第百四十六話 訃報
永禄四年 弥生(1561年3月)
山城国 二条御所
人が感じる驚きという感情は、予期していないことがあった時に起こる感情だと思う。
予期していなかったこと。それは元気な人の突然死である。
驚くべきことに長慶さんが頼りにしている実弟の十河一存さんが亡くなったのだ。
十河一存さんというのは、長慶さんが畿内に乗り込んできて真っ先に呼び寄せた兄弟。鬼十河という渾名が付くほどの猛将で
十河さんは、こっちにいる時は元気そのもの。ただ生来、肌が弱い
それから程なくして凶事が起きる。宿へ戻る途中に馬から落下。強かに身体を打ちつけたらしい。落ちた時はまだ意識はあったようだが、運び込んだ宿で急変。意識を失い、それ以降、目を覚ますことはなかった。
皮膚の療養で何故このようなことが起きてしまうのか。俺には分からない。
この訃報を知らされた長慶さんは言葉を失い、信じようとしなかった。そして、そのまま臥せってしまったらしい。
報告に来た義興くんも顔面蒼白で動きが緩慢。頭が真っ白になっているだろうということは誰に目にも明らかだった。
それほどまでに三好家において影響力のあった十河さんの死。
三好家の家督を継いだ義興くんが俺にどうしたら良いか聞いてくるほどに憔悴していた。磐石の体制で三好家を継いだ義興くんが子供に戻ってしまったかのように狼狽える様は見ていられなかった。
日ノ本十カ国にまで勢力を伸ばした三好家。その重たい三好家の舵取りを任された義興くん。あまりにも重い。重圧を分散させるために長慶さんを含め四兄弟が支える体制だった。その大きな支柱の一つが失われてしまったんだ。
ただでさえ、三好家の家督を継いで酒量が増えていた義興くんだ。更なる重圧に負けて酒量が増えないか心配になる。それとなく注意してあげよう。俺に出来ることはそれくらいなのだから。
嫌な話は続く。京の都では、不仲だった松永久秀さんが十河一存さんを暗殺したのではないかという噂が広がっている。十河さんの愛馬が不吉だと告げたのに一蹴されてしまった。それを恨んで、馬から落ちるように仕向けたのでは無いかという推測だった。そんな風にまことしやかに広がる噂。
しかし、忍者営業部からの報告では、京のみで広がっている状況から誰かが意図的に流しているようだとのことだった。十河さんを暗殺して松永さんに罪を擦り付けようとしているやつがいるようだ。そもそも不仲なら一緒に湯治など行かないのに。そんな話を聞いて人が嫌いになりそうだった。
そう思っていたのも束の間。また人の嫌な部分を見せられた。
人というのは何と度し難いのだろうか。悲嘆に暮れる三好家に敵勢挙兵の報が届く。
かつての管領 細川晴元が息子を細川京兆家の当主に担ぎ上げ、六角家とともに三好家へ宣戦布告。それだけではない。昨年、三好家に追い出された畠山高政と安見宗房が根来衆の援軍を得て、挙兵。十河一存さんの居城だった和泉国岸和田城を目指し進軍を開始した。
この岸和田城は、本来、河内国の高屋城と連携を取ることで強固な防衛線となっていた。しかし、十河一存さんが亡くなったことで、防衛線が有効に機能していない。岸和田城の支城は組織だった反抗が出来ずに落とされたようだ。
人の不幸につけ込む形での宣戦布告に、俺は嫌悪感を抱いてしまった。俺も戦国時代に馴染んでいくと、当然のようにそんな事をするようになるのだろうか。
――いや、そんな事はしたくないし、する奴は許せない。
人の不幸につけ込んで獲った天下に誰がついて来るんだっての。
人を嫌いになりそうな反動からなのか、俺は縁のある三好家に協力することを決めた。
しかしながら、三好家の中枢が麻痺状態での多方面作戦。この状況、申し訳ないが義興くんには荷が重いと思う。臥せっているという長慶さんでなければ、この難局を乗り越えられないだろう。
俺には千五百名の精強な兵がいる。この数で戦局を決定付けるほどの力はないだろう。しかし長慶さんなら効果的に運用してくれるはずだ。幕府直轄軍の存在が明らかになってしまうが、今はそれより重大な局面。このタイミングを逃しては悔やんでも悔やみきれない。
そこで長慶さんが病という話を楯に取り、長慶さんの居城である飯盛山城へ見舞いに行くことにした。
「光秀はいるか!」
「はっ。すぐお側に」
「三好殿の見舞いに行く。手筈を整えよ」
「承知仕りました。護衛の手配と通達。それと飯盛山城へ将軍御成の連絡を入れておきます」
将軍の外出には相応の準備が必要であるし、すぐに行けない。何より長慶さんの体調もあるので、勝手に行くわけにもいかない。光秀くんの対応は完璧だ。
「使者には忍者営業部の人を使って」
「はっ。ではそのように」
これで良いはずだ。おそらくこちらの出発より早く長慶さんに連絡が届くはず。もし元気になっているなら、何か反応があるだろう。
無駄を嫌う長慶さんのことだ。きっと京に向かってくれる気がする。
それが出来るくらいに元気になっていてくれれば良いのだけれど。そう願わずにはいられなかった。
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