第36話 赤い悪夢
ビトーとディーディエが激戦を繰り広げているのと同じ頃。
プレミラ王国の首都リンドナルにある、とあるパブで一人の少年が仲間の帰りを待っていた。
とある『パブ』とは言っても、現在は営業していない。入り口には規制線が張られ、店員も誰もおらず、カウンター席に座った少年が、文字通り「一人」で待っているのだ。
そのパブは、数日前に部下の仕事の後始末をするためにディーディエが暴れた店だった。店員の遺体は片付けられているものの、血痕はそのまま残っており、当時の凄惨な状況を想像し易くしている。
そこで待っているのは、その当時に現場に居合わせた少年、エルリートだった。何をするわけでもなく、つまらなさそうに座っている。
「なんだこりゃ、俺達の憩いの場が終わってんじゃねーか!」
突然、扉の前の規制線を破り入ってきたのは、アフロのようなもじゃもじゃ頭の大柄の男だった。右腕に、エルリートとお揃いの赤いスカーフを巻いている。
「うわ、これは酷いですね。間違いなく致死量ですね。」
次いで入ってきた若い男が、床の赤く染まった範囲を見て、眉をひそめる。アッシュブロンドの上に、赤いスカーフをバンダナのように巻いていた。
二人の来客に、エルリートが漸く立ち上がる。
「アールマン、ルク、二人とも遅いよ〜。何日待たせるんだよ。」
「すみませんハビィ。ちょっと
頭にスカーフの、ルクが謝る。
その隣でもじゃもじゃ頭のアールマンが豪快に笑う。
「仕方ねぇさ、
「で、肝心の
アールマンが無言で後方を指すと、店の入口で固まってしまって入って来ない男がいた。
年の頃は、四十手前くらいだろうか。サイドを刈り込んで上だけ立ち上げた短めの白髪で、使い込まれた革鎧と相俟って、歴戦の勇士の雰囲気を醸し出している。
隊のトレードマークである赤いスカーフは、エルリートと同様に首に巻いていた。
「
「……お、お、俺の、一番のお気に入りの酒場がぁぁ…!!」
ガックリとその場に膝をつき、頭を抱えた。かと思えば、直ぐに顔を上げ、エルリートを真面目な顔で見詰める。
「ハビィ!誰だ!一体誰なんだ、こんなことをしたのは!」
「あー、その…格闘賭場のチャンプで、実は魔人? だった、みたいな。」
「「「は?」」」
驚きの表情で声を合わせた三人に、ハビィ・エルリートはこの場で起こった事を説明した。
「ハビィ、何でやり返さなかったんだ!アホの情報屋は兎も角、マスターは助けろよ!」
「無茶言わないでよアールマン。あいつ多分、ウチの隊四人揃ってやっと勝てるかどうかって強さだよ?」
「げ、まじかよ…。」
ハビィの返事にアールマンが唸る。
ルクが不安そうに
「……もしかして、追っ手でしょうか?」
「いや、今更意味が無いだろうし、もし追っ手ならハビィを放っておかないだろう。」
その言葉に、ハビィが続ける。
「うん。それに、その魔人『例の団』の事、探ってたみたいだから。」
「ああ、それじゃあ
「もうひとつの団?」
ハビィが知らない話に興味を示したが、
招かれざる来訪者を察知し、全員が警戒した。
「……お邪魔しますよ。」
扉を開けて入ってきたのは、商人ルデマだった。
「あー、残念だけどこの店、今は休みだぞ。」
だが、ルデマは首を横に降った。
「ご心配なく。私が用があるのは、店ではなくアナタ方です。ナイトメア・バスティアン隊の皆さん。」
「――その呼び名はあんまり気に入ってないんだがな…ただのバスティアン小隊でいいんだが。」
四人は、隊長であるバスティアンの名前を冠する傭兵隊・バスティアン小隊のメンバーであった。
突如現れたルデマが、自分達を知っていた事には驚かない。プレミラでは、同業者やそれを斡旋する者達には、それなりに名が売れる位の活躍をしている自負があった。
「ご謙遜を。国境から遠いこのリンドナルでも、戦場で敵無しの『赤い悪夢』の評判は聞こえてきていますよ。」
