08


長旅の疲労でダウンしたハンクは昏々と眠り続け、目を覚ましたのはそれから5日後の昼過ぎだった。

部屋に家主の姿はなく、吹雪いているせいで室内は暗い。


「手紙…?」


なんとなくベッドに腰掛けたままぼんやりしていると、サイドテーブルに、まだ仄かに温かいシチューとロールパンが手紙と一緒に置かれていることに気が付いた。


『この手紙を手に取ったということは、目が覚めたんですね。いちおう言付けていきますが、すぐ戻るので外には出ないでください。あと食事ですが、食べられたら食べてくださいね』


2つ折りの手紙を開くと、そこには──家主らしい簡潔な伝言が綴られていた。


「食べるものまで用意してもらえるとは…ありがたい」


まだ少し会話を交わした程度だが、エマの心根の優しさを感じとったハンクはこの世界に来てから初めて相好を穏やかに弛めた。

彼女は本当に優しい、そして義理のある女性ひとだ。なにしろ、同族だと言って突然現れたあげく倒れた他人を何日も丁寧に看病してくれたのだから。


几帳面な文字で書かれた手紙からは純粋な心配と慮りが感じられて、ハンクは(癖で)引き結んでいた唇を弛ませた。

休息を摂ったのが良かったのか、疲労感は嘘のように消えている。それに加えて、今までなりを潜めていた空腹感が強く込み上げてきて…匂いに誘われるがままに柔らかく仄かに甘いロールパンを口いっぱいに詰め込み咀嚼する。


────バターーン…ッ!


シチューもあっという間に食べ終えて、ようやく人心地がついていると、玄関扉が勢いよく開いた。


「お、起きてるっ…!?」


「まあ、お蔭さまでな…」


「良かったあ、やっと気が付いたのね。…ずっと目を覚まさないんだもの、どうなるかと思ったわ」


玄関の戸締りを済ませ、大量の食材や日用品などが詰まったエコバッグをキッチンの床に下ろしたエマは、よろけてソファに不時着するとようやく肩の力を抜いた。


「今まで世話をかけて済まない…ちなみに、俺は何日寝ていたのだろうか」


「今日で5日かな。ねえ、本当にもう大丈夫なの?節々が痛んだり、吐き気はない?」


相当苦労だったのだろう。

微笑んだ彼女の目元にはパンダのごとく黒々とした隈が囲んでいる。


「っまさか、5日間ずっと眠らずにいたのか?!」


驚いて棒立ちになるハンクを、「座れ」と視線が宥める。


「仕方ないわよ。だって、ひどく魘されている人を放置して眠れないじゃない」


傍にいるからこそ感じとれた彼女の魔力は細った灯火のように揺れていた。


「なに…?」


顔色悪くソファにしなだれているエマの傍に寄り添うと、ハンクはそっと額に触れた。

けて生気のない青白い顔に骨ばった体付き。生命活動を送る上で、彼女はあまりにも痩せ過ぎだ。

ほぼ甚大な魔力だけで辛うじて身体を動かしているに過ぎないようだし、まるで生きること自体を諦めてしまっているかのようだ。


「俺の魔力を分けるから、しばしこのままでな…。」


乳白色の淡い光芒と共に掌に点った魔力が、冷たい額に翳され…ゆっくりと浸透していく。


(なんで、この人が必死になってるの。でも、なんだか温かくて……頭がぼうっとする…)


狭まりゆく視界で見たハンクの表情は鬼気迫る-真剣そのもので、エマは胸の奥に少しだけ擽ったさを覚えて相好を弛めた。

そういえば、ハンクとは同族なのだっけ。安心するのは、多分そのせいだろう。

額に触れていた温もりが、今度は頬に触れてくるのが心地よくて、気が付くと彼の大きな掌に頬を寄せていた。


「おっと…」


「…ごめん…」


「いや。こちらこそ夢中で…すまない。気分はどうだ?」


「大丈夫。悪くはない感じ…でも…」


「ん?」


「…不思議ね、ほぼ初対面なのに安心するのは…なぜ…?」


「それは……俺たちが世界に残された、最後のへクセだからだな…」


「……ああ思い出した。初めて会った日に、そんなこと言ってたっけ…」


「うん。しかし…まだ全てを話しきれていない。もう一度話しても構わないだろうか…」


「ダメなんて言わないわ。…だって私にも関係ある話だもん」


「本当か!」


艶やかに笑うエマに完全にときめいてしまったハンクは、鼻同士が触れる距離にまで肉薄すると女性にしては大きめなエマの手を両手で握り込む。


「えっと。その……近いんだけど」


好感を隠しもしないド直球なハンクに、エマも遅れてようやくジワジワと頬を赤らめていく。

薪ストーブの上で真っ赤に熱された薬罐やかんが、二人の会話の間を貫いて一頻り沸騰を報せていた。

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