第100話

 4月24日、火曜日、午前5時。


アルゼンチンの攻略を終える。


ここまで時間が掛かったのは、偶にダンジョンの外に出て、鉱山資源に『抽出』を行っていたからだ。


16体居たユニークは、能力もドロップ品も平凡で、真新しい物は何もなかった。


金箱の中身も、ある程度種類がばらけてはいたが、特に欲しいアイテムはなく、各能力値を上げる品以外は全てポイントに替えた。


通常の世界で『抽出』を繰り返したせいで、ここの銀箱は4312まで減り、茶箱の1693個と共に、後でお仲間さんの誰かに任せる事にした。


魔物も、邪魔でなければ魔宝石が高く売れる存在以外は放置したので、約7000体くらいしか狩っていない。


美冬と珈琲を飲む8時まで、次はカザフスタンを攻略する事にした。



 カザフスタン共和国のダンジョン入り口数は、合計3万4712個。


ユニーク数9、金箱483と、国土の割にパッとしない。


実際、ユニーク全てを狩り終えたが、取り立てて語る程の事もなかった。


自宅に戻り、シャワーを浴び終えると、パジャマ姿の美冬が起き出して来る。


「おはよう。

・・今日は沙織さんの日だね?

彼女、もう大学生くらいにしか見えないね。

お客さんにも驚かれて、色々聴かれているみたい」


「美冬は、あと数年はそういう手間が掛からなそうだな」


「そうだね。

・・でも、私も数十年したら、年齢を尋ねられてそれに答えるのが億劫おっくうになるかもね」


「永遠の18歳とでも言っておけば良いんじゃないか?

サブカルチャーの発達したこの国でなら、きっと受け入れられるだろう」


「因みに、和馬は何て説明するつもりなの?」


「『ご想像にお任せします』だ」


「・・私もそうしようかな」


「形式上の年齢なんて、最早俺達には無意味だろ?

好きに解釈させれば良いさ」


「私、一応は財団の理事長でもあるでしょ?

公式取材を申し込まれた際なんかは、その記事に年齢とか記載されないかな?」


「営利目的でやっている訳ではないし、他から寄付を受ける気もないから、取材など断れば良い。

どうしても会いたいと言う奴らには、圧力を掛けて年齢を伏せさせれば良いのさ。

心配しなくても、その辺りの事は全部落合さんがやってくれるよ」


「そうだね。

彼女にお任せすれば安心だ」


「昨晩たっぷりお相手したから、彼女達も結構若返ってるぞ?

『学生時代に着ていた服なんて、もう持っていません』と、2人とも苦笑いしていた」


「あ、そっか。

私も捨てずに取っておこう」


「美冬はずっとそのままなんだし、関係ないだろ?

流行だってあるだろうしな」


「それもそっか。

でもね、和馬に初めて会った日に買って貰った数着の服は、絶対に処分しないでいつまでもアイテムボックスに保管しておくよ?

・・大切な思い出だもの」


「時間のない朝に、そんな顔してそんな事を言わないでくれ。

・・したくなるだろ」


「今日は駄目。

この間も、休んだ講義の教授に、『君が休むなんて珍しいね』と叱られちゃった」


「まだ数回しか講義を受けていないだろうに、どれだけ存在感があるんだ?

ほとんどの学生は、陸に顔さえ覚えられていないだろうに・・」


「学生には光栄な事だよ。

ご自身の研究の合間に、嫌々講義をされている方ではないという事だからね。

教授と学生、そのどちらの情熱が欠けただけでも、面白い講義にはならないからさ」


「・・耳が痛いな。

仕方ない。

誘惑に耐えるためにも、朝に美冬と珈琲を飲むのは控えるか」


「何でそうなるの?

私、誘惑なんてしてないよ?

