第二章 入学

第13話 掲示板の前で

 私立碧央学園。県内でもそれなりに名の通ったこの進学校は、碧原市のほぼ中央をその所在地としていた。基本的な運営方針として、小中高の一貫教育を行っている。特に小等部から中等部までは完全にエスカレーター方式で、ほぼ同じ生徒達が通っていた。


 ただ、ずっと同じ面子では、これからの社会で人間関係に支障をきたす可能性もある。そういった理由で、高等部からは半数の生徒が外部より編入されていた。


 その枠内に裏口で紛れ込んでいるのが、乙葉と京華の二人だ。この学園の理事長が晶乃の強烈なシンパであるらしく、鶴の一声で滑り込ませたらしい。そんな裏事情を知った乙葉は大人の社会の闇を知って辟易もしていたが、今はそれをカミングアウトできる立場でもなかった。


 とにかく、乙葉と京華は無事に入学式を迎える。今日はいつものミニバンで登校をしているが、普段は自転車通学の予定だ。このまま自家用車での送迎を続けて、二人の素性に疑問を持たれるのはよろしくなかった。


 また、本日の公式日程は午前中で全てが終了するらしい。二時間ほどの入学式が厳かに執り行われ、最初の通過儀礼が何事もなく終わっていた。


 その後、クラス分けの発表が校舎の前であるらしく、乙葉と京華は他の生徒達に交じってそこへと移動する。そして、掲示板に大きく張り出された振り分けの一覧を、揃って見上げていた。


 ただ、その結果に関しては、特に意外性も何もない。それでも、京華がわざとらしく喜んでみせていた。


「——お。同じクラスになったみたいだな。これからも、よろしくな」

 そう言いながら隣に顔を向けていたが、一方の乙葉は胡乱な視線を相手に向け返している。


「……知ってたはずだよね? 同じクラスになることは。事前に聞いてたんだし」

 周りには聞こえないような小声でそんな指摘をすると、一方の京華はその言動に小さな不快感を示していた。


「なんか、ノリが悪くないか? それでも喜んでみせるべきじゃないか? エスカレーター組の奴らみたいに。その方が、同じ中学出身の普通の新入生同士に見えるぞ」

 確かに、それも一理ある。だが、乙葉は現在、全く別の感情に内心が支配されていた。


「……そこまで割り切れないよ。ぼ——私達が同じクラスになったことで、押し出された人がいるかもしれないんだし」

「……さすがに神経質になりすぎだろ。そんな細かいことにまで気づく奴なんて、どこにもいないぞ」

 京華が小さな苦笑をしていたが、それでも乙葉は主張を曲げない。


「慎重になり過ぎることに、デメリットはないよ。特に……今の……私達にとってはね」

「相変わらず、お堅い発想だなー。ま、そこがお前のいいとこなんだけど」

「褒めても何も出ないよ」

「分かってるよ。俺の独り言だ」


 京華が適当に流していると、乙葉がここで眉根を寄せていた。次いで、声を抑えながら、迂闊に漏らしたその単語を注意する。

「……それよりも……その一人称はなんとかならないの? 前から全然変化がないんだけど……」


 すると、京華は先日と同じ言葉を繰り返していた。

「……分かってるよ。なるべく努力する」

「……やっぱり、不安だ……」

 乙葉が暗澹たる気分になっていたが、一方の京華には気にする素振りもない。


「それよりも、同じ中学出身の奴らの名前が掲示板にないか、一応探してみようか。この外見なら俺達の素性は絶対に分からないはずだけど、面影から見破られる可能性もゼロじゃないもんな。特に、同じクラスだった奴らとか」


 その懸念は確かに否定できないため、乙葉もなんとか気を取り直して同じ方を向いていた。

「それは……確かに、そうだね」


 そして、二人で掲示板を無言で眺める。乙葉は左端からで、京華は右端からだ。知っている名前がないか、つぶさに調べ始めていた。


 その直後のことだ。

「——?」

 乙葉は不意に視線を感じて、真横を振り向く。すると、すぐ近くにいた男子生徒と目が合っていた。ただ、全く知らない顔だ。どうやら、二人の素性に気づいた訳ではないらしい。では、こちらを見ていた理由は、なんなのだろうか。その点に疑念を抱いていると、一方の男子生徒は慌てて視線を逸らしていた。


