第93話

 3月20日、火曜日。


午前4時くらいに落合さんの部屋から自宅に帰って来て、2時間の睡眠を取り、珈琲を飲みながら美冬からの連絡を待つ。


7時くらいに念話が送られてきたので、直ぐに美冬を迎えに行き、彼女が入浴している間、パソコンで株式のチェックや注文を済ませる。


「どうだった?

落合さん達も少し若返ったの?」


素肌にバスローブだけを羽織った美冬が、乾かしたばかりの髪から良い香りを放ちながら、俺の淹れた珈琲を口にする。


「いや。

昨日だけでは無理だった。

やはり彼女達には刺激が強過ぎて、俺が放つ前に意識を飛ばしてしまう事が多かったから・・」


「私の時みたいに、和馬の物で強制的に起こしたりはしなかったんだ?」


ニヤニヤしながら、少し嫌味を言われる。


「だからそれは御免って。

俺も初めてだったから、そこまで気を遣ってやる余裕がなかったんだ。

美冬の中が気持ち良過ぎたんだよ。

・・それに、そうしたのは最初の1回だけじゃないか。

あの後、何度も謝っただろ?」


「フフフッ、冗談だって。

びっくりしたけれど、怒ってなんかいなかったしね。

余裕のない和馬の顔なんて初めて見たし、良い経験だったよ。

・・私だけが知ってる、和馬の顔だね」


「・・俺は快楽でもだえ狂う美冬の顔を何度も見たけどね。

だらしなく開いた口許から、よだれ垂らしてたし。

・・俺だけが知る、美冬の顔だな」


くやしいので少し挑発してやった。


「むむむ。

かわいくない!」


わずかに眉をしかめながら、語彙の乏しい女子高生のような事を言う。


「今日が戦いの沙織さんに、かたきって貰おう」


「彼女も初めてなのを忘れてないか?」


「そうだった!

大人の雰囲気に満ちているから、忘れてた。

・・優しくしてあげてね?」


「勿論」


「10時に尋ねて来るんだよね?