裸でうろついたりしないでしょ?」


彼女が自分の腰に両手を当て、頬を膨らませる。


贅沢ぜいたくな悩みなんだが、美しい女性の裸を見慣れ過ぎているせいか、そういった露骨なものより、ちょっとした仕種や表情なんかの方が、俺の下半身には有効なんだよ」


「私が大学を卒業するまでは我慢しなさい。

入学を勧めたのは和馬だからね?」


「・・はい、その通りです。

頑張ります」


「沙織さんに、今の情報を伝えておいてあげる。

彼女なら、そういった事にも対応してくれるだろうし」


「そういった事?」


「イメージプレイって言うのかな?

演技でそれっぽさを演出するやつね」


「・・・。

遠慮しとく」


「何で?」


「そういうのは、飽く迄も自然に感じられるから良いと思うんだよ。

わざとらしいと、却って興ざめする」


「そうなんだ?

沙織さんなら、和馬のために迫真の演技をしてくれそうだけど。

・・私達、朝から何て会話をしてるんだろうね。

高校卒業まで待って貰って正解だったね。

覚えたてだと、こんなに我慢が効かなくなるんだ」


「はは、お互いに気を引き締めないとな」


「そうだね。

・・でも、夜なら良いよ?」


「そこで意志をくじくような事を言うなって」


「フフフッ」



 午前10時、時間通りに吉永さんが尋ねて来る。


「和馬様、麗子さんから系列店についてのお話を伺いました。

お気遣い有り難うございます」


「こちらこそ、もっと早くに思い至るべきでした。

済みません」


「謝らないでください。

負担だけなら、そう大した事はないのです。

ただ、今のスタッフの皆さんに、週休2日と長期休暇を保証するには、いささか調整に苦労するだろうなというだけでしたから」


「吉永さんも、週休2日になさいますか?

店長のあなただけが週休1日というのも、体裁が悪いでしょうし、その1日でダンジョンに入られては、満足に休めないでしょう?」


「いいえ、私が好きでしている事ですから、お仲間さん達とのイベントで店を臨時休業するくらいで大丈夫です。

『自己回復(S)』があるので、疲労が翌日に持ち越されませんし、偶に柏木さんのお店でお世話になってもいますから、今のままで十分です」


「きつくなったら何時でも仰ってくださいね?」


「はい」


「系列店の人員募集と、渋谷のビルの改装工事は5月中には終わらせるつもりでいます。

他に何かご要望はございますか?」


「・・店舗についてではありませんが、それでも宜しければ」


「別に構いませんよ」


「名前で呼んでください」


「は?」


「私も、美冬みたいに和馬様から名前で呼ばれたいです」


「・・・」


「美冬だけでなく、理沙さんや美保さん、南さん達だって、和馬様から名前で呼ばれているじゃありませんか。

どうして私と麗子さん達だけが、名字で呼ばれるのですか?

私達だって、もう全てを許し合った仲ですよね?」


「・・ご気分を害していたのでしたら謝罪致します。

何分なにぶん、吉永さんはずっと以前からのお知り合いでしたし、その頃は、単なる仕事上の関係でしかありませんでしたから、失礼のないようにそうお呼びするのが当たり前で、それをずっと引き摺っておりました」