それを聞いて、アールマンとハビィが少し得意そうに胸を張った。ルクはそんな二人の単純さに肩を竦める。
「……そこまで知って会いに来たなら、仕事の依頼かい? 言っとくけど、ウチは結構高いぞ?」
「ええ、支払いは相場以上でも構いません。ある男を殺して欲しいのです。」
そのルデマの依頼に、バスティアンが顔を顰めた。他のメンバーも、あからさまに嫌な顔をする。
「……何を勘違いしているのか知らないが、俺達は傭兵だ。戦争や護衛はするが、殺し屋じゃあない。悪いが、他を当たってくれ。」
先程までの気さくな雰囲気ではなく、厳しめな言い方だった。
それは、傭兵を生業にする者の矜持でもあった。他の傭兵は分からないが、少なくともバスティアン達には、幾ら貰おうとも曲げられる部分ではなかった。
「確かに、本来なら傭兵隊に依頼するような事では無いかもしれません。ですが、今回はアナタには無視できない筈だ。」
「何を…」
「それは、『竜の喚巫女』に関わる事だからです。」
そのキーワードに、アールマンとルクはピンときていなかった。ハビィは「そういえば、ここで暴れてたチャンプも言っていたなー」位の感覚だ。
バスティアンは『竜の喚巫女』という存在を知ってはいるが、だからといって自分の隊が動かなくてはならない理由とは、直接は結びつかない。
そんな小隊メンバーの様子を見て、ルデマは更に続ける。
「アナタ方は南部の国境防衛に参加していたそうなのでご存知ないかもしれませんが、最近、首都の裏社会では『竜の喚巫女』の情報が流れてきていたのですよ。その情報源が、『教団』です。」
『教団』と聞いて、全員の顔色が変わる。それに気付き、ルデマがほくそ笑んだ。
「私は、ある筋からアナタと『教団』の関わりを小耳に挟んだのですが、どうやら噂は間違いではなかったようですね。」
してやったりという表情のルデマだったが、メンバーの反応は予想と違うものだった。
「あーあ、
「久々ですね、このような残念な方は。」
「
「おお、そうだな。」
ハビィの注意で、バスティアンも思い出したように革鎧を外し、胸元をはだけた。
その胸に刻まれていたのは、九芒星。
その九芒星から青紫の光が滲み出たと思った瞬間に、ルデマの足元に照射される。
「な?、え?」
そしてその足元にも大きな九芒星が刻まれ、その中にルデマが徐々に沈み込んでいく。
「こ、これは一体…!?」
ルデマはレスタルの町で、リコが十八芒星からラドサルスを召喚したのを思い出した。
しかし、あの時はビトーがラドサルスを倒したので、再召喚で消える竜を見てはいない。
一体自分がどうなってしまうのか。命の危機を感じ、必死に手を伸ばすが、その手を掴む者は誰もいなかった。
取引相手を脅す真似をする者を助けるような素人は、バスティアン小隊にはいない。
「あ、あああ、うああああぁ!!…」
やがてルデマの姿が完全に星の中へ消えると、光も治まっていった。
「……『例の団』は嫌な奴らだけど、こういう時は面倒なくて便利だね。」
ハビィは嬉しくも悲しくもないといった抑揚で言った。
バスティアンは鎧を着直しながら考える。
「それにしても、このリンドナルで『例の団』の話が出てくるなんて、今まで無かったな。」
「そうですね。プレミラで暗躍してない訳ではないでしょうが、団の名前まで使ってやるなんて……何か、焦っているのでしょうか?」
そのルクの疑問に、バスティアンも頷く。彼の知る限り、ルデマのような部外者にまで知られるやり方は、『教団』らしくなかった。
「あるいは、『もうひとつの団』が関係しているのかもな。少なくとも、二つの『団』は仲良さそうではないからな。」
「そうそうそれそれ!なんなのさ、『もうひとつの団』って。」
話の途中で切れていたので、忘れていたハビィが声を上げる。
「ああ、それはな…あくまで想像の域を出ないんだがな。」
