室町武将史 美濃の麒麟児

幕間 明智光秀 伝 長良川

弘治二年 卯月(1556年4月)

美濃国


「義龍め。やりよるではないか。これほどまでに美濃国の国人衆を味方につけるとはな」


 俗に言われる長良川の戦い。

 斎藤道三は、一万七千という大軍を前に息子の義龍の顔を思い浮かべる。しかし、その表情はハッキリしない。顔を思い出せないのか、苦い過去があるのか。

 道三と義龍の関係は、とうの昔に決裂しており、顔を合わすことすらなくなっていた。


 国主である道三に付き従うは、二千七百余り。要害である稲葉山城を離れた瞬間を狙い撃ちにされた謀叛劇。少数でも勝ち筋が見込める籠城策は採れない。

 せめてもと川を挟んで少数同士の戦いに持ち込むしかなかった。


 まずは小手調べとばかりに義龍勢の竹腰何某が五千の兵を引き連れ、長良川を渡河。

 半数程度の道三陣営へと襲い掛かる。されど流石は斎藤道三というべきか。

 尾張の虎こと織田信秀や軍神 朝倉宗滴のいる朝倉家と敵対しながらも家を維持してきた男だ。


 倍する敵兵を物ともせず見事に叩きのめす。それだけではなく先手大将の竹腰何某を討ち取ってしまう。


 されども、倍する敵兵を打ち払えたとて、敵にはまだ無傷の一万二千の兵が残っている。全身全霊で敵と戦っていた道三陣営は傷を負ったものも多い。

 悪いことに初戦で鮮やかに勝ち過ぎた。義龍勢は念には念を入れて、ほぼ全軍が渡河を始め、道三勢へと襲い掛かる。


 こうなれば、いくら戦上手とは言え出来ることはない。地力の差の通りに、道三勢が討ち取られていく。


「ここまでのようだな」

「道三様! 早くお退き下され!」


 馬廻衆の青年武将が道三に退却を促す。


「退却など無用よ。国主が城を追い出されたならば、辿る道は決まっておる」

「なれど!」


「良いのだ。光秀。それよりお前たち若人こそ退くが良い」

「大恩ある道三様を残して退くことなど出来ませぬ! それは、ここに残る者誰もが同じにございます」


「おぬし等の忠節はありがたく思う。義龍にもおぬし等のような忠節が小指の先ほどでもあればな。まあ、義龍が儂の息子なら忠節などを求めるのも酷というものか」

「我らは道三様あってこそ! 是非とも退却を」


「ならん! 儂はここで死なねばならんのだ。儂と義龍の争いのせいで二人の息子まで死んでしまった。儂だけおめおめと生き残れるものか。しかし、おぬし等は家族が居よう。急ぎ領地に戻り、一族郎党を守りながら逃げる役目があるぞ。義龍であれば儂に味方した者たちも許さんだろうからの」


 道三の言に意気消沈する者と、一緒に戦えることを喜ぶ者に二分された。後者は家族がいない者たちのようだ。そして光秀は前者である。


「行け。光秀。おぬしの道はまだ終わらん。おぬしは自分の道を行け。この先は独り身だけが進める修羅の道。お主にはまだ早かろう。さあ、他の者も同じだ! 行先のない馬鹿どもは儂と共に死ね。ともに生を歩む者がいるならば、生者の道を進め!」

「道三様。……貴方様から薫陶を受け、ここまで育てていただいたご恩は忘れませぬ! 御免!」


 先のある馬廻の青年将校たちは、戦場を離脱したのち散り散りになって己の領地へと駆け去っていった。残るは、没落した武家や孤児同然の者、家から勘当されたはみ出し者たち。

 彼らは道三が面倒を見て来た子飼いの武将だった。まだ幼い顔立ちの者も多いが、逃げられなかったことを悲観している者はいない。


 彼らの顔は大恩ある主君と共に最後まで戦えることを誇りに思っているようだった。

 その彼らとは対照的な表情を浮かべる斎藤道三。ある種の諦念を感じさせる。


「ここで儂の国盗りは終わるか。婿殿も間に合うまいな。だが、それで良い。このような戦で損耗している場合ではないからの」


 尾張国の婿殿に思いを馳せるが、本心は嫁いだ娘を思っていたのかもしれない。彼の顔には諦めの様子が消え去り、微笑みをたたえていた。


「儂は乱世の梟雄 斎藤道三なり! その名に恥じぬ死に毒花を咲かせてみせようぞ。全軍、突撃!!」


 意を決して突撃の命を下す斎藤道三。ともに従う数十騎の騎馬武者たち。

 そして彼の顔は乱世をしぶとく生き残ってきた戦国大名の顔となっていた。



 明智城へと戻った明智光秀らは、従者たちへ荷造りを命じるとともに、家族へ事情を説明し、各自、城からの退去の準備を命じた。

 付き従う武将は明智秀満と明智光忠のみ。他は女衆を含む家族と郎党。


 緊迫する情勢に持ち出せた荷は少なく、それは、これからの逃避行の厳しさを物語っていた。

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