 次いで、この場からそそくさと遠ざかっていく。見間違いでなければ、少々顔を赤らめていたようにも見えた。


 もっとも——

「……今の男子……なんだったんだろう?」

 結局、乙葉にはその反応の意味が全く分からない。首を傾げていたが、とりあえず掲示板の方へ視線を戻そうとしていた。


 が——

「……うん?」

 その途中、周囲の他の様子にも気づく。

「——!」

 先程の彼以外にも、乙葉と京華に何やら意識を向けている複数の男子生徒達がいるのだ。そちらへも順に視線を向けてみると、やはり同じような反応が次々と起こっていた。


 この不可思議な傾向に、乙葉は眉根を寄せる。

「……なんだ……? ぼ——私達……なんか、変に目立ってない……?」


 それは——あまり好ましい状況ではなかった。本校で京華に品位を学んでもらうためには、なるべく静かな環境の方が好ましいのだ。だが、周囲の男子生徒達が見せている反応の意味が分からないと、その対応策も取れない。ただ、どんなに考えても正答には辿り着けなかった。


「……?」

 すると——

「——うん? どした?」

 と、隣の様子に気づいた京華が尋ねてくる。ただ、今の乙葉には答えようがなかったため、適当な返事をしていた。


「え……? いや……なんでも……」

 そんな様子を見て、一方の京華も気にせず本題へと戻る。

「それよりも、やっぱり知ってる名前がいくつかあるな。ただ、そんなに縁の深い奴らじゃない。これなら問題はなさそうだ」

 結果と推測を楽観的に伝えていると、一方の乙葉も小さく頷いていた。

「……そうみたいだね」


 ただ、その視線を再び掲示板へ向けようとした直後——

「——ッ⁉」

 そこで、完全に硬直することになっていた。


 人だかりの向こうに——

 乙葉と京華に対して、あからさまな敵意を向ける新入生の女子三人組がいるのだ。彼女達はこちらの視線に気づくと、何故か全員が舌打ちをしながら去っていった。無論、そこには友好的な雰囲気は全くない。おそらく——いや、間違いなく、二人に負の感情を抱いている様子だった。


 先程の男子達とは正反対の反応だ。だが、やはりその意味が全く分からない。乙葉は混乱しそうになっていたが、一つだけ確かに感じていることはあった。

「なんか……嫌な予感しかしないな……」

 頬を引きつらせながら、そう呟いている。だが、一方の京華はやはり呑気に聞いてくるだけだった。


「うん? また、どした?」

「……い……いや……」

 と、乙葉は小さく反応すると、今の出来事はとりあえず忘却する。考えても分からないことに時間を費やしても、徒労に過ぎないからだ。とにかく、これ以上目立たないようにすることだけを、頭の片隅に置いていた。


 ただ——

 もっと客観的になれば、一連の反応の理由にも気づけたはずだ。しかし、二人とも先日まで男だったため、その着想が全くなかった。また、性が変わってはいるものの、お互いの顔には見慣れている。そういった理由もあり、その事実を認識することができていなかった。


 要するに——

 乙葉と京華は、美少女なのだ。先日のナンパもそれが要因だったのだが、二人ともその現実に全く気づいていなかった。また、それこそが周囲の男子達がソワソワする理由であり、先程の女子達がイライラする理由でもある。だが、乙葉も京華も、しばらくはその事実に気づきそうもなかった。


 さらに——

 この時、二人に注目する視線が別にも存在したのだが、乙葉はその事にも全く気づいていなかった。ただし、それは一連の興味とは性質が異なるようだ。その視線は傍にある校舎の四階から見下ろす形で、乙葉と京華へしばらく向けられていた。


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