第40話 思い込みの勘違い

「何で来てんだよ……留守番してろって言っただろ」


 エルディは大きく溜め息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。

 冒険者ギルドの裏でティアと合流して、彼女を近くの公園まで連れきて、今に至る。なんだか昨日ブラウニーを助けた時よりもこの一瞬でどっと疲れた気がする。

 とりあえず、奇跡的に目撃者はいなかった。が、あれだけ白昼堂々街中を飛んでいたら、見られていてもおかしくはない。今回見られなかったのは、ただただ運が良かっただけだ。


「いや、まあ別に留守番はしてなくてもいいんだけどさ……めっちゃ羽根出てるし、飛んでるし」


 ちらりと横の彼女を見る。

 もちろん、今彼女の背に黒い羽根はない。ただの可愛らしい女の子なだけだ。

 ただ、もしあれが他の人にも見られていたとなると、大きな騒ぎとなる。天使や堕天使など神話同然の話だ。魔物と勘違いされてしまう可能性もなくはない。それこそギルドで討伐依頼を出されては堪ったものではない。アリアとて庇い切れないだろう。


「お話をしてらっしゃったので、邪魔をするのも申し訳なくて……でも、ごめんなさい。ご迷惑をお掛けしてしまいました」

「何で来たんだよ?」

「お昼ごはんがなくて困ってらっしゃるのでは、と思いまして……」

「えっ?」


 そこではっとしてティアの方を見上げた。

 彼女の手元には、ランチボックスがある。あれはエルディの為に作られたお弁当だったのだ。

 彼女は申し訳なさそうな、それでいてとても寂しそうな顔をしていた。今の一言で傷付けてしまったというのは明白だ。


「私、帰ります。よかったら食べて下さいね」


 ティアは力なく笑ってランチボックスを手渡すと、踵を返した。


「待った。ティア──」


 呼び止めようと思い、手を伸ばした時だった。

 ぐうううう、と腹の虫が鳴く音がした。腹の音の主は、もちろんティアだった。

 彼女が顔を真っ赤にしているのは、後ろから見ていても明らかだ。現に、耳が真っ赤になっている。


「あー……ティア?」

「な、何でもないです! 私はこれで──」

「待てって」


 そのまま立ち去ろうとするティアの手を掴んで、こちらを振り向かせる。案の定顔は真っ赤になっていた。


「エルディ様……?」

「ひとりで食っても味気ないし、俺も腹減ってたからさ。どうせなら一緒に食わないか?」

「……はい」


 ティアは面映ゆい笑みを零して、頷いた。

 それから公園の隅っこまで移動し、ティアの作ってくれたランチボックスを開ける。

 黒パンに切れ目を入れて、その中に野菜や肉、卵など色々な具を入れてくれている。店で出されているような惣菜パンだった。作るのも手間が掛かっただろうに。それをわざわざそこそこ距離のある街の中心部まで持ってきてくれたのだ。有り難い話である。


(まぁ、見つからないように気にしつつ探してはくれてたんだよな……実際に、人の目がなかったから飛んだんだろうし)


 こちらからすれば心臓が停まりそうな光景だったが、彼女は彼女なりに周囲を見た上で、且つエルディが他の人と話すの邪魔しないように気遣ってくれての事だった。

 しかも、こちらがお腹を空かせているのではないかと心配してくれていて、お昼ごはんを作ってわざわざ持ってきてくれたのである。気の遣い方がズレているところはあるが、彼女の行動は十分過ぎるほどエルディへの思い遣りで満ちていた。

 今、彼女はハムサンドを美味しそうに頬張っている。横から眺めているだけなのに、見ているこちらまで幸せになってくるような表情で、自然と口元が緩んでしまった。


「んっ……」


 ティアは自らの手についたパンくずに、ちゅっと口を付ける。

 その時の唇が、まるで口付けを彷彿とさせるもので、エルディの心がどきっと高鳴る。


「……? どうかしましたか?」


 エルディの視線を感じたのか、ティアはこちらを向いて不思議そうに小首を傾げた。


「い、いや……せっかくお弁当を作ってくれたのに、邪険にして悪かったなって。別に、迷惑ってわけじゃないんだ。ただ、びっくりしたってだけで」


 エルディは彼女の横顔から目を逸らして、そう答えた。

 こう考えていたのは嘘ではない。今彼女の方を見惚れていたのは別の理由なのだけれど。


「いえ、私の配慮が足りてませんでした。どうしてもひとりだと飛んでしまう癖があって。あと……」

「あと?」

「エルディ様がいらっしゃらないと、寂しかったので……その、早く会いたかったんです」

「ティア……」


 彼女の少し照れ臭そうな、でも申し訳なさそうな、それでいて寂しそうな、何とも言い難い表情を見て思わず胸が痛くなった。その言葉に嘘がないのは明白だったからだ。

 確かに、彼女は今頼れる者がエルディしかいない。謂わば、この世界にただ一人の味方がエルディなのだ。

 彼女が堕天使になってから、今日までずっと一緒だった。考えてみれば、彼女と離れたのはむしろ今日が初めてだ。不安にさせてしまったのも無理は無い。

 そうだとすれば、彼女に突拍子もない行動をさせてしまったのは、エルディの責任でもある。やっぱり、エルディが変に気を利かせたのがまずかったのだ。

 エルディはエルディで、ティアが疲れているのではないかと思って気を遣った。でも、彼女にとっては、疲れよりもエルディと一緒にいる事の方が大事だったのである。


「……ごめんな」


 エルディはティアの手の甲をそっと包み込むようにして握って、自らの気持ちを伝えた。


「どうしてエルディ様が謝るのでしょうか? 悪いのは私なのに」

「いや、そうじゃない。ティアの気持ちを考えずに留守番を頼んだのは俺だ。俺は俺でお前が疲れてるんじゃないかって思ってたんだけど……それで不安にさせたなら、悪かったなって」


 勝手な思いこみで休ませた方がいいと考えていたのだが、それこそティアにとっては余計なお節介だったのだ。

 これからは、自分だけで勝手に判断するのではなくて、ちゃんとティアの考えも聞こう。

 ティアは、ただ冒険者パーティーとして共に依頼を熟すだけの関係ではなくて、これから毎日を共に過ごすパートナーでもあるのだから。


「それで、さ……この後は武器屋見て回って、その後生活用品の買い出しにいくんだけど、よかったらティアも付き合ってくれないか? 多分、退屈だろうけど」

「……はい、是非ご一緒させて下さい。エルディ様とお買い物、したいですから」


 エルディの提案を聞いて、ティアの顔に喜色が広がっていく。本当にこれでもかというくらいに嬉しそうな顔だ。

 ただ面倒を掛けるだけなのに、どうしてそんなに嬉しそうにするんだろう──そんな疑問が一瞬浮かんだが、すぐに消えていた。

 それはきっと、彼女と一緒にいると、エルディ自身も楽しいと感じていたからだろう。退屈な時間であったとしても、そんな退屈な時間でさえも楽しいと思える。エルディにとって、ティアとはそんな女性なのだ。


(ずっと一緒にいたら、退屈とは無縁な生活になるのかな……?)


 彼女の手のぬくもりを感じながら、そんなどうでもいい事を考えてしまうのだった。

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