ショートショート『ヨシダは死にました』

@noyagi

読み切り

「ヨシダはいねぇのか、ヨシダを出せコラ!」「ヨシダは、死にました。」「…………!!!!」


人が、言葉を失った瞬間にはじめて出会った。



どこにでも、物申したいひとはいる。


不満を解消したいわけじゃない。怒ってるわけじゃない。何かを得たいわけじゃない。


ずっと、言い続けたい。そんなひと。


コールセンターに長く勤めていると、嫌でもひとの嫌な面を見る。たとえどんなに素晴らしい商品でも、会社でも、サービスでも、必ず一定数言い続けたいひとに遭遇する。


だって、完璧はないんだもの。ホコリはどこにでも存在するし、叩けば出る。


どんなものだって見方を変えたらダメなところはあるし、弱い側面はつくれてしまう。


反撃不可の相手にぶつける乱暴な言葉。電話は、そんな負の感情を増幅する装置だ。



保険会社のカスタマーセンター。


業界では中堅に位置するクライアントで、利用者向けの対応に積極的に投資する会社さん。ありがたい。センターの環境も整備されてる。離職率が高いコールセンター業界で、メンバーからも評価がいい。だから、働くうちにみんな親しくなる。


決裁権のあるクライアントの担当者(山﨑さん)マネージャーのわたしと管理者数名。シフト勤務の電話対応するオペレーターたち。


よくある中規模のコールセンターだ。でも、カスタマーセンターでは珍しいくらいクレームが少ない部署。しっかり投資してる分、お客さん含めて高い質が担保されているのかも。


それでも、やっぱり言い続けたいひとはいるのだ。キムラさん(仮名)もその一人だった。


「すんごいこと、言いますね。」「だって、このままだと終わりなさそうだからさ。みんなしんどそうだったし。」「ありがとうございます。でも、キムラさんが口をつぐむのはじめて聞きましたよ。」


開いた口が塞がらない想像をしながら、あれ?閉口だっけ真逆じゃんと余計なことを考える。


言葉にならない、長い沈黙。(あとで音声ログをチェックしたらそんなでもなかった。体感は信用できない)


キムラさんは半月に一度くらい掛けてくる、所謂クレーマーだった。商品にかかるご意見からはじまり、相槌を打つたびにどんどん話が飛んでいく。日本の未来。政治。近所のスーパー。昔旅先で詐欺にあったこと。生まれた場所。健康の話題。本当なのか嘘なのかわからないけれど、キムラさんの人生の概要はだいたいわかってしまう。


カスタマーセンターは電話を切れない。もちろん暴言やあまりにも対応が難しい案件は、こちらから失礼することもある。しかし、基本的にはお話を伺う。傾聴。お耳を傾ける。その中には貴重なご意見もあれば、ふとなぜこんな話を聞いてるんだろうというものもある。キムラさんは、だいたい後者にあたる。


「ヨシダはいねぇのか!ヨシダを出せ!」「あいにくヨシダは席を外しておりまして。」「ヨシダは本日お休みをいただいております」「ヨシダは不在です」「ヨシダはいません」「ヨシダは、」


「わたくしがお話を伺います。」


「いらん!!ヨシダを出せ!!!


エスカレートしたキムラさんは連日電話を掛けてきていた。長ければ数時間、ヨシダを呼び出す。なんとか理解してもらおうと案内しても聞き入れてもらえず、


「もういい!また掛ける!!」


ガチャリ。


そんな繰り返しの日々が続いていた。


「正直しんどいです……。」「だよねぇ。どうしようかな。」


対策はいろいろ思いつくけれど、強行策の前にできればなんとかわかってもらいたい。


でも、メンバーもそろそろ限界。これは、厳しいかな。


そんな折、しびれを切らした山﨑さんが電話口に出たのだった。


「し、死んだのか……?」「はい。ですので私がお話聞きます。」「そうか……。」


ガチャリ。


そう、話は3ヶ月前に遡る。



ヨシダこと吉田くんは、とても優秀なオペレーターだった。


若くて、新卒で一年働いたあと会社をやめて契約社員として入社。そこそこ私立大学を出てなんとかこの会社にすべりこんだわたしからしたら、学歴もやめた大企業もバンコクびっくりショーだった。逆立ちしても入れないところだった。あと、逆立ちもできない。


