ラズベリー・ベル
「アカン村? アカンて何がです? 危険な村ということですか?」
「いや、"亜寒村”。村名ですよ」
青年は、紅茶に砂糖を混ぜながら答えた。
「僕のイントネーションが悪かったですかね」
「いえ、なるほど、たしかに寒いところですね。いかにも"東北”という寒さです……ハハハ」
地図に記されていない場所に来るのは初めてだった。
まだこの業界に入って間もない僕は道に迷い、曇天の下、赤錆だらけのバス停に佇んでいたところで彼に声をかけられたのだ。
「初めてこの村へ来た方には、食事を奢る決まりみたいなのがありましてね。どうぞご遠慮なく」
「いえ! 本当にお金は僕が払うんで……それにしても素敵なカフェですね、メニューも洒落ていて味もいい。いや、この村の建物全体が異国情緒に溢れているというか、まるで北欧の国にでも来ているかのようですよ」
「実際そういう説もあるみたいですよ。あれらの石造りの家だって、もう何百年も前に建てられたものですからね。石材も、我々の祖先が海を渡って来たときに積んでいたものじゃないかって……まあ、色々と無理のある説ですけどね」
「でも、村の人達を見ていたらそれも信じられそうです」
そう言って僕も紅茶に砂糖を入れ、店の前の通りを見る。
皆、北国特有の肌の白さに加え、彫りの深い顔立ち。異国風の衣装も相まって、老いも若きも目の前にいる青年同様、映画俳優のようだ。
中でも目を惹くのが、若い女性達だ。頭にスカーフを巻いた出で立ちが、神秘性を帯びている。
「そういえば、あなたはさっき話していた女の子を『ベル』と呼んでいましたが、やはりハーフの子とかもいるんですかね」
「ああ、あれは通称というか愛称みたいなもんですよ。ベルを鳴らす娘だから、昔から『ベル』と呼んでいるんです」
「昔から?」
「はい、村代々のしきたり……ですかね」
僕は反射的にポケットへ手を潜り込ませ、ボイスレコーダーのスイッチを押す。
青年は、その動きには目もくれず紅茶を飲み続けた。
「あの……よろしければ、そのしきたりについてのお話を……」
「はあ……なら、僕の身の上話と合わせて説明しましょうか……その方が伝わりやすいかと」
※
僕がその事を知ったのは、六歳の頃だったと思います。
昼間に居間で祖母と一緒にいるとき、向かいの家からベルの音が聴こえてきたんです。
「おや、出来上がったようだね」
祖母はそんなことを言いながら、僕の手を引いて外へ連れ出しました。
見るとその家の前で、頭にスカーフを巻いた幼馴染みの娘が、ハンドベルを鳴らしていたんです。
彼女は、僕らが玄関まで来てもベルを玩具のように振り続けていて、後で奥から出てきた母親に怒られていましたっけね……。
そんな娘に祖母は笑って話かけていましたが、その言葉の中に『ベル』という単語が続けて出てきたのを覚えています。
それで僕は、娘が鳴らしているのがベルという楽器なのだと知りましたが、それだけではなく娘自身のこともベルと呼んでいることに気がつきました。
実際の彼女の名前とは全く関連の無い呼び方だったので、そのときの行動から適当に付けた渾名だろうとしか思いませんでした。
それより僕が気になっていたのは、食堂の大テーブルに見えた一切れのケーキだったのです。
シンプルなショートケーキでしたが、その上に乗せられた一粒が、僕の瞳には薄紫の小さな宝石として映ったのです。
ラズベリーという果実だと、彼女の母親は席に着いた僕に教えてくれました。
摘んで口に入れると、噛む度に甘酸っぱさが広がりました。きっと顔を顰めてでもいたんでしょうね、僕の反応を見て、その場にいたみんなが笑っていたような気がします。
その後、口直しのつもりでケーキを頬張り、祖母から
「こら、これはおまえの生まれた日を祝うケーキなんだ。もっと大切に食べな」
と、注意されてしまいました。
そこで初めて"誕生日”という記念日と、それを祝う風習の事を知りました。