「ならもう、名前で呼んでいただけますね?」


「分りました。

『沙織さん』とお呼びしますね」


「『沙織』で良いです」


「いや、それはさすがに・・。

僕は大事な人には敬意を表したいので」


「美冬はそうじゃないのですか?」


「・・・」


「そもそも、私に敬語を使う必要なんてありませんよ。

確かに形式上の年齢は私の方が8歳も上ですが、仕事上の立場も、探索者のパーティー上も、将来的には旦那様になる点でも、あなたが私に敬語を使う理由なんてないのです。

世の中には、呼び方に拘る人も多いです。

個人意識が強いのか、自意識が過剰なのかは分りませんが、少なくとも私達2人の間には、そんな他人行儀な遠慮なんて要らないですよね?」


「・・正直に言いますね。

他人に話す際、僕が敢えて敬語や丁寧語を使うのは、品性の問題だけではなく、その相手と距離を置くためでもありました。

親しくなれば、友人や仲間達とタメ語で話す人の存在は見知っておりますが、僕にはこれまで、そんな関係になりたいと思えた人が誰もおりませんでした。

美冬に出会うまでは、理沙さんや南さん達でさえ、好意はあっても何処かに遠慮があって、敬語を使わないという選択肢は存在しなかったです。

僕よりずっと年上でしたしね。

・・一緒に暮らす美冬とは、歳が1つしか離れていないというのも大きいですが、長く共に暮らす内に、僕の本心をごまかせなくなってきたのです。

僕だってまだ人間のつもりですから、時には愚痴や暴言を吐きたくなる事だってあります。

怒りや憎しみを心に溜めたままだと、何れ何処かで爆発する。

ずっと独りで暮らしてた間は、家の中がストレス発散の場でしたが、美冬を迎え入れた後は、そこでも気を遣わねばならない。

そんな僕の内心を読んだのか、将又はたまたボロを出し過ぎたのかは分りませんが、彼女から申し出てくれたんですよ。

『私に敬語を使う必要はないよ』って。

お陰で随分楽になって、美冬には心から感謝しています」


「それなら私にだって・・」


「勿論、美冬に限らず、今ではお仲間さん全員に対して、自分と隔てる壁など持っておりません。

ですが、自身より大分年上の大切な方々に対して、肉体関係を結んだからと言って、それまでの話し方からいきなり変えるのはあまりに拙速ではないかと・・。

それに、僕の発する愚痴や暴言が、人に聴かせて気分の良いものではない事くらい、ちゃんと理解していますからね。

彼女には、その点でも甘えまくっているので、最早頭が上がりません。

沙織さんを初め、他の方々にそういった姿を見せるには、まだもう少し時間が必要なのです。

本心から出た言動だったとはいえ、最初に良い恰好をし過ぎたせいで、その落差に幻滅されると辛いですから」


「幻滅なんてしませんよ。

私の現状を知りながら、無条件で手を差し伸べてくれた人はあなただけです。

多大な援助を施してくださりながら、何の見返りも求めなかったばかりか、その後の生活まで心配してくださったじゃありませんか。

・・私だって、表には出さないだけで、内心では結構酷い事を口走る時もありました。

スパで垢すりのバイトをしていた時は、僅かなお金をチラつかせてスケベ心満載で迫ってくるお客に、笑顔で執り成しながらも、決して人には言えないような事を毒づいていましたよ?

あなたに拾って貰えて、最早誰からも好かれる必要などないと、やっとそう考えられるようになって、少しずつ、自分を表に出せるようになりました。

しつこいナンパを撃退する際には、美冬にも呆れられるくらいに辛辣しんらつな言葉を吐いちゃいますしね。

・・人の価値は、その言葉よりも行動にあると私は思います。

どんなに丁寧でまともな事を話していても、いざという時にそれが実践できないようでは何の意味もありません。

『君を護る』とか、『絶対に幸せにする』とか言いながら、ダンジョン内で強敵に遭って真っ先に逃げ出すとか、避妊もせずに抱いておきながら、子供ができるとたちまち姿を消すなんていう男は、私的にはごみと同じです。

・・お仲間の皆さんは、何れも素晴らしい方々です。

容姿だけではなく、自己の優先順位を明確にして、そこからブレない強さをお持ちです。

そんな方々にあれ程慕われる和馬様は、もっと自信を持つべきです。

あの方々に選ばれたあなたご自身を、もっと誇っても良いと思います。

少なくとも、私達の中には、言葉遣いが乱れたくらいで幻滅するような人は誰もおりません。

皆、あなたの努力を知っているからです。

他にいないと思いますよ?

私達を抱きながら、時間だからとダンジョンに向かう人。

もう少しだけとお願いしても、意識を飛ばして行ってしまうのですから」


「それは本当に申し訳ありません。

世界中の金箱を取り切るまでは、サボらずに頑張ろうと決めたので」


「フフッ、残念です。

もしかしたら今夜、少しおまけしてくださるかな、なんて・・」


「・・・」


「ね、私も結構狡いでしょう?」


「1時間だけの延長なら・・」


「フフフッ、有り難うございます」

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