第9話 誰が見張りを見張るのか

 ――俺たちは、のか? と、ライカンは言った。


 光の妖精を裏切る前、ライカンはそれまでと様子が違っていた。真面目で忠義に厚かったのに、冷笑的でふざけた性格になっており、多くの仲間が疑問に思った。


『なにかあったの?』


 リリウムが聞いた時、ライカンは狼の口元を緩ませた。


『人間界で、男女の人格が入れ替わる映画を見たんだ』

『人間界に行ったの?』

『俺ぁ思ったね。人間が脳みそで考えているとしたら、入れ替わった後、男は、自分が男だと、どうやって認識しているんだって。自分は男だ、と、女の脳で考えるんだぜ』

『作り物の話ではなく、私は……』


 ライカンは、金色の目を細め、大口を開けて笑った。


『リリウム、俺が俺でないとしたら、俺は誰だ?』

『あなたはライカンよ。だから聞いているんでしょう、なにかあったの?』

『何もないさ。俺がライカンなら』


 その仕草の全てが、ライカンのものではなかった。


『しかしリリウム、もし、自分と誰かの身体が入れ替わってしまったら、その精神は、異なる脳の思考と異なる身体と、全てに耐え切れず……狂ってしまうだろうな』


 以前は無口だった男が、笑いながら、歩いていくのを見た――



 灯台は、音を立てて崩壊した。


 夜空に雷が走る。稲光と雷鳴は同時。落雷によって木々は燃え、ジャングルのような林に燃え広がっていった。鳥獣の鳴き声が響き渡り、もうもうと煙が立ち込める。


「かのちゃん、ライカンって……!」


 木から木へと跳び移りながら、由乃よしの』が叫んだ。


るいが、教えてくれたわ。いま、累の姿をしているのは、ライカンだって」

「累ちゃんが?」

「ええ。累は、ライカンと入れ替わってしまったようだった。だから……」


 目の前に雷が落ち、轟音と共に大木が砕ける。


「――だからと言って、リリウム」


 帯電し、電磁波の膜のようなものに覆われたは、ふわりふわりと浮きながらたちの前に現れる。いつかのライカンと同じ、冷笑的な笑みを浮かべていた。


物集目もづめ累の肉体と頭脳を持っているなら、それは、物集目累ではないのか?」

「違うわ」

「この計画にしたところで、物集目累が作ったものを、俺はなぞってるだけさ」

「違う!」


 タクトを構え、は魔力の刃を放つ。三連。コンクリートも抉る刃は、しかし、を覆う膜一つ破けずに弾けて消えてしまった。


「累は、尾裂おさき堂で話してくれたわ。発電所のように、局所的な次元の結び目を作っていくことで、徐々に世界を変えていく方法を。こんな危険なやり方はとっていないわ」


 由乃とは左右に分かれ、同時に拳を構えてへと跳びかかった。


「リリウム。局所的に作れば、持つ国と持たない国の差を生み、争いを劇化させる」


 魔力を帯びた拳が、同時に左右から膜へとぶつかる。魔力の波が迸り、周囲から煙と炎を一掃した。二つの拳は両方とも、徐々に膜を押し込み、へと近づいていく。


「それでも、次元を融合させることによる被害より、ましよ!」

「そうかな? 世界に人間は多すぎるし、技術の革新は必要性の中で生まれてきた。数億人の死者や、都市の崩壊、地域の汚染などがあったとしても、それは新技術の浸透と発展に寄与するのではないか?」

「あなたは、命を犠牲にしすぎる!」

「ああ。より強く、愛ある世界のためにね」


 膜が破れると同時、累の左右の手がそれぞれと由乃の頬を平手で打った。ただのビンタ。けれど、途方もない魔力が篭っている。たちはきりもみ回転をしながら地面に激突した。


「っ、嘘をつきなさい。あなたは、ただ面白半分でしか考えていないわ」


 地面に打ち付けられながら、はすぐに立ち上がってを見上げる。


「その考える脳みそが物集目もづめ累なんだぜ、リリウム」

「そんなジョークに、世界を巻き込むわけにはいかないわ」


 煙は強くなっていく。生木は燃え、火のついた甲虫が空へと飛んでいった。月を覆うようには宙に浮かんでおり、は黒煙の中、それを見上げている


 同じく立ち上がった由乃が、そっと、私に耳打ちをした。


「……わたしのタクトを、使ってください」


 タクトを握らされ、問い返そうとした次の瞬間、由乃は飛び出した。


「わたしは、累ちゃんを疑ってしまいました。だから!」


 由乃はこれまで、魔法少女として活動を完全に止めていた。

 光の魔法少女のように、飛びぬけた魔法を持っているわけでもない。戦いは苦手で、運動神経はなく、ただ植物が好きで、研究をして、恋をして、子供を産んで。


「――フラワーストーム」


 由乃の身体が、風に吹かれた桜の花びらのように、ざぁっと解け、夜空に舞いあがる。

 の周囲20メートル。桜色に染まった空間の中で、電磁波の膜は消え去り、放電は弱まった。こんな大技、タクトを手放して行えば、元の肉体に戻ることさえ。


 だから。


「ライカン!!」


 由乃のタクトを解放したは、桜色の魔力をまといながら、へ向かって跳びあがった。月に向かって飛ぶ兎のようだ、と、ふいに思った。


 もっと高く。もっと速く。


 潮風が吹く。煙が流れ、銀色の髪も流れる。地面からは炎が照らし、上からは月明かりが照らしていた。目を見開き、拳を振り上げ、を捉えるを。


 桜の花びらの中へと飛び込み。


 友人の、仲間の、年下の少女の細い体を、その拳で撃ち抜いた。の白衣が鮮血に染まる。口から血を吐きながら、へと見知った顔を向けて――


「なあ、この戦いに……意味があったと思うか?」

「……どういう意味?」

「だってよ、次元融合のシステムは――三十五分前に、もう起動しているんだぜ」


 周囲を舞う桜の花びらが、輝きとともに消えていった。

 夜空を、泡立つ粘液が埋め尽くす。海が、極彩色にきらめいた。狂おしい金管楽器の音楽が鳴り響き、地面が波打ち、甘い、なにかが腐ったような匂いが広がっていく。


 すべてが融け合い、二つの次元が重なっていく中。


 どくん、と、の心臓が最後の鼓動を打つのを、感じた。

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