A4の整った人生まとめ用紙をながめながら、こんなひともいるんだなぁと落ちすぎた目からウロコを拾うようにポチポチと入社処理をした。


入社後も要領よく仕事を覚えていく吉田くん。


「ここまでは大丈夫です。ここがちょっと、わかってなくて。もう一度教えていただけますか?」


そこは、自分でもマニュアルがわかりにくいなぁいつかそのうち直したいなぁと棚上げしてたから、思わず「だよね!」と言ってしまった。それまでちゃっかり上司感を出していたのに、急なタメ語に面食らったのか、


「なんか、すみません。」


うかつに謝らせてしまった。こちらこそ、ごめん。


吉田くんは優秀なんだけど、どこかでちょっと線を引いてるというか、少し離れた距離感をつくっていた。そういうひとは、いる。


いろんなステージのひとが働いているので、深追いはタブーだ。ちゃんと距離をとる。


半年ほど電話を取り、すっかりひとり立ちできた頃、吉田くんはキムラさんの電話をとった。


要注意人物。


電話の仕事をしていると、どうしても避けられないのがクレーム対応だった。



いまのコミュニケーションは受け手側に立っている。メールもラインも、出てはなくなる群雄割拠のSNSたちも、受け手がいつどのくらい何を受け取るか選べる。


でも、電話は違う。掛ける側が優位だ。


話を聞くまで用件がわからないし、一方的に時間を奪うメディアである。


だから、お客様という優位性を使って何か言いたいひとにとっては、満足度が高いかもしれない。すべてがそうではないけれど、どんなコールセンターにも一定層そんなひとがいるのは事実だ。


負の感情増幅装置。何かを、言い続けたいひと。


そんな中でときどき、話術やスキルやシステムを越えたところでなぜか解決してしまうパターンがある。


それは、結局のところ人と人が話をするからかもしれない。水が合う、というやつだろうか。


はじめてキムラさんの電話を取った吉田くんは、最後には爆笑しながら電話を終えた。


一同驚愕。やはり、バンコクびっくりショーだった。


「あ、いちおう伝えるとカスタマーセンターだから爆笑はちょっと、ね。」「あ、すみません。気をつけます。」


ログにはしっかりと商品へのご意見と、キムラさんのちょっとしたクセ、それと話をまとめるタイミングのメモが添えられていた。



でも、ある日、突然に。吉田くんは出勤してこなかった。携帯も緊急連絡先もつながらない。


「大丈夫かな。事故に遭ったりしたのかも。」


上長に速やかに報告。勤怠優良。成績優秀。原因不明。連絡不通である。心配がつのる。


「一日様子を見て、連絡なければ人事につないで自宅を訪問してみて。二人で行ってね。」「わかりました。」


やっぱり連絡がつかなくて、次の日。


「天明奇天烈、摩訶不思議。原因不明、連絡不通なんです。」「出前迅速、落書無用みたいに言うね。」


久しぶりに会った同期の人事と連れ立って、登録されている住所を訪ねた。こざっぱりとした吉田くんらしい外観のアパート。呼び鈴を鳴らすも応答なし。電話しても、中から音はしない。


