閉じた宇宙を開くとき

閉じた宇宙を開くとき①

 クラウディオスの一角にある病院。その一室で、ルイテンは二人のやり取りをぼうっと見ていた。

 目の前には、ベッドに横たわるスピカと、彼女に寄り添うアヴィオールの姿。アヴィオールの恋人がスピカのことだというのは、この病院に来てから知ったことだ。

 クロエと行動を共にしていたところ、男二人組に襲われてしまったというのがスピカの言い分で、気絶していたスピカが運ばれたのがこの病院とのことである。


「体調は? もう大丈夫?」


「私はもう大丈夫よ。心配しないで頂戴」


「でも、吐血までしたって聞いてるから。本当に大丈夫?」


「ええ。もう半日経ってるし、体力は戻ってるわ」


 クロエがさらわれてから半日は経っている。

 ルイテンはアヴィオールと共に、ニュクスの背に乗り下山した。歩いて下山するよりも時間の短縮ができたとアヴィオールは言うが、それでも半日経過してしまっている。

 ルイテンは今すぐにでもクロエを助けに行きたかったのだが、クロエが連れて行かれた先がわからない。そのため、クロエと共にいたスピカに話を聞きに来たのだが、彼女も気絶していたために暴漢とやらの足取りがわからないと言う。

 ルイテンは大きく息を吸い、ため息を吐き出した。鼻孔を通り抜ける薬のニオイに、思わず眉を寄せる。


「ルイ、ごめんなさい」


 スピカから声をかけられた。

 ルイテンはスピカに視線を向ける。スピカを責めたい気持ちに駆られたが、その行為は八つ当たりでしかない。喚きたい気持ちをぐっと抑える。


「リュカさんが行き先を探ってるわ。とはいえ、半日しか経ってないんだもの。列車と船は、ワーウルフ達が見張ってる。動けなくなった彼らは、あそこに籠るしかないと思うの」


 スピカは冷静に語る。

 あそことは何処か。ルイテンには察しがついた。『喜びの教え』のクラウディオス支部である。


「お願いだから、一人で行かないで頂戴ね」


 スピカはルイテンの手を握る。


「リュカさんが戻ってくるまでは待ってて。焦って行動しちゃ駄目よ」


 スピカはそう言ってルイテンから手を離した。

 ルイテンはきゅっと手を握り、「はい」と小さく返事する。そうして、病室を後にした。


 廊下に出る。

 昼間の病院は慌ただしく、女性の看護師達が廊下を歩き回っていた。

 病室から出ていくルイテンと入れ違いに、看護師が入る。バイタルチェックのためだろう。

 

 ここは、用事のない自分が居るべき場所ではない。そう考え、ルイテンは階段へと向かって歩き始める。

 

 ふと、握りっぱなしの手を開いた。

 そこには、青い宝石が一つ。スピカがルイテンの手を握ったあの時、宝石を手渡してきたのだ。ルイテンは驚きながらも、顔色を変えず受け取った。


「何だろう、これ……」


 手の中で転がしてみる。

 星屑の結晶によく似ている。しかし、ここまで透明度が高いものは珍しい。光に透かせば、向こう側まで見えてしまいそうだ。


「あ、ルイ」


 声をかけられた。ルイテンは辺りを見回す。患者達の憩いの場、待合室。そこに見慣れた顔がいた。

 レグルスだ。隣にはファミラナもいる。


 ルイテンは、彼らの元へと早足に向かう。


「お前もスピカの見舞いか?」


 レグルスに問われ、ルイテンは頷く。そして、レグルスをじいっと見つめる。

 スピカから話は聞いている。クロエが攫われたあの夜、レグルスとスピカ、そしてアルゲディが共にいた。何故守りきれなかったのか。ルイテンは口を開き掛け、しかし閉じた。

 レグルスは、ルイテンの胸中を察した。


「すまなかった」


 レグルスはルイテンに頭を下げる。

 ルイテンは驚いて首を振った。


「いや、あの、やめてください」


 確かに胸の内では大賢人を責めたが、謝罪を求めてはいなかった。それよりも、大賢人が頭を下げている今の状況は、ルイテンを慌てさせた。

 レグルスは頭を上げたものの、その顔には後悔が濃く刻まれている。


「俺らがいながら、クロエをみすみす攫われた。情けないし、申し訳ない」


 暗い顔をしてはいるものの、彼らは謝罪に来たわけではないようだ。レグルスはルイテンの顔を見下ろして、強い口調で指示を出す。


「お前は宮殿で待ってろ」


「え?」


 ルイテンは目を丸くする。


「いや、でも、此方こなたはクロエの用心棒です」


「お前が手を出せる問題じゃない」


「でも……」


 食い下がるルイテンの言葉を遮るように、ファミラナが首を振った。


「ここは、私達に任せて」


 ルイテンはファミラナに目を向ける。

 ファミラナは真剣な顔で、ルイテンを見つめていた。


 ファミラナが信用できないわけではない。

 レグルスが、ファミラナが、自分達を気にかけてくれていることも、頼りになる人物であることも、ルイテンは知っている。

 しかし、全てを任せてしまおうという気持ちには、なれなかった。


「ありがとうございます。

 でも、此方こなたは、自分が関わらずにいることが、できない性分みたいです」


 ルイテンは呟く。

 レグルスはため息をついた。ルイテンの言葉は、大賢人の指示に背いてまで、クロエを助けに行くと言ったようなものだ。

 レグルスはそれを良しとしなかった。


「ダメだ。大人しくしてろ」


「嫌です」


「……お前なぁ……」


 レグルスの言葉を遮り、ルイテンは発言した。


「大賢人様は、大々的には動けないじゃないですか」


 レグルスは、痛いところを突かれたとばかりに顔を顰めた。


 カルト教団一つに対して、今まで決定打が打てずにいるのは確かだ。

 法王であるネクタルが失踪していることは、国民には伏せられている。加えて、未だに大きな混乱を起こしていない『喜びの教え』を、無理に解体することは難しい。名も知れない、たった一人の少女を助けるためだけに、国は動けない。

 

 大賢人自ら行動を起こすことができない。ルイテンはそれを指摘したのだ。


「歓楽の乙女様が何をしようとしてるのか、此方こなたにはわからないです。でも、早く行動を起こさないと、クロエがいなくなってしまう。そんな気がするんです」


 レグルスは腕組みし、目を伏せる。ちらりとファミラナを見遣ると、ファミラナは微笑んでいた。


「私なら動けるよ」


「…………ダメだ」


 レグルスは目を閉じる。

 ダメだと言いながらも、彼の本心は真逆のところにあった。


「本当は協力したいんでしょう?」


 ファミラナはレグルスの胸中を言い当てる。

 レグルスは何も言わない。公私を混同するわけにはいかない。


「だから、私はレグルス君の指示無しに、私の考えで動くから」


「ぜってーダメだ。ファミラナに怪我させたら、お前の兄貴に顔向けできねぇ」


 レグルスは言うが、その言葉でファミラナを止めることはできない。

 ファミラナはルイテンに片手を差し出す。


「私は、ルイに協力するよ」


 ルイテンは、ファミラナを見つめて頷いた。差し出された手を強く握り返す。

 既に覚悟は決まっている。『喜びの教え』クラウディオス支部に乗り込み、クロエを取り返す。


「…………無事で戻って来い」


 レグルスは、そう呟いた。

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