第9話 熱き鉄板を囲んで

 朝。

 ベッドに差し込む窓からの光に眩しさを感じ、リコは目を覚ました。

 その陽の光から、思ったよりも寝坊したことに気付く。こんなに深く眠ったのは久しぶりだった。

 昨日の疲れもあったが、それ以上に、ひとつ屋根の下に安心できる人がいる、というのは大きかったのだろう。

 と、ベッドの横に、毛布を敷いて眠っていた筈のビトーがいない。

 まさか、自分を置いて行ってしまったのか?…そんな理由わけないと思いつつ、慌てて起き上がると、寝室を出る。

 隣の部屋にも、いない。まさか、今までのことは、全て夢でも見ていたのだろうか。

 

 更にドアを開けて外に出ると、そこにビトーはいた。胡座の状態で目を瞑り、座っていた。

 一先ず胸を撫で下ろすと、改めてビトーを見る。ゆっくりと、深い呼吸を繰り返しているようだ。

 リコは声を掛けず、その場に腰を下ろして、ビトーの様子を眺めていた。

 ――暫し、静かな時間が流れる。


 やがて、ビトーが瞼を開いた。目の前のリコに、微笑みかける。


「おはよう、リコ。」

「おはよう、ビトー。何をしていたの?」

「日課だよ、先生に教わったんだ。」


 力を高める効果があるのだという。ビトーは言いながら立ち上がると、思い切り伸びをした。

 つられて、リコも両手を上げて伸びた。朝の空気が気持ちがいい。


「ホント、なんか力が湧いてきそう。」

「だろ?」

「でも、朝ご飯食べるともっと力が出るよ?」

「だな!」


 そのままリコに導かれるように、ビトーは食卓へと向かった。



  ― ◆ ―


「いやーしかし、大量だな。」


 二輪の荷車に積まれた肉を、エッケインがまじまじと眺める。


「エッケインが、車借りてきてくれて助かったよ。」

「まあ、後で御馳走してもらうんだ。それくらいはな。」


 荷車を引きながら、ビトーとエッケインは、街の大通りに面した市場へと来ていた。

 骨や革、牙などは持っていった店で即売れた。さすがに、竜の中でも滅多にいないラドサルスの物だ。ビトーが、もっと高値にしようと交渉を粘らなかったというのもある。

 逆に、肉を売り切るのはなかなか困難だった。いくら貴重な竜肉とは言っても、長期冷凍保存など出来ないので、腐らせるほどの量は買い取ってくれない。

 そのため、肉屋や料理屋など、何店舗か巡りながら少しずつ売っていくしかなかった。


「……うーん、旨い部位は結構売れちゃったし、食べる分以外はもう捨てちゃってもいいかな?」

「え、そりゃ勿体無くないか?」


 割合竜肉にありつく機会の多いビトーと、滅多に食せないエッケインの考え方の差だった。

 しかし、肉を引っ張りながら旅に出るわけにもいかない。

 二人が思案していると、市場の向こうから知った顔が走ってくる。


「ビトー!!」


 ニッキーだ。昨日はおにいちゃんだったのに、もう呼び捨てになっている。

 勿論、そんなことは気にしない。


「ニッキー、おはよう。元気かい?」

「元気元気!あ、おじさんもおはよ。」