「まいったな。」


訪問した事実と連絡がほしい旨を書いた書類をポストに残した。


しかし、珍しいことじゃない。ときどき、こんなふうにいなくなるひとがいる。


なにか理由があったのかもしれないし、なんとなくかもしれない。真相は藪の中だ。闇の中だっけ?どっちにしろわからないことには変わりない。考えてもしかたない。


そうして、吉田くんは、いなくなった。



それから、しばらくして。


「名瀬さん、ちょっと助けてもらえますか?」


死んだ(ことになった)吉田くんから、ラインが来たのは日曜日。


予定のない休日をダラダラ消化しながら、朝からの雨を言い訳に家に籠もる。でも、さすがにやばいという正体不明の焦りが湧き上がり、手持ち無沙汰のままなんとなく部屋を掃除していたときだった。


「えっ、嘘。大丈夫?どこにいるの?」


いま、隣の駅のスタバの前にいるらしい。


「とにかくすぐ行くから待ってて!」と急ぎ返信して、急いで身支度して、急いでこころを整える。急に忙しい。雨は上がっていた。



いや、これは、スタバじゃないな。


くさっ。


久しぶりに見た吉田くんは、申し訳なさそうに小さく手を振っていた。肩にリュックを掲げ、なんか大きいコートをきて、全体的にボサボサだ。ボサボサが服着て立っている。バーバパパにいたな。こんなの。オシャレなオープンテラスとの対比がすごい。


「わたしの家、歩いていけるとこだから。シャワー使う?」「ありがたいです。」


帰り際コンビニに寄って、食べ物とお菓子と歯みがきやらなんやらを買う。吉田くんは文字通り一文無しだった。ご覧の通りの風来坊を地で行く吉田くん。ぜんぶおごった。


「ご迷惑かけてすみません。仕事も急にいなくなって。怒ってますよね。」「怒ってるというか、びっくりしたのと、心配したかな。」


怒りというより寂しいだったが、今は仕事の話なので黙っておく。アスファルトの濡れた匂いがした。



「飲む?」「いただきます。」


シャワーを浴びてこざっぱりした吉田くんは、3ヶ月前と変わらないように見える。なんとなく、ビールがちょうどいい気がした。


「めっちゃストックありますね。」「ほっとけ。」


冷蔵庫を覗き込む吉田くんは相変わらず無表情、かと思ったら笑っている。乾杯して、狭いテーブルを挟んで座った。掃除、しといてよかった。


久しぶりのビールは、饒舌にさせたみたい。


表情にでないと思ってたのに、見たことない顔してる。アルコールが回る速度も早い。


「自分で言うのもあれですけど、ぼくいい大学出てるじゃないですか。」「あれだね。」「んで、けっこういい会社入ったんです。」「けっこうだね。」


「仕事も楽しかったしやりがいも感じてたんですけど、ある日クライアント先から帰る途中に、ふと、なんでこれやってんだろう?って思っちゃって。」


わかるな。わたしなんか、毎日そう思ってるもの。


「そしたら、その"なんで?"がちょっとずつ、実家の天井のシミみたいに消えずに増えていって。あ、天井のシミって実際変わらないのに増えてる気がしません?」「わかるような。わからないような。」


「歩いてると気に留めないのに、一回よぎっちゃうと右足からだっけ?左足だっけ?上げるの?下げるの?って考えちゃって、立ち止まっちゃうような気持ちに似てます。」「それは、ちょっとわかる。」


「センターの仕事も好きだったんですけど、ある日、ふと"なんでこの話聞いてるんだっけ?"って思っちゃって。」「そっか。」


「んで、北へ、行きました。」「北へ。」「はい。」「なんで北なの?」「人は迷ったら北に行くって、山﨑さんが言ってたんで。」「あいつか。」


めちゃくちゃ言いそう。思いきりよく無責任をくりだすタイプだもの。


「それで、どうだった?」「寒かったです。」「でしょうね。」


「お金なくなっちゃったとき、公園でベンチに座ってぼーっとしてたら、なんか急に帰ろうって思って。」「ないの?」「何がですか?」「なんかこう、ガラッと人生観変わったエピソードとか、北で出会った温かい人情とか、決意めいたものが生まれた瞬間とか、そういうの。」「ないですね。」「ないですか。」


