それでも私は必死に声を絞り出した。


「り、リディアが弱くてバカだからですの。兄様は間違っていません。だから……」


「今貴方とこのバカを一度よく比較してみてくださいね」


「え?」


 その言葉に私は兄様を見下ろした・・・・・私よりずっと背が高くて……一生私の上にいた人を。


「え?」


 それから私は自分の体を見下ろした・・・・・。何の変化もなかった。


 


「たかが〈選別者〉の余波さえ耐えられないこのバカたちより貴方が本当に下だと思いますの? 私の威圧感に耐えると意識さえする必要がない貴方が? まったく、久しぶりの面白いギャグでしたわよ。リディアさん、意外とコメディーの才能があるんですわね」


 鋭い言葉。でもその中から嘲笑や侮蔑は少しも感じられなかった。むしろ私のために怒ってくれるような……そんな気がした。


 テリアはまるで兄様を眼中にも置かないように、私を見て堂々と宣言した。


「この場ではっきり言いますわよ。リディア・マスター・アルケンノヴァ。ここでみっともなく倒れているディオスより貴方の方がずっと強く価値のある人ですの」


―――――


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