第10話 民宿
昔、旅行に出かけることは悪、みたいな風潮があった時期があったのですが、これはその時期の話です。
私は無類の旅行好きで、連休があれば色々なところへ旅行していました。
旅行好きとは言っても、観光が好きというわけではなく、いつもとは違う場所でゆっくりするというのが好きなのです。
なので、旅行先で名所に行くとか、何か名物料理を食べに行くというようなことはあまりしてませんでした。
なので、旅行先は特にこだわりはなく、宿泊するところに温泉があれば嬉しいくらいの感じで選んでいました。
そんなとき、例のアレが流行ってしまい、日本中が自粛ムードになりました。
ホテルなども休業しているところが多くなり、出歩くこと自体が白い目で見られてしまう有様です。
それでも私は旅行を諦めきれず、色々と探し回りました。
そして見つけたのが、山奥にある小さな民宿。
一人でも大丈夫かと電話をかけて確認したところ、問題ないとの返事をいただき、さっそく予約しました。
当日は民宿に辿り着くまでは結構、苦労しましたが、人通りがほとんどなかったので白い目で見られることもなく、トラブルにも巻き込まれずに済みました。
到着すると30代の綺麗な女性が出迎えてくれました。
部屋に案内されるときに、この民宿はその女性一人が切り盛りしているのだと話してくれました。
なんでも、旦那さんは出稼ぎに出ているとのことです。
こんな山奥で一人で民宿をやるなんて、怖くないですか? と聞くと、その女性はクスクスと笑います。
「私を襲うなんて物好きはいませんよ」、と言うので、つい、そんなことないですよと言ってしまったんです。
すると、女性は「あら、あなたは襲う気なんですか?」と笑いながら返してきました。
そんな妖艶な微笑みは、男であれば誰でもドキッとしてしまうでしょう。
女性はとても気さくな人で、私も引き込まれて色々と話をしました。
一人暮らしをしていること、親とはあまり連絡を取っていないこと、どんなことをしているかなどなど。
考えてみると、個人情報のほとんどを話してしまった気がします。
気が付くと、外は暗くなっていて、女性はあわてて夕飯の準備を始めました。
私は準備の間、お風呂が沸いていると言われたので、お言葉に甘えさせてもらい、ゆっくりとお風呂に入らせてもらいました。
お風呂から上がり、一度、自室に帰ろうとしたときに二階へと続く階段を見つけました。
確かに、この民宿についた時に、二階があったことは外観からわかっていました。
なので、そこまで不思議には思いませんでした。
女性が二階で寝るのかなと思っていると、慌てたように女性がやってきました。
「二階は使ってないんですよ」
そう言って、私に夕食の準備ができたので食べに来て欲しいと促してきました。
夕食は旅館でプロが作ったものではなく、手作り感がある料理でしたが、とても美味しく、私は満足でした。
食べ終わったときは、まだ22時くらいでしたが、民宿に着くまでに結構大変だったこともあり、疲れていたので寝ることにしました。
横になると、私はすぐに眠りに落ちました。
おそらく深夜の3時くらいだったと思います。
私はふと、トイレに行きたくなり、目を覚ましました。
トイレに向かおうと部屋を出ると、当然、電気が消されていて真っ暗でした。
女性は一階で寝ているはずと思い、起こさないように私は電気をつけずに手探りで廊下を進みました。
すると、どこからか、パチンパチンと何かを叩くような音がするのに気付きました。
音のする方に進むと、階段に辿り着き、どうやら二階から音がするのだとわかりました。
そして、よく見ると二階の部屋に明かりがついているのが見えました。
私は好奇心にかられゆっくりと二階へ上っていきます。
そして、音がする部屋を見つけて、耳をすましました。
やはり、パチンパチンという音が一定間隔で聞こえてくるだけです。
そこで、私は音をたてないようにゆっくりとドアを開き、その隙間から部屋を覗きこみました。
すると中には5歳くらいの女の子がいて、その女の子をあの女性が平手打ちをしていました。
思わず悲鳴を上げそうになりましたが、必死でこらえました。
あの気さくな女性が鬼のような形相で、女の子の頬をバシバシと叩いているんです。
そして、なにより不気味だったのが、その叩かれている女の子がなんの反応もしていなかったことです。
頬がパンパンに腫れていて、口からは血が滴り落ちているのに、無表情で天井を見上げていました。
止めるべきだ。
私はそう思い、ドアを開けようとしました。
そのとき、ふと、女の子と目が合いました。
すると女の子は、私を見て、ニッコリとほほ笑んだんです。
本当に嬉しそうに、ニッコリと。
私は怖くなり、自室に戻って布団を被り震えながら朝を迎えました。
朝になると女性は何事もなかったように朝食を用意してくれました。
私は昨日の夜、変な音が聞こえたというと、女性は「ここ、家鳴りがひどいんですよ」と困ったように笑いました。
朝食はほとんど喉を通らず、女性にどうしたのかと尋ねられたが、昨日の夜に食べ過ぎたと言い訳をしました。
私はすぐに帰る準備をして、民宿を出ました。
女性はもう少しゆっくりしていけばいいのにと言ったが、そんな心境ではありませんでしたから。
町までたどり着くと、私はすぐに児童相談所に連絡をしました。
もしかすると児童虐待があるかもしれないと。
すると「わかりました。確認して結果をお知らせします」と返してくれたので、ひとまずは安心しました。
ですが、数週間経っても、連絡は来ませんでした。
なので、もう一度問い合わせてみましたが、そんな相談は来ていないと言われたんです。
それで、あの民宿を調べてみたのですが、HPは閉鎖されていて、電話も繋がりませんでした。
本当はそれでも誰かに相談するべきなんでしょうが、私は怖くなりそれ以降、何もしませんでした。
今はただ、あの子が無事であることを祈ることしかしていません。
終わり。
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