第15話
「あんた、見た目どおり本当に力がないな。ほとんど俺と軍医先生でやったようなもんだ」
額に汗を浮かべたベルメール警部はベッドの端に腰を下ろして荒い息を吐きながら、呆れた口調でリヒャルトに言った。
「すまない……」
隣のベッドに同じように腰かけたリヒャルトは、全身汗まみれで肩を大きく上下させながら掠れた声でかろうじてそれだけを答える。
シュペー軍医の言う仕分け作業は数時間かかってどうにか終わった。こんなことは無論生まれてはじめてであり、実際にやってみると遺体の破片が放つ生臭さに堪えきれず、リヒャルトは3度吐いた。ベルメール警部は2度吐いた。
用意されていた6台のベッドの上には、バラバラだった遺体が人の形に並べられている。その中に端正な顔立ちをした、長身で茶髪の青年がいた。この男がメッツ中佐だ。売春街でアパートの管理人から聞いた通り、なるほど映画俳優にもなれそうな美形だ。頭を真っ二つに割られていなければの話だが。
こうして6人の遺体を並べてみると、メッツ中佐のそれが取り分け損壊が酷いのがわかる。他の5人も頭を切り飛ばされ、胴体を切り刻まれ、手足を切り取られて酷い有り様だが、メッツは頭部を割られ、胴体も両断され、心臓を抉り取られていた。それは、犯人がメッツに対して深い憎しみを抱いており、それ故に彼を殺害し、他の者は単に巻き添えになったことを予想させた。
そして何よりも興味深いのは、遺体の切断部分が、シモーヌの受けた切り傷と非常によく似ていることだった。両方とも鋭利な刃物で深く切り裂かれたようになっている。シモーヌとメッツを殺した奴は同一の可能性が高い。
「2人ともありがとう。だいぶ助かったよ。それから、よかったらここに来た本当の理由を聞かせてくれないか。報告書を作成するためじゃないんだろう?」
1人床の上に立つシュペー軍医は、リヒャルトとベルメール警部を交互に見ながらそう言った。
やはり見抜かれていた。リヒャルトは正直に、これまでの経緯をシュペーに話した。彼の説明を巨漢の軍医は顎に片手をやりながら興味深そうに聞いていた。全てを伝え終えると、シュペー軍医がその表情を曇らせながら言う。
「なるほど、つまりこれは連続殺人という訳だな。だとすれば事態は深刻だ。この後も同じような事件が起こるかもしれない」
「シモーヌに関係する人間が、また殺されるということですか?」
「今のところ共通点がそれしかないからね。しかし、これだけの殺しをする相手を君たちだけで捕まえるのは不可能だろう。できるとすれば軍政部が動くしかないが……」
ベルメール警部がふて腐れたように言う。
「へっ。あいつらがそんなことするわけがない」
「そうだな。一応私からも上に話してみるが、まず無理だ。私はこれ以上パリには居られない身だ。後は君たちでどうにかするしかない。冷たいことを言うが、私自身今後のことで手一杯だ。これ以上協力できることはない。個人的には、この件には関わらないことを勧めるよ」
3人は身に付けていた手袋とエプロンを外すと、検屍室を出て元のロビーに戻った。
「手伝ってくれたお礼にコーヒーを淹れよう。そこのテーブルに居てくれ」
シュペー軍医が指し示したテーブル傍にあるソファーでリヒャルトとベルメールが並んで待っていると、軍医はトレーに3つのカップと2つの小瓶を載せてやって来た。病院長がこんなことまでするとは、余程人が足りていないのだな。リヒャルトはそう思った。
テーブルにトレーを置いて、シュペー軍医も向かいのソファーに腰を下ろす。
ベルメールはカップの中身を見て口笛を吹いた。
「本物のコーヒーじゃないか!4年ぶりだ!」
カップには艶のある漆黒のコーヒーが並々と注がれ、白い湯気を上げていた。
戦争が始まってからドイツではあらゆる物資が欠乏している。日用品はほとんどが質の低い代用品に変えられた。コーヒーもその1つで、それはパリも同じらしい。
「砂糖とミルクもあるから、好きなだけ使ってくれ。病院長権限さ」
シュペー軍医の言葉に甘えてリヒャルトは砂糖とミルクを自分のコーヒーに入れた。ベルメール警部はたっぷりのミルクを注いでカフェオレにしている。
それぞれがカップを口にして、溜め息を吐いた。
「平和の味がする……」
ベルメール警部がしみじみと呟いた。
「そうだな。平和の味だ」
シュペー軍医も自分のカップを見つめながら、どこか悲しげに言った。
シュペー軍医に会うのはこれが最初で最後になるかもしれない。リヒャルトは思いきった質問をしてみた。
「軍医殿、シモーヌやメッツ中佐を殺害した犯人は、どんな奴だと思いますか?」
シュペー軍医はしばらく無言で考えていたが、カップをテーブルに置くと、リヒャルトに向き直った。
「普通の人間とは思えない。しかも、逃走の異常な早さを考えると犯人は単独の可能性が高い。だが、たった1人であれだけのことができる者が本当に存在するかと言えば、そうとも思えない。この事件は私の理解を超えている。このパリで、我々の想像が及ばない恐ろしいことが起こっている」
「あんなことができる奴が本当にいるんですか?まるで……。まるで怪物そのものじゃないですか」
「とうとうその言葉を使ったね。そうだ。超常の怪物でなければ、こんなことはできっこない。実は私は、ある男のことを考えている」
「ある男?」
「大学の同期で、不死身の兵士を研究している男がいた」
シュペー軍医は天井を見上げて、遥かな過去を思い出しながら話を続けた。
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