「ついでか〜。」

「ついでだよ!」


 満面の笑みで言うニッキーに、肩を落とすおじさんことエッケイン。

 そこに、ニッキーの後ろからおずおずと、大人の女性が話しかけてくる。


「あの、私ニッキーの母です。昨日、娘が助けていただいたと聞きまして…」

「あ、どうも。」


 深々とお辞儀をするニッキーの母に、ビトーは困ったように頭を掻く。こういった事柄への対応は、あまり得意ではなかった。

 昨夜、エッケインがニッキーを送り届けた際、遅くなった理由として、野生の竜が街の近くに来て、危ないところを旅の竜狩りが助けてくれたと説明していた。


「お昼に竜のお肉を食べるんだよ!」

「な!」


 ニッキーとビトーは顔を見合わせて笑い合う。子供の相手の方が余程気楽だった。


「まあ、そんな約束まで…すみません。」

「あ、いや、むしろ肉が余ってて困ってるから…」


 と、ビトーは名案を思いついたように明るい顔になる。


「良かったら、お母さんも一緒に食べに来ませんか?」

「え、しかし…ご迷惑では…」


 母親は、なんとなく視線をエッケインに移す。

 エッケインが、社交辞令ではないとばかりに、大きく頷いた。


「本当に肉が余ってるんですよ。自分が言うのは変ですが、遠慮なくどうぞ。」


 自分も御馳走される側だと伝えながら、安心させた。


「では、お言葉に甘えて。」

「ねえ、パパも連れてきていい??」

「ああいいよ。友達も連れてきていいぞ。」


 ニッキーを‹高い高い›しながら、ビトーは楽しげに笑った。



  ― ◆ ―


 リコの家の前で、簡易的に積まれたレンガの上で、鉄板が炙られている。

 そしてその上では、厚切りの肉が、良い音を立てながら焼かれていた。

 鉄板やレンガは、竜を売って得た金でビトーが買ってきた。大人の背丈ほどの鉄板を担いできたときは、リコもさすがに驚いたが、


「客が増えたから。」


の、一言で済ませた。

 そして増えた客のために、ビトーが自ら必死に肉を焼いている。


「おいし〜い〜」


 切り分けられた肉を頬張り、ニッキーが蕩けるように言う。


「うん、これは美味ですなぁ。」

「ねぇ、本当に。」


 ニッキーの父親と母親も、頬を緩ませた。

 リコを前にして、最初少し固かった二人だが、今では次々焼けてくる肉に素直に興じていた。もしかしたら、昨夜のエッケインの説明の段階で、薄々リコ絡みであることに気付いていたのかも知れない。何しろ、ラドサルスが街の近くに来て、見張りに気付かれないのもおかしいからだ。

 そんな皆を尻目に、ビトーは只管ひたすらに肉を焼き続ける。そしてリコは、焼かれた肉を食べやすいように切っていく。

 そこに、串焼きを食べながら、エッケインが寄ってくる。


「よお二人さん。息が合ってるねぇ。」

「笑ってないで手伝ってくれよ。」


 ビトーが顔を上げる。汗だくだ。

 そのビトーに、触れないように気をつけながら、手ぬぐいを渡すリコ。

 

「……やめとくよ。二人の邪魔をしちゃ、悪いからな。」

「あい?」

 

