第17話 ピノ
プレミラの南方に位置する国、グアルディル。
その国で二番目に大きな都市レンシアーナには、芸術、賭博、美食など、あらゆる娯楽が第一都市である王都以上に集まっていた。
その都市で一番の宝飾店。その貴賓室にあるガラス張りの大きなテーブルの前で、一人の女性が笑みを零していた。
彼女の目の前には、色とりどりの宝石と、それによって作られたアクセサリーがいくつも並んでいる。
その豪華さに負けず劣らず、彼女の装いも豪華絢爛であった。
「いかがでしょう、どれもこれも当店自慢の逸品でございます。」
テーブルを挟んだ向かいでアクセサリーの案内をしているのは、この店のオーナーだ。
「尤も、どれもピノ様の美しさを引き立てるに過ぎませんが。」
その言葉に、彼女は顔を上げ、宝石からオーナーへと視線を移す。
「世辞はいいよ。アタシゃもういい齢だからね。こうやって着飾って、漸く見れたモンになるのさ。」
「いえいえそんな滅相もない。心からの言葉でございます。」
オーナーの言うことは嘘ではない。無論、おべっかの含みもあるが、目の前の妙齢の女性――ピノは、紛うことなき美しさを放っていた。
恐らく、四十手前位であろうか。しかし、それは本人が言うようなマイナスには全くなっていない。
むしろ、若い女にはない妖艶さと、生来の気高さが、ピノの魅力となってオーナーの目を奪う。
「ま、いいさね。」
その様子に機嫌を良くしたのか、ピノはレースの手袋に包まれた嫋やかな指先で、宝飾品を指す。
「これと、これと、これを貰おうか。」
「はい、ありがとうございます!さすが、お目が高い。」
それは、並べられた宝石の中でも、特に価値の高い物に違いなかった。
「アタシは他人の目利きなんざ気にしないからねぇ。自分が気に入った物を買うだけさ。」
「なればこそ、お見事にございます。」
「そうかい? まあオーナーにそう言われて、悪い気はしないねぇ。」
その艶やかな微笑みに、見惚れそうになる自分を律し、オーナーは使用人を呼んだ。
「すぐにお包みいたしますので、こちらでお待ち下さい。」
使用人が選ばれた宝飾品を持っていく中、オーナーは部屋に置かれた柔らかそうなソファへと案内する。そして、サイドテーブルのワインを開けた。
「そうさせて貰うよ。」
ピノはソファーに身を預けると両足を組み、空のグラスを手にした。
そのグラスに、オーナー自らワインを注いでいく。ピノの好みに合わせ、中程まで注いだ。
ちまちま香りを愉しむより、口と喉で愉しむのが好きだった。
「そういえばオーナー。この店ではコッペル産の緑柱石は取り扱わないのかい?」
その問に、オーナーは少し困ったような表情を見せた。
「コッペル産は確かに良い品質なのですが、ご存知の通り隣国プレミラは、我が国にあまり友好的ではないですから。高い関税を掛けられてしまうのですよ。」
結果、他国から輸入した緑柱石と比べ、倍近い価格になってしまうという。
「緑柱石は我が国では採れませんから、需要はかなりあるのですがねぇ。」
「そうか、それは残念だねぇ。」
ピノがグラスを置くと、オーナーは再度ワインを注ごうとしたが、それを手の甲で制した。
「今夜はここまでにしておくよ。」
「お口に合いませんでしたか?」
「いや、良いワインだったよ。少し、本業の方が忙しくてねぇ。」
そう言って立ち上がったのと、使用人がラッピングを終えたアクセサリーを持ってくるのはほぼ同時だった。
オーナーが使用人から商品を受け取る。
「表まで、お持ちします。」
「すまないねぇ。」
ピノは別の使用人が持ってきた上着に袖を通すと、颯爽と歩き出す。
― ◆ ―
店の前に停められた豪奢な馬車の前では、シンプルでありながら高級な身なりをした男が待っていた。
ピノが入り口から出てくるのを見留めると、馬車のドアを開いて頭を下げる。
真っ直ぐにそこまで向かって歩くピノだったが、馬車の前で立ち止まって振り返り、後ろについて来ていたオーナーに声を掛ける。
「世話になったね。」
「とんでもございません。こちらこそ、いつもご贔屓にして頂き、ありがとうございます。」
そしてオーナーは、持っていた商品を傍らで待っていた男に手渡した。
それを眺めていたピノであったが。
「そうそう、さっきの話だけど。」
「はい。」
「例の緑柱石、近いうちに安く手に入るようになるかもしれないよ。」
そして、意味ありげに片目を瞑ってみせた。
ピノの肩書はウィーグリー商会代表。その主な事業は、竜の素材の販売である。竜の素材を独自のルートで入手し、安定供給することで富を築いた。
竜は武器防具の材料として非常に重宝されるため、ピノの得意先は、国の軍部のトップ層にもいる。
それ故、オーナーは、ピノの一言に思わず息を呑んだ。
「それは……重要なお知らせ、ありがとうございます。」
「フフ、良くして貰っているからね。」
大きなビジネスチャンスにも、危険回避にも、どちらにでも好きに使えばいい。
後は、お前次第だ。…オーナーは、そう言われている気がした。
無論、一代で国一番の宝飾店を作り上げた男だ。前者を取るのに、決意する時間に数秒も要らなかった。
「……本当に、ありがとうございます。」
再び礼を言ったオーナーに満足し、ピノは馬車に乗り込んだ。
― ◆ ―
広めの車内で、ピノはゆったりと席に座り、向かい側に先程待っていた男が座っている。