9時半までには支度するから、彼女が来る前にブラジルに送り届けてね」


「了解」




 「珈琲で良いですか?」


10時ちょうどにやって来た吉永さんに、飲み物を尋ねる。


「家で飲んできましたので、何も・・」


「もしかして、緊張してます?」


「済みません。

昨日の朝までは楽しみで仕方なかったのですが、午後に急遽きゅうきょ来店なされた南さん達お二人が、『心して臨んだ方が良いわよ』と仰っていましたので・・」


「理由はお聴きしていないのですか?」


「さすがに店内で話す事ではございませんので。

SNSでも、私達の秘密に関する内容は、管理者に覗かれないよう控えておりますから」


「では先にそれをお教えした方が良いですね」


美冬を入れれば四度目になる説明なので、よどみ無く話して聴かせる。


「・・・」


やはり呆然としてしまった。


無理もない。


幾らこれまでにも非常識な事を繰り返してきたとはいえ、肉体年齢が若返るとか、5000万年も寿命があるなんて話を、簡単に信じる方がおかしいのだ。


「・・その間、僕にずっと寄り添っていただけますか?」


少しを置いて、恐る恐るそう尋ねる。


吉永さんとの付き合いは、スパでの垢すり時代を入れれば、仲間内で2番目に長い。


その頃はまだ事務的な付き合いでしかなかった理沙さんに比べ、彼女とはほぼ最初から打ち解けた会話ができていたから、拒まれると余計に辛い。


「勿論そのつもりです。

そこは決して譲れない一線ですから」


直ぐに気を取り直したらしい彼女が、力強く断言する。


「私がほうけていたのは、5000万年という時間の長さを明確に想像できなかったからです。

10年先でも難しいのに、そんな時間を過ごしている自分自身の姿を、他ならぬ私が、全く思い描けずにいたので・・」


「そうですよね。

僕だって無理です。

なるようにしかならないと、開き直っていますから」


「でも、悪い事ではありませんよね。

和馬様と一緒に、それだけの時間を過ごせるのですから。

・・寧ろ、段々と楽しくなってきました」


いつもの穏やかな笑顔に戻っている。


「あの、今日は1日中和馬様を独占できるのですよね?」


「はい。

明日の朝5時くらいまでは大丈夫です」


美冬は今日も1日中ダンジョンに籠り、明日の朝6時過ぎに念話を入れると言っていた。


今ではもう、余程疲れない限り、彼女も4、5日は寝ずにいられる。


「・・じゃあそろそろ、私の部屋にいらっしゃいませんか?」


「そうですね」


玄関で自分の靴を持った吉永さんと共に、彼女の部屋に転移した。



 分厚いカーテンがしっかりと閉じられた寝室の中で、吉永さんの口から漏れる呼吸の音が、いやに大きく聞こえる。


時折そこに、悲鳴にも似た叫び声が混ざり、それが治まると、室内に一時いっときの静寂が訪れる。


汗と体液の匂いに混ざって、吉永さんが部屋の隅に設置した香炉から漂う、京都の桜をベースにした良い香りが、部屋の中に充満している。


ベッドのきしみと、肉を打つリズミカルな音が、それらの要素により深い官能性を持たせる。


体位を変える際に途切れる嬌声が、そこで現実に行われている行為を否応なく連想させる。


始めてから14時間以上が経過したが、吉永さんが俺を抱き締める両腕や、動きを抑えようとして無意識に絡みついてくる両足には、まだほんの少しだけ力が残っている。


より長く俺に楽しんで欲しいという彼女の要望で、始める前に、精神力を上げる品だけを7個も食べて貰ったからかもしれない。


七度目となる俺の放出を体内に受けた彼女は、俺を持ち上げるように弓なりに身体をらせ、暫く痙攣けいれんした後、到頭そこで力尽きた。


「・・お疲れ様でした」


充実した時を与えてくれた彼女に感謝し、そっと身を離す。


絹のような肌触りの薄いかけ布団を、隣に眠る彼女の胸元まで掛けてやる。


それから静かに目を閉じて、つかの間の眠りに就いた。



 唇に僅かな湿り気を感じ、まぶたを開く。


視界一杯に広がる、吉永さんの穏やかな瞳。


「済みません。

起こしちゃいましたね」


髪を押さえながら身を起こす彼女の、大きな双丘が目の前で揺れる。


「身体はもう大丈夫なんですか?」


「全身に力が行き渡るにはもう少し時間が必要ですが、こうしてあなたに寄り添う分には・・」


「結局、吉永さんに無理をさせてしまいましたね。

・・済みません」


「違いますよ。

私があなたを放さなかったからです」


腕枕ではなく、胸の上に頭を載せてくる。


「幸せでした。

・・この時間がずっと続けば良いと思えるくらい、心身共に満たされていました。

癖になりそう・・いいえ、既に夢中になってますね」


胸のあちこちに、軽いキスの雨を降らされる。


「もしかしたら1歳くらいは肉体が若返っているかもしれませんが、吉永さんは元からお若いので、僕には判断がつきません」


「フフッ、お世辞を言っても許してあげません」


更にキスの攻撃にさらされる。


「そんなにされると、また襲ってしまいますよ?」


「・・そうされたいのは山々ですが、残念ながら、それには少し時間が足りませんね」


ベッドサイドの電波時計に目を遣ると、既に午前4時を過ぎている。


「私が何度も気を失ってしまったから・・。

もう少ししたら、浴室でお身体を洗って差し上げます」


再度、俺の胸に頭をもたせ掛けた彼女が、静かに言葉を紡いでくる。


「これでもう、私は和馬様の女ですよね?

身も心も捧げた私は、あなたの妻の1人に加わっても良いですよね?」


「当たり前じゃないですか」


「・・私には、他の皆さんと違って学歴が有りません。

育ってきた家庭も、途中で崩壊してしまいました。

人より優れているかもしれないと思っていた容姿も、美冬を初め、お仲間さん達の中に入れば、平凡になってしまいます」


「僕は、将来を共にする女性を選ぶ際に、学歴を考慮しません。

僕なんか中卒なんですよ?

学歴は、専門的な仕事をお任せする上での条件や参考にはなっても、人を側に置く判断基準にはなり得ません。

『育ち』だってそうですよ?

僕は偶に、態度の悪い人間を『育ちが悪い貧民』だと馬鹿にしますが、それは単にその人の生まれ育った家庭環境をけなしている訳ではなく、その人物個人の心の有様、素行の酷さを揶揄やゆしているだけに過ぎません。

経済的に貧しかろうが、親に恵まれなかろうと、そこから何とかして身を立てるべく誠実に努力を積み重ねてきた人物なら、寧ろ尊敬に値します。

容姿の優劣は見る人の好みもありますし、恋人や配偶者を選ぶ際の判断足り得ますが、僕の場合は、外見だけが優れていても魅力を感じません。

そこに心の美しさ、仕種の可憐さや言動の適切さが伴って初めて、『良いな』と思えるのです。

必要なら、何度でも言います。

吉永さん、あなたは美しいです。

日頃の穏やかな表情も、お店で施術をする際の真剣な眼差しも、僕に抱かれている時に見せる妖艶な顔ですら、『良いな』を連発したくなります。

だからどうか、そんな悲しい事を口にしないでください」


吉永さんが、おもむろに身体を起こす。


その顔が、悪戯いたずらを思い付いた子供のように輝いている。


「後で一緒に、美冬に謝ってくださいね?」


濃厚なキスをされた事を合図に、再び2人だけのボディートークが始まる。


案の定、美冬から念話が送られてきた時、まだ行為の真っ最中だった。


『今、少し大丈夫?

そろそろ迎えに来て欲しいんだけど』


『・・御免。

あと30分・・だけ・・待って・・くれ』


『・・別に構わないけど、何で思考が途切れ途切れなの?

今、何かやってるの?

・・もしかしてまだ!?

御免、また後で連絡するね!』


それから約30分後、洗った髪を陸に乾かしもせずに、慌てて美冬を迎えに行った俺。


生暖かい眼差しと、『帰ったら感想を聴かせてね』という彼女の言葉に、苦笑いするしかない俺だった。

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