プレミラ王国は南側で国境を接している隣国であるグアルディル王国と折り合いが悪い。大規模な戦争が行われているわけではないが、国境沿いの小競り合いは割りと頻繁にある。
これまでにもバスティアン小隊は、プレミラ王国南部のシルトン侯爵領に期間限定で雇われる形で、何度か国境の防衛戦に参加していた。
どちらかが全滅必至の争いという訳ではなく、バスティアンにとっては仕事で行った中でも比較的ヌルい戦場ではあるが、今回はいつにも増して歯応えが無かった。
それで、今回の戦いは早々に終わるだろうと予測し、次の仕事探しの情報収集の為に、先にハビィを首都に戻したくらいだった。
だが、その予測を更に上回る早さで終わった為、逆にバスティアンは怪しく思い、グアルディル側にこっそり入国し、国境沿いの町や軍の駐屯地の近辺で、情報を集めていたのだ。
その結果、今回の小競り合いでは、普段国境で戦っているような精鋭部隊はおらず、代わりに新兵や内地の駐屯兵が出て来ていたという事が分かった。
「……じゃあ、いつもいる連中は何処に行ったんだって話なんだが、俺は多分、もっとデカい
「デカい戦…って、まさか本気でプレミラ国内に攻め込む気?」
驚くハビィに、バスティアンが頷く。
「
訝しがるルクに、ハビィも同意する。
「こっちの国とあっちの国で、そんなに兵力に差が無くない? そしたら、同盟国の多いプレミラの方が有利な気がするんだけど。」
「俺も、そう思う。ただ、その不利を覆すカードをグアルディルが持ってるとしたら?」
それが、魔人の『もうひとつの団』ではないか。バスティアンはそう懸念しているのだ。
だがハビィは勿論、先に話を聞かされていたアールマンも首をひねる。
「魔人が人間に手を貸すかねぇ?」
「それは、お前らが『例の団』を知ってるからその先入観が抜けないんだ。俺は、『もうひとつの団』は『例の団』とは考え方が根本的に違うと見ている。」
バスティアンにしても、『教団』が表立って人間の国家に力を貸す事は無いと考える。
しかし、全ての魔人が『教団』の一員ではないし、聖戦後、魔人王国の三つの団が袂を分かっている事からも、歴史が示している。
ならば、人間に肩入れする魔人が出てきてもおかしくないのではないか。そう思うのである。
「どちらにしろ、私達は隊長についていくだけですけどね。」
「そうだね。どーするの? 実際、戦争が起きたらまた侯爵領で稼ぐの?」
その問いを、バスティアンは否定する。
「いや、シルトン侯爵領には
可能性がある以上、そこに踏み込む道は通らない。
まだ魔人と、ことを構える時ではないと判断した。
「
「まあ心配するな。キナ臭い処は南だけじゃあないさ。これから、今まで以上に稼げるようになる。絶対にな。」
バスティアンはそう言ってメンバーを見渡すと、彼らにとって絶対的な安心感のある、不敵な笑みを浮かべるのだった。
― ◆ ―
少しの時間が過ぎ、既に日は落ちた頃、パブからバスティアン小隊が出ていく。
入れ替わりに、一人の男が忍び込むようにして、パブに入った。
「……!? ルデマは何処だ?」
入ってきたのは、マルティンだった。ルデマを追ってリンドナルまで帰って来ていた彼は、首都でも尾行を続けていた。
そしてルデマは確かに、このパブの中に入っていったのだ。
店内を念入りに調べたが、入り口以外に、隠し通路も裏口も無い。
「先に出てきた、あの『赤い悪夢』が何かしたのか?」
バスティアン小隊の事は、マルティンも知っていた。しかし、仮に彼らがルデマの命を絶ったとしても、遺体どころか痕跡が何もないのはおかしい。
床に残った血痕も、ついさっき付いたようなものではなかった。
「……なんだ、何が起きている?」
嫌な予感がした。しかし、ここで調査を止めるという選択肢も無かった。
マルティンは、今度はバスティアン達から情報を得る事を決め、夜の闇に溶け込んでいった。
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