第45話 ウォークラリーの途中で

 周囲の景色。それが、地元とは一変していた。周囲は三百六十度の壮大なパノラマ風景で、雄大な山脈の稜線を境に、蒼空と新緑がはっきりと分かれている。そんな大自然と呼ぶにふさわしい光景の中に、目的地の宿泊施設があった。


 碧央学園一年生御一行様を乗せたバスが、続々とその駐車場に到着している。次いで、下車した生徒達は、すぐにそれぞれの荷物を施設内の部屋へと運び込んでいた。


 その後、用意されていた昼食を摂ってから、入所式を執り行う。それからしばらくの休憩を挟むと、早速今日の日程が開始されていた。


 一日目の主な行事は、生徒達が各班に分かれて行うウォークラリーだ。事前に組まれていた仲間達で山間部の遊歩道を進みながら、その結束を深めることを主目的としていた。


 やがて、乙葉達のクラスにも順番が回ってきて、最初の班から順次出発をする。特に瑠理愛が必要以上に息巻いており、率先して仲間達を先導していた。


 それを見送ったあと、乙葉と京華の班も動き出す。二人も同じクラスの他の女子達とパーティーを組んでいるが、最初は違和感がかなり強かった。ただ、運よく仲間にも恵まれ、問題なくコミュニケーションが取れている。短い期間ではあるが、これなら他の行事も共同生活も無難に乗り切れそうだった。


 そんなウォークラリーも道のりの半分以上が過ぎて、そろそろ班員達の集中力も落ちてきている。そのタイミングを見計らって、乙葉と京華は敢えて他の仲間達から遅れ始めていた。


 二人で一番後方に下がりながらも、ゆっくりと歩み続ける。会話が聴こえない程度に、少しだけ皆から距離を取っていた。


 その後、乙葉が念のため小声になってから、隣に語り掛ける。

「——それで、新田さんから何か返事はあった?」

 既に、京華が何らかのアクションを起こしていることは知っていた。その結果を尋ねていたのだが、隣から色よい返事はない。


「いや、まだ何も……いつもより反応が遅いんだよな」

「……いきなり突き放したりはしてないよね?」

 乙葉が敢えてその確認をしていると、京華は少し不満げな表情になっていた。


「当たり前だ。この件に関して……向こうは何も悪くないんだからな」

「分かってるならいいんだけど……」

 と、乙葉は親友を少々見くびっていたことを反省する。すると、ここで京華が急に話題を切り替えていた。


「あ、そういえば」

「?」

「比奈のメールで思い出したんだけど……淵北ふちきたのことは覚えてるか? 中学時代に一年間だけ同じクラスだったあいつ」

 この確認に、一方の乙葉は何やら視線を泳がせながら反応。


「あ……あー……」

「ま、忘れるようなタイプじゃないんだけどな」

 京華がそう断言していると、乙葉は顔を戻しながら素直な本音を呟いていた。

「どっちかというと……苦手なタイプかな」

「得意な奴なんて、いなかったと思うぞ。とにかく、ただウザいだけの奴だったからな」


 親友が過去を思い出しながら、何やらげんなりしている。ただ、一方の乙葉はこの話題になったこと自体を疑問に思っていた。

「それで、その淵北君がどうかしたの?」

 すると、京華が小さく手を叩く。


「あ、そうそう。以前に届いた比奈のメールに書いてあったんだけど、あいつ……なんか高校デビューで、はっちゃけたらしいぞ」

「え……」

「なんかもう……色々と派手になってるらしいな。それで、先輩方に目をつけられて、いきなりボコられたらしい」

「うわ……」


 乙葉がそのシーンを想像して、思わず身震いしている。そんな様子は気にせず、京華はなおも語っていた。

「それでも、元に戻る気はないらしいぞ。だから、もう昔の面影は全く残ってないんだとさ。多分、街中で偶然出会っても、全然分からないだろうって」


 ただ、この言及には、乙葉が小さな苦笑をする。

「その点については……私達も同じだろうけど」

「……あ、それもそうか」

「意味は全然違うけどね」

 乙葉が敢えてその点を強調していると、一方の京華は視線を進行方向に戻しながら、何気ない感想をこぼしていた。


「男に戻れないうちは、もうあいつに絡まれることもないとか……それはそれで、ちょっと複雑だよなー」

 そんな一連の雑談に区切りがついた時のことだ。


 前方から——

「——あ! 敷嶋さん!」

 と、同じ班の仲間の声が。

『?』

 乙葉と京華が同時に意識を向けると、道の途中で見覚えのある小柄な女子が休んでいる姿が確認できていた。


 一方の瑠理愛はこの班の視線を一斉に浴びて、思わず怯んでいる。

「……あ、岡田さん達……」

「どうしたの? 一人?」

 リーダー格の女子にそう聞かれると、学級委員は気まずい様子で視線を逸らしていた。


「う……ちょっと……調子が悪くなって。皆には先に行ってもらったの……」

「……そうなんだ。無理しないでね」

「う……うん」

 瑠理愛は小さく呟いて、その集団を見送っている。ただ、その後方にはまだ乙葉と京華が控えていた。

「……あ」

 と、瑠理愛が二人に気づく中、京華が傍で立ち止まってからしみじみと語る。


「委員長も大変だよな。背が低いと、必然的に歩数も多くなる。山道の傾斜も他人よりきつくなる。体力の消耗が激しくて、他の面子についていけなくなったんだな」

 この核心を突いた指摘に、相手が沈黙している。一方の乙葉も状況を理解して心配そうに見つめていると、ここで京華が何気ない提案をしていた。


「フォローした方がいいか? 歩くの」

 ただ、これを聞いた瑠理愛は強気な眼差しを向ける。

「……いいの、水城浦さん」

「うん?」

「これは……私に課せられた試練。この苦難を乗り越えた暁に、私には魅力的な大人の女性への扉が開かれるの……!」


 拳を握って何やら力説していたが、傍で話を聞いていた乙葉は返答に窮していた。

「……そう……なのかな……」

 だが、隣の京華は気にせず額面通りに受け入れる。

「おー。立派な心掛けだ」

「そう……でしょ?」

「じゃあ、俺達も先に行ってるから。頑張ってな」

「……うん……」


 そのまま学級委員を置いて先へと進んでいたため、一方の乙葉は慌ててそれに続きながら、小声で呟いていた。

「……なんか……頑張る方向性が間違ってるような気も……」

 これを耳にして、京華は少し真面目な顔になる。

「本人がそう思い込んでいるんだ。今はそっとしておこう。少なくとも、今日の最大の関門を過ぎるまでは」


 この目前に迫った現実問題に、乙葉も反論の余地はなかった。

「そうだったけど……」

 無論、例のお風呂の件だ。乙葉の場合は、そこに輪をかけて話が複雑なっている。まだ何が起こるか分からないため、瑠理愛の機嫌を損ねるような行為は厳禁だった。


 それでも、乙葉は彼女を置いて行くことを気にしている。道の途中で思わず振り向いていたが、結局何もできなかった。




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