もちろん、それまでも祝ってもらい、ケーキもラズベリーも食べていたはずなんですが、流石にそこまで幼い頃の記憶は残っていないんです。
年齢的に何も考えず、それこそムシャムシャと頬張るように食べていたんでしょうけどね……。
翌年に僕は小学校へ上がりましたが、それからも誕生日には同じ家でケーキを御馳走になりました。その日は学校を休むことができたのも嬉しかったですね。
そしてその頃にはもう、僕も彼女のことをベルと呼ぶようになっていて、逆に本当の名を忘れるほどでした。でも、それは僕だけじゃなかった……。
もう一人の幼馴染み、よく一緒に泥だらけになりながら遊び回っていた男の子がいて、彼もあの家のケーキを食べていたんです。
「この村の男の子はね、誕生日にベルの家でケーキを食べることで、ひとつ大人に近づくんだ」
いつか僕が問うと、祖母はそう答えました。
「じゃあ、みんな誕生日には、あの家に行くの?」
「みんなじゃない、それぞれ行く家が決まっているんだ。ほら、他の家からもベルを鳴らす音が聞こえたときがあるだろう」
少し意外でした。この村のハンドベルは、ケーキの完成を報せるためだけに使われているというのです。
「だから、ベルと呼ばれているのは、あの娘だけじゃないんだよ」
「じゃあ僕はこれからも、向いの家のベルのケーキを食べられるんだね」
祖母の話を聞き終えた僕の心は、驚きと喜びに満ちていました。そうですね……なんだか恋人が出来たような感覚だったかと思います。
でも、そんな幸せな誕生日が最後になる時が来ました。と、言っても責任は全て自分にあるんですが……。
十二歳になった日の午後、毎年のように、向かいの家からハンドベルの音が聴こえてきました。
その頃のベルはもう、可憐に成長していて、僕と同い年とは思えないほどに大人びて見えました。
だからでしょうかね、あんな悪戯心が起きたのは……。彼女の全てを知りたくなったのかもしれません。
家に上がり、大テーブルでケーキを待っているとき、台所の奥にベルの姿を見かけました。
いつもならハンドベルを鳴らし終えると、僕の話し相手になりに隣の席に座ってくれるのですが、聞こえてくる親子の話し声から察すると、調理の段取りを間違えていたらしいのです。
僕は席を立ち、気づかれないように台所まで近づくと、中の様子を覗き見ました。そこで目にしたのは、この村の秘密そのものでした。
ケーキの前にいたベルの頭にスカーフはなく、長く美しい髪が腰の辺りまで垂れ下がっていました。
見惚れる程の後ろ姿でしたが、それ以上に僕を惹きつけたのは、その髪の先に成っていた小さな果実、ラズベリーです。
彼女はそのうちの一粒をちぎると、ショートケーキの上に乗せました。それが、僕にとって一番の好物の完成品だったのです。
「よし、早く持っていってあげな」
母親がベルに声をかけたので、僕は急いで戻ろうとしましたが、その瞬間にベルと目が合ってしまったのです。
それでも僕は席につくと、子供なりになんとか取り繕いました。
母親は笑顔でケーキを食べ続ける僕を見て、同じように笑い返しくれましたが、ベルは始終こちらに疑念の目を向けたままでした。
「どうだい、今年のケーキの味は?」
「うん、おばちゃん、去年のと同じくらい美味しかったよ」
毎年定番になっていた台詞でしたが、これは嘘でした。先程見たばかりの光景が目に焼き付き、食べ物を味わうどころではなかったのですから。
「ねえ、おばちゃん、あのケーキの……」
「え、なんだい? どうかしたかい?」
それから言葉は続きませんでした。僕は半ば逃げるように外へ出て自分の家に帰ると、部屋のベッドに潜り、母親が夕飯を報せにくるまで蹲ったままでいました。
もちろん、僕の家族にも話そうとはしましたが、結局言葉が喉まで出かかったままでしたね。
翌日、学校から帰る道の途中で、ベルが僕を待ち伏せていました。
二人だけで話がしたいというので、海岸に行くことを提案しましたが、ラズベリーの実が潮風に弱いからと、彼女は嫌がりました。
「でも、今の時間で一番人気が無いのはあそこだぜ」
