第17話へぇ~あの人が……
まだ僕が新人だった頃の話。
誰にでもあるような些細な失敗を、何度も繰り返し、その度に嫌という程課長に叱られてきた。
課長45才、僕20(ハタチ)。
年の差25もある、この親子のような遣り取りーそういうことにしておこうーも、他の社員達にしてみれば、日常茶飯事な光景にしか映らない。
こんな事が続けば、当然気が滅入って会社へ行きたくなくなるし、親にも自信たっぷりに“一人で暮らせる!”と告げた手前、実家に戻れないでいた。
家賃だって、稼がなければ手に出来ないし、何よりも好きで入社した会社だから、辞めるという考えが起きない。
そんな日が続いた、ある日の午後。
20階にある会議室に向かう為、広いエレベーターに乗ろうと、3階の青い絨毯が敷いてある廊下で、資料を見ながら待っていた。
いつもの不安をちらりと時計を見る仕草で紛らわす僕。
しかし、いつまでも不安がっていても仕方がないので、取り敢えず“もうそろそろ行くぞ”と、やる気のない自分に言い聞かせ、昇りエレベーターの扉の前まで歩み寄った。
“チーン”となった瞬間、扉が左右に開いていく。
それにタイミングを合わせて足を一歩踏み入れたその先に、僕は見てはいけない
そこには澄まし顔の課長がいる。
小太りで、決して運動が得意ではないように見えるその姿に、張り付いていたもの……
それは、薄緑色の顔パックだった。
一瞬怯んだ僕だったが、これに乗らないと打ち合わせに間に合わないことが分かっているので、引き攣ったーと思われるー笑顔を浮かべ、急ぎ足で乗り込む。
幸い、僕と課長の2人しか、そのエレベーターに乗っていなかったが、一度笑えば叱られる光景がすぐにでも目に浮かび……
僕はこれ以上、隣りに立つ課長の顔パックを目にしないようにしようとする為、素早く俯いた。
だが、運悪くその行動を見てしまったようである。
課長は何食わぬ顔で、“何故、俯いているのか?”と訊ねてきた。
僕は課長と目が合うのが怖くて、そのままの状態で右手を上げ、恐る恐る顔パックを指差す。
失礼だと思ったが、しかし顔を見て吹き出すよりはマシだろう。
指を差された課長の頭は、矢張り頭の回転が早く、僕がやっているこの動作の意味を、逸早く理解してくれたようだ。
課長は、今日使用する資料を股に挟み、空いた両手で顔を2・3度叩く。
そして、何かが貼り付いていることにようやく気付いたのだろうか?
「顔パック、外すの忘れた!」
“これで5回目だ……”と、あっけらかんとした態度でいいながらパックを剥がし、それをポケットに押し込む。
“はぁ……”と、溜め息を吐く課長の姿など初めて見た僕は、一瞬何故顔パックを付けていたのかと問いたかったが、すぐに止めた。
また“余計なお世話だなんて言われたくなかったからである。
しかし、その心情ををも察してくれたようで。
「うちの娘に、働き詰めで大変だろうとは思ったけど、少しは肌を労ってと言われてね。1ヶ月前から始めたんだが、これが意外と気持ち良くて、付けているのを忘れてしまうのだよ」
「……そう、ですか」
僕は笑いを何とか堪えて、たった一言そう言って
「課長思いの娘さんですね」
と、お世辞に近い言葉を付け足す。
「……可笑しいなら、笑ってもいいぞ?」
「……」
その台詞と同時に、まるで“お遊びはここまでです”と言わんばかりに、エレベーターの扉が音を立てずに開いた。
「さぁ、打ち合わせが始まるぞ!」
「……はい」
“課長の元気の源は、この顔パックのせいか”
僕は内心で呆れた口調で呟き、先を行く晴れ晴れとした課長の後ろ姿を追う。
あれから10年が過ぎ、課長に昇進した僕は、部長になった彼と最強のタッグを組み、日々の仕事を楽しんでいる。
令和3(2021)年5月17日6:50~5月22日7:22日作成
Mのお題
令和3(2021)年4月9日
「エレベーター、打ち合わせ、顔パック」
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