「あっ。」「なになに?」「青森県のゆで太郎は練馬より旨かったです。」「しょうもない。」「ですね。」


「こういうの、大学のときにやると思うんですけど。周回遅れの自分探し。」「いいんじゃない。」


北へ行って、くさくなって帰ってきた吉田くん。何も変わらないまま帰ってきた吉田くん。でも、大概そういうものなのかもしれない。


「知ってます?キムラさん、昔有名なベンチャー企業の社長だったんですよ。」「えっ、まじで?」「ほんとはいけないんですけど、ググったらまじでした。」「知らなかった。」「Forbesとかに載ってて。」「すごっ」「社会的にも意義のある仕事だったけど、がんばりすぎていつの間にか一人になっちゃったんですって。思い出すと、子供の入学とか卒業とかなんにも思い出せないし、気がついたら奥様も子供も出ていって、会社は大きくなったのに一緒に立ち上げた仲間はいなくなって、ある日自分の仕事の意味みたいなものを見つけられなくなって、株式とかぜんぶ譲り渡して引退したんですって。」「……そうなんだ。」 


クレーマーのキムラさんは、わたしにとっては日報の一行で、仕事で、記号だった。でも、吉田くんはちゃんと木村さんと向き合っていた。同じように電話していたはずなのに、全然違う。


「ヨシダを出せ!!」


キムラさんの声が聞こえた気がした。


「あの時、誰かに話を聞いてもらってブレーキをかけてもらえたら、全然違う生き方になってたかもしれないって。なんか、刺さっちゃいますよね。」 


ほんとだよ。じわぁと汗をかきはじめたビールの缶を見つめながら、顔が火照ってきたのを感じる。なんとなく言葉がない。


ぐいっとビールを煽った吉田くんは意を決した顔をした。


「それで、ですね……。」「なに?どうしたの?」


吉田くんが言いよどむ。ここまで来たら、もう言えないことなんてないだろう。なんだろう。


「3ヶ月留守にしてたら、家が無くなってて。申し訳ないんですけど……。しばらく泊めてくれませんか。」



当面の生活費を稼がなければならない吉田くんは、センターに復帰して働くことになった。


「ほんとにいいんですか?」「まあ、契約期間も残ってるし、たぶん大丈夫だよ。山﨑さんも許してくれたし。」


迷惑かけたことを謝りたいとセンターを訪ねた吉田くんの第一声「自分探しをミスりました」がすこぶる効いた。当事者として責任を感じたのかもしれない。「何かあったら必ず連絡すること」が条件。あと、めちゃくちゃ怒ったことにしといてね、と山﨑さんは笑って言った。


「あらためて、よろしくお願いします。」


面々にあいさつして回る吉田くんの顔は、なんとなく豊かになった気がする。


「名瀬さんも、いろいろありがとうございました。あらためて、よろしくお願いします。」「うん。よろしくね。」


読めないと思っていた表情にも、ちょっとずつ変化がわかる。受け取る側の精度の問題だったのかもしれない。


「あっ、吉田くん。」「なんですか?」「きみ、死んだことになってるから。」「えっ?」



何年か前に携帯電話のCMで「電話でなら話せることがある」とかやっていた。ちょっと違うかもだけど、そんな感じのやつ。


電話は、負の感情増幅装置。


だけど、声や言葉以上に伝えたり、受け取ったりもできるのかもしれない。


やっぱり、人と人がつながる装置だから。


「お待たせいたしました。カスタマーセンターのヨシダでございます」「…………ヨシダ、生きてたのか……!!」「えっ、あ、はい。生きてます。」「そうか。吉田、よかったな。」


ガチャリ。


それ以来、木村さんからの電話はなかった。



数年経って。


この春、吉田くんは退職した。


働きながら資格を取ったコーチングの会社を立ち上げるらしい。よくわからないけど、人に向き合う吉田くんなら向いている気がしてる。


あと、来年、わたしは吉田になる。


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