 不思議そうなビトーと頬を染めるリコを置いて、エッケインは振り向いて離れる。

 と、道の先から歩いてくる家族連れに気付いた。


「あれ、お客さんかな。」

「マニーちゃん!」


 同時に気付いたニッキーが、肉を刺したフォークを片手に走っていく。

 やってきた家族を見て、リコはハッとする。あの夜、自分が治療した女の子とその両親だった。

 固まったリコを見て察したビトーは、手を翳して、行くように示す。

 それを見て頷いたリコは、マニー達へと向けて歩き出した。


 ニッキーに手を繋がれ少し引っ張られるようにして、リコの前に来るマニー。


「お、おねえちゃんがお熱を治してくれたの?」

「そうだよ!」


 リコが答える前に、ニッキーが声を上げた。

 それに合わせて、黙ったまま頷いてみせる。


「あ、ありがとう!」


 ニッキーに比べて引っ込み思案らしいが、それでも彼女なりに大きい声で懸命にお礼を言った。

 それは、リコにとっては何よりの報酬だ。


「どういたしまして。」


 微笑んで返したリコの顔は慈愛と美しさに満ちていて、マニーだけでなく、後ろにいた両親も見惚れてしまうほどだった。

 だがすぐ気を取り直し、二人揃って頭を下げる。


「本当にありがとうございました。」

「それと…済まなかった。娘を助けて貰っておきながら、すぐに追い出すような真似をして。」

「……いえ、それは当然のこと、ですから。」


 リコは、二人に頭を上げるように促すと、また笑顔となる。


「良かったら皆さんも召し上がってください。お肉はいくらでもありますから。」

「あ、ああ…」


 マニーは既に、ニッキーに手を引かれ鉄板の方に向かっている。そこで、ビトーが手を振って待っていた。


「すぐ、切り分けますね。」


 リコは踵を返すと、ビトーの方へと駆け出した。


「……なんか、誤解してたみたいだな、俺達。」

「というより、知ろうともしていなかったんじゃ…。」


 驚きと、後悔。

 けれど、楽しそうに肉を切り分けているリコを見ていると、訪れて良かった、と思えた。


 その様子を遠巻きに眺めていたエッケインは、串焼きを頬張りながら思う。


『たった2、3日で随分変わったな。』


 それは、ビトーのおかげなのだろうと、彼は考える。

 勿論それはそうなのだが、ニッキーやエッケインとの出会いも、実は一役買っていた。

 リコは今、この街で一番楽しい時を過ごしていた。



  ― ◆ ―


 翌日。

 街の入り口にある街道の分岐点に、ビトーとリコ、そしてエッケインの三人がいた。

 ビトーはここへ来た時の最初の服装。

 リコは、いつものスカート姿ではなく、昨日市場で買ってきたパンツとブーツで旅のスタイル。外套は、常用の黒いマントだ。

 二人とも、新調したリュックを背負い、旅支度は万全、といったところだ。


「まさか、お前らも旅に出るとはなぁ。」


 首都に戻るところだったエッケインも、同じく旅人の装いだ。


「ああ、やりたいことが、あるからな。」


 多くは語らなかったが、そのビトーの決意の表情から、大事なことなのだろうと見て取れた。そしてそれは、きっとリコの為であろうことも伝わってきた。


「しかし、店はどうするんだ?薬とかあるだろうに。」

「持てる分は持ちましたけど、残りはニッキーのご両親にお譲りしました。」

 

 今朝、見送りにニッキーの家族が来た。

 その時に、効能を書いた紙とともに、取り扱いの易しい物だけ渡したという。

 替わりに、偶に小屋の様子を見に来てくれるそうだ。

 ニッキーは泣いて別れを嫌がったが、小屋を綺麗にしていてくれれば、必ず帰ってくるという言葉で、納得してくれた。


「あと、これはエッケインさんに。」


 と、傷薬の入った小袋を差し出して頭を下げる。


「お世話になりました。」

「え、いや俺は何もしていないし…」


 困惑するエッケインに、ビトーが目配せする。

 それを見て、まあ自分が何か役に立ったのなら…そう思って、小袋の口を摘んで、受け取った。


「ありがとう、何かの時に使わせてもらうよ。」

「何もないのが、一番なんですけどね。」


 そう冗談めかして言うリコの笑顔を見て、エッケインはビトーを睨む。


「…果報者め。彼女を大切にしろよ?」

「?……おう、勿論だ!」


 真意が伝わってるかどうかは微妙だが、その意気やよし、として、エッケインは納得することにした。


「じゃあな、頑張れよ。上手く行くことを願ってる。」

「ああ、ありがとう!」

「エッケインさんも、お気をつけて。」


 北西に向かうビトー達と、南に向かうエッケインは、ここでお別れとなった。

 少し歩いて、遠ざかる二人を、振り返る。


「……お前達なら、きっと呪いも解けるさ。くじけるなよ。」


 その言葉が届いたのかどうか、二人は少し振り返って手を振った。

 軽く驚きながら、見送っていたのがばれた照れ臭さから、大きく両手を振って返すエッケインであった。

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