「良いお買い物が出来たようで、なによりです。」
齢はピノと同じくらいだろうか。彫りの深い顔と感情の読めない瞳は、知性と冷静さを感じさせた。
「まあね。この国じゃあ、あそこまでの品揃えは他では
「私は、
表情を全く変えずにそう答えた部下に、ピノは溜め息を吐いた。
「やれやれ。お前はどうしてこう、色気がないのかねぇ、セインド。」
「お言葉ですが、我々からすればピノ様のようなお考えの方が珍しいのです。」
「革新的、と言ってくれるかねぇ。」
二度目の溜め息を吐きつつ、ピノは馬車の外の街並みを観る。レンガ造りの洒落た建物が立ち並び、法術の仕込まれた街灯に、青白く照らされている。
その景色は、ピノの好きな物の一つであった。この街を、拠点にした理由の一つでもある。
「……お疲れのところ申し訳御座いませんが、団員からの連絡をお伝えしてもよろしいでしょうか。」
「いいよ。アタシは宝石よりも仕事が好き、だからねぇ。」
厭味でも何でも無く、仕事の話はピノにとって重要度が最も高いものであった。
「まずカデルからですが、二、三日中に
その報告に、ピノは嬉しそうに目を細める。
「今月もう三度目じゃないか。相変わらずティエーネは働き者だね。
「……続きまして、メノテウス国に潜行していたグエルヤからですが、例の件、恐らくピノ様のお考え通りで間違いないかと。」
今度は一転して、深刻な表情となる。
「そうかい……グエルヤには、すぐに国を出るように伝えな。間違っても、下手な手出しをするんじゃないよ。虎の尾を踏みかねないからね。」
「かしこまりました。…それともう一件、重要なお話が。」
セインドが声を潜める。
「プレミラ国で、団員に消息不明者が出ました。状況から、既に死んでいるかと思われます。」
「………なんだって?」
ピノの薄紫の瞳の色が、僅かに濃くなる。
「プレミラといえば、ディーディエの担当だね。」
「はい、消えたのはディーディエの部下です。先日の、『エギュイーユ・デバイス』が発動しなかった件の調査に行かせた後、消息を絶った、と。」
少し長い息を吐いて、ピノは馬車の天井を仰いだ。
竜が召喚されると、次元の狭間が『時震』によって揺れる。それを観測したにも関わらず、再召喚のシステムである『エギュイーユ・デバイス』が不発動になる事は、稀にある。
召喚された竜が、標的として襲いかかった者に返り討ちにされた場合だ。
しかし、その調査に乗り出した団員が殺される、などということは滅多にない。
下位の竜を倒せる程度の力を持っていたとしても、通常、団員が負けることはない。
「
「おそらくは。」
しかしピノの知りうる限り、プレミラの騎士に自分の配下を倒せるような者はいなかった。凄腕の竜狩りは竜は殺せるかもしれないが、配下の使う魔法に対処できないだろう。
そうなってくると、他国の騎士や法術士。それなら有り得る。
その中でもあまり考えたくない勢力が、二つ。
「……ソーディンの連中の可能性は?」
「ゼロではありませんが、低いかと。奴らがプレミラに入ったという情報はございません。」
「あの連中が絡んでくるのは面倒だからねぇ。無いならいいけど。」
そして、もう一つの勢力。
「あの狂信者どもじゃないだろうねぇ?」
それを聞き、セインドの顔に初めて動揺の色が浮かぶ。
「まさか…奴らがこのような事をするメリットがありません。」
フッと薄く嗤うピノ。
「確かにメリットは無いね。……メリット、デメリットで動かないから、狂信者なのさ。」
口の端の笑みは保ったまま、苦々しく言う。
瞳の紫が、どんどん濃さを増してくる。魔人特有の、魔力の色をした瞳に。
「長い年月で変わるどころか、より一層狂ってやがるからな。二百六十年も何をやってるんだか。」
「我々と違って、ですな。」
「そうさ。アタシらは今を楽しんで生きるんだ。……今、大事な時期なんだ。余計な邪魔は入れさせない。」
ピノは身体を起こして、セインドの目を見る。
「奴らが相手だったとして、ディーディエは勝てると思うかい?」
「問題ないでしょう。魔人同士の戦いになったとしても、ディーディエを上回るような者は、奴らには極僅か、です。そのような者達が直接動くとは思えません。」
頷いて、同意を示す。
「アタシもそう思うよ。爺どもは物臭だからねぇ。」
「仮にディーディエが敗れたとしたら、奴らが動いた証拠にもなります。」
「ま、そうなんだけどねぇ…」
そこでピノは腕組みをして、黙り込んだ。
「……何か、お気に掛かる事でも?」
「いや、気になるって程でもなんだけどね……」
何か見落としているのか?どうにも引っ掛かる。
それは、ただの勘だった。だがその勘を、ピノは今までも大事にしてきた。
それが、表の顔として人間の『ウィーグリー商会』を、裏の顔として魔人の『商団』を、
「監視する『虫』を増やしな。出来れば、グエルヤの部下も動かせたい。」
「は、ただちに。」
無論、セインドは口を挟まない。ピノの命令に従う事が、最善であると知っているからだ。
「さてさて、どうなっていくのかねぇ…」
邪魔はさせないと言いつつも、まだイレギュラーを愉しむ余裕があった。
『商団』団長・ピノ。その紫の瞳が妖しく揺らめいた。
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