第22話 弓道部の部長
乙葉と京華が目指した弓道場は、学校法人の敷地内の最も外れにあった。隣には武道場もあり、日本古来の伝統武芸はこのエリアに集中しているらしい。二人は屋内から届く気合の入った掛け声をいくつも耳にしながら、目的地に辿り着いていた。
すると、弓道場の前で複数の人影を発見する。大多数は乙葉達と同じ新入生で、ゴム弓と呼ばれる簡易的な道具を不器用に構えていた。二人はまだ知らないが、弓道部員はあれで基礎的なフォームを練習することになる。この中の何人が本気で入部するのかはよく分からなかったが、初々しい光景がそこに広がっていた。
ただ、京華は少し離れた場所で立ち止まると、素直な感想をこぼす。
「……うん。地味だな」
この物言いに、同様にしていた乙葉が即座に反論していた。
「最初はどこも同じだよ。野球部やサッカー部は球拾い。吹奏楽部はマウスピースから。他も似たようなものだって、知ってるでしょ?」
「そうなんだけどなー」
そんな何気ないやり取りをしていた直後——
「——あ!」
と、視線の先にいた弓道部員のうち、一人の女子が二人の姿を確認して駆け寄ってくる。後頭部でポニーテールを作っており、その全身には弓道着を着込んでいた。
「もしかして……水城浦さんと和泉さん?」
この問い掛けに、乙葉が代表して答える。
「……はい。そちらは、もしかして……」
「うん! 兄さんから聞いてると思うけど、ここの部長をやってる二年生の
やはり、悠馬の実妹だったようだ。おそらく、外で入部希望者に直接的な指導をしていたのだろう。最初に出会った部員が当事者であることは非常に都合が良かったが、乙葉は相手のその勢いに不安も感じていた。
「まずは見学のつもりですが……」
とりあえず、そんな前提条件を示してみる。すると、文奈は朗らかな笑顔でその憂慮を吹き飛ばしていた。
「構わないよ。前向きなら大歓迎。あ、一緒にゴム弓やってみる? そんなに楽しくはないかもしれないけど」
その親身な様子を見て、二人は揃って安堵する。次いで、乙葉の方がこの機に詳細を確認しようとしていた。
「それよりも……話はどこまで聞いているんですか?」
少し緊張感をもって尋ねるが、相手の様子に変化はない。
「話? 兄さんと同じ認識だと思ってくれていいよ」
『!』
「それに、色々と都合をつければ、部の予算を優遇してくれるみたいでね。だから、二人が入ることは、この部にとっても好都合なの。絶対に嫌な思いはさせないから、仮入部と言わず、是非うちの部に入ってよ!」
どうやら、裏表のない人物のようだ。それが本音であることに偽りはないらしい。そのことを理解して、乙葉は隣へと端的に聞いていた。
「……どう思う?」
すると、京華が思わず口を滑らす。
「……打算を敢えて口にする人間の方が、信用はできるかもしれないけど」
「京華……!」
「あ……」
本人も自身の少々失礼な物言いに気づき、慌てて口を塞いでいたが、一方の文奈はその失言を一笑に付していた。
「大丈夫だよ。入部してなければ、まだ部外者だしね。全然、気にしてないから」
この大人の対応に、乙葉が率直な感想を隣に向ける。
「……器の大きい人だよね」
すると、京華も相手の人柄に興味をもったのか、前向きな気持ちになっている様子だった。
「……とりあえず、話を進めようか」
この言動の直後——
「——ありがとう!」
文奈が感激して二人の手を取る。
『!』
その熱い反応に乙葉も京華も少々困惑していたが、当の本人は構わずに次の段取りへ移ろうとしていた。
「じゃあ、早速、私が直々に道場を案内するよ! 見学が終わったら、また二人の意思を改めて聞くからさ。場合によっては、そこで必要書類に記入をしていってよ! お茶やお菓子も出すからさ!」
ただ、この最後の提案には、乙葉が周囲の視線を気にする。
「いや、あんまり特別扱いをされると、他の一年生の目が……」
「あ……そうだよね。余計な火種を作るべきじゃないか……うん。ここからは普通に道場を案内するけど、何か疑問とかあったら気兼ねなく聞いてね」
一方の文奈もすぐに方針転換をしてから、改めて道場内へ足を向けようとしていた。
が——
「——あ、そうだ。こっちからも、一つ聞きたいことがあったんだ」
と、急に立ち止まり、真剣な顔を向けてくる。
『?』
一方の乙葉と京華も同様にしてから首を傾げていると、文奈は二人に詰め寄り、ある確認をしていた。
「二人って、あの水城浦家の関係者なんだよね? 近親者だっていう話を兄さんから聞いたんだけど」
この認識は事実と多少異なるが、これは設定によるものだ。京華が水城浦家の直接的な令嬢という話になると、過去の記録と齟齬が生じてしまう。それが発覚することを未然に防ぐため、そういった捏造が行われていた。
和泉乙葉に関しても同じ理由から、遠い親族という設定になっている。これで万全という訳ではなかったが、何も問題が起きなければ、このまま行く予定だった。
京華がそんな欺瞞を思い出しながら、小さく頷く。
「まぁ……そうですけど」
すると、ここで文奈はさらに近寄って尋ねていた。
「じゃあ……水城浦響也君のこと、知ってる?」
ただ、急にこの名前が出てきて——
『——!』
乙葉と京華が同時に硬直する。その表情を見て、一方の文奈は兄のようなしたり顔になっていた。
「……知ってるみたいだね」
次いで、本気の懇願を始める。
「その男の子に関してなんだけど……よかったら、何か情報とか貰えないかな? 可能であればでいいんだけど……」
「え……? どうしてですか?」
乙葉が思わず問い返していると——
「だって——」
文奈はその瞳に、昨日もどこかで見た覚えのある野心を宿らせていた。
「——もしゲットできたら、玉の輿じゃん」
これを耳にして——
『——⁉』
乙葉と京華が言葉を失っている中、一方の文奈は何も気づかない様子で続ける。
「……うふふ。兄さんはなんか回りくどいやり方をしてるようだけど……権力を手に入れるのなら、これが手っ取り早いのよね。うふふふ……」
その恍惚とした表情に、乙葉と京華は何も反応ができなかった。揃って沈黙していると、やっと状況に気づいた文奈が少し慌てる。
「……あら、ごめんなさい。気にしないでね。気が向いたら教えてくれればいいから。じゃあ、とりあえず見学に行こうか」
それだけ言い残すと、元の雰囲気に戻って移動を再開していた。
その後頭部に揺れているポニーテールを乙葉がなんとか追っていると、ここで思わず本音がこぼれる。小声だけは維持をしていたが。
「……うん……間違いなく兄妹……だよね……」
その一方、ゆっくり歩き始めていた京華は、先程よりも重い口調で尋ねていた。こちらも、先頭には聞こえない声を保ちながら。
「……なぁ、乙葉。打算を口にし過ぎる人間って、信用できると思うか?」
この親友は先程の話の当事者であるため、一転して、入部に対して後ろ向きな心理になっている様子だ。だが、そもそも水城浦響也は、もうこの世に未来永劫存在しない。その事実を知っている乙葉は、気軽に答えるだけだった。
「……向こうは、こっちの正体には気づいていないんだ。むしろ、監視できると思った方がいいんじゃない?」
ただ、これを聞いた京華は、ここで半眼になって告げる。
「……お前も、充分に打算的になったよな。いつの間にか……」
これを聞いて——
「——⁉」
乙葉は返す言葉がなく、その場でしばらく愕然としていた。
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