そう言って説得しましたが、本当はいつか彼女をデートに誘おうと思っていた場所だったからです。
話の内容は予想通り誕生日ケーキの件で、僕が問おうとする前に彼女の方から詳らかに説明してくれました。
「じゃあケーキじゃなく、あの実をひとつ食べることで、ひとつ歳をとるのかい? だからおばちゃんも、残さず食べろと言っていたのか……。昨日見たことは秘密にする、だからこれからも……大人になってもずっとベルの家で」
そこまで言ったとき、彼女は静かに首を振りました。
最初は拒絶の意味かと思いましたがそうではなく、二十歳になれば実を食べなくても、自然に歳をとっていくのだと教えてくれました。
あの甘酸っぱさは、大人には必要のない味だということだったのです。
「じゃあ、あと七回しか……」
誕生日にしか会えないというわけじゃない。学校でだって、村の広場でだって、いつでも遊べるのに、そのときは彼女が今にでも遠くへ行ってしまうような、そんな不安にかられたのです。
いても立ってもいられなくなった僕は、その場でベルの両肩を掴みましたが、その反動で彼女はよろめき、巻いていたスカーフが解けて砂の上に落ちました。
「ベル……僕のベルじゃ嫌なんだ! 僕だけのベルじゃなきゃ嫌なんだ!」
彼女はすっかり怯えた表情になり、僕の手を振りほどくと村の方へ走り出していき、あとにはラズベリーと潮風の混ざった香りだけが残りました。
※
「では、先程ここを通った女性達の髪にもラズベリーがなっていると……?」
「そうです。いま話した風習も、五十年前とは変わらずに残っていた」
「五十……今度は何の話です?」
青年は二杯目の紅茶を飲み終えるとカップを置き、じっと僕を見た。
「僕は一度この村を出ているんですよ。その海辺での一件の翌日にね。まだ家族が寝ているすきに、鞄にありったけの荷物を詰め込んで、さっきあなたと出会ったバス停からあてどもない旅に出たんです」
「十二で……。捜索願いとか」
「もちろん、出たと思います。ただ、流浪の生活でしたし、時代的な部分も大きかったのでしょう。見つかることなく五十年も生きながらえて、七年前にこの村へと帰ってきたんですよ」
「あの……あなたは一体いくつなんです?」
「十九です。少なくとも肉体的にはね。だって、あれから実を食べてなかったんですから当然です。驚きましたよね、この村以外で暮らす男達は皆、何もせずに歳をとっていくんですから」
回想談の途中から、担がれているような気はしていた。だが、語り手の到って真剣な表情を見て、最後まで聞き入ってしまった自分がいたのだ。
「ハハ……たしかに見た目の割には成熟しているとは思っていました。でも五十年とは……あの……お話に出てきた人達は?」
「家族は全員亡くなっています。ベルは、さっきの話に出てきた幼馴染みと結婚して、今は海の向こうで暮らしているそうです。でも彼女との約束は、これからも守っていくつもりですよ、雑誌記者さん」
「やっぱり分かっちゃってましたか……」
「ええ、あなたが半信半疑で僕の話を聞いていたのも。それに……」
青年は、視線を僕からテーブルの上に移した。
「あなたが初めてではないんです。言ったでしょ、食事を奢る決まりがあると。断言しましょう、僕は一言も嘘をついていない」
「あの……まさか……」
「"大人には必要のない”とは言いました。でも"効果が無い”とは言っていない。"村の男の子”とも言いました。でも"村の男の子だけに効く”とは言っていない……。お代わりするほど美味しかったんですね、そのジャムパイ。さっき、そこを通った娘達が知ったら、きっと大喜びでしょう。にしても、一粒でひとつ歳をとるのにそんなに食べたら……」
そう言うと青年は、空き皿を下げにきた店主にウィンクをした。
(了)
初稿∶SSG 2020/2/24
第二稿∶小説家になろう 2020/5/11
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