第227話 夢現逃避 ─ 最後の夢
Side:天霧 英人
父さんと一緒にB級ダンジョンでリッチを倒してから一ヶ月ほど経った。
朝は稽古を付けてもらい、毎日ダンジョンに潜った。
敵の攻撃パターンや弱点、有効なアイテムや属性など、道中は父さんからいろいろ教わった。
その中でも一番熱心に教えてくれたのが、不思議なことに父さんのジョブスキルとユニークスキルについてだった。
「
赤黒いオーラが大剣に纏わりつく。
そして大剣は凄まじい速度でゴブリンキングを斬り刻んだ。
「見てたか? この技は剣速が速いからな。敵じゃなくて魔法攻撃も余裕で散らせるんだぜ」
そう言った父さんはゴブリンの魔石を回収すると、さっさと次の獲物を探しに歩いていく。
今みたいに父さんの「狂戦士」ジョブのスキルを、一通り見せられた。
そして何度も俺に見せては、同じような説明を繰り返す。
父さんはいったい何がしたいのか……何度見て説明されても、俺が使えるわけもないのにね。
まああれだろう、息子に自慢しているんだ。
『どうだ? 俺のスキルは……すげぇだろ?』
父さんの顔をよく見れば、そう言っている気がしてならない程のドヤ顔だった。
まあ実際俺も父さんの戦いはいつまでも見ていられるから、何度スキルを使ってくれてもいいんだけどね。
こんな感じで父さんはスキルをよく見せてくれるんだけど、当の俺はそれどころでは無かった。
ここ最近、幻聴みたいなものがよく聞こえるんだ。
それがここ数日は酷くなってきている。
『熱い……苦しい……痛い』
そうそうこれこれ……なんなんだいったい。
幻聴は頭の中にぼんやりと響いてくる。
そして声に加えて、妙な不快感が身体を巡る。
今回は熱さと息苦しさに加えて、肌がヒリヒリするような感覚が走る。
幻聴を聞いていると、なんとも言えない不安が襲ってくる。
今すぐどこかへ行かないといけないような……そんな気がする。
「どうした英人。調子がわりぃのか?」
不思議な感覚に苦悶していると、父さんが心配してくる。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れたみたい」
「そうか。なら少し早えが飯にするか」
そう言って父さんは近くの切り株に腰を掛け、母さんが持たせてくれたおにぎりを頬張りはじめた。
俺も不快感を気にするのをやめ、昼食にすることにした。
昼食を済ませ、しばらくの休息を取っている時だった。
またしても幻聴が聞こえた。
今度は今まで以上にはっきりと――
『天霧英人のレベルが100に到達しました』
え?
レベル100……今はモンスターと戦闘すらしていないぞ?
『試練が終了します』
その幻聴と同時に、何かで頭を殴られたような衝撃が走る。
「っ ! ?」
一瞬、意識が飛んだ。
視界がぼやけると同時に、頭に大量の情報が雪崩れ込んでくる。
なんだ ! ? これは……
『練磨一刀!』
ネメア……そうだ ! ? おれは戦っていたんだ。
『ぐっ……誰でもいい! 奴を……逃すなぁあああ!』
ルアンだ……奴が生きていた。
ルアンがネメアの心臓を吸収して……待て、俺はどうなった?
全ての記憶が蘇り、徐々に頭に走る衝撃は和らいでいった。
俺は無意識に、自分の体を手で確かめていた。
ネメアの攻撃で引き裂かれたはずの俺の体は、何事もなく正常だった。
どうなっている……ここは夢か?
ここ一ヶ月、父さんと過ごした記憶がある。
それに加えて、ネメアと戦うまでの記憶もちゃんとある。
俺は直感的に、ここが夢の世界だと確信した。
現実の俺はどうなったんだろう。
胴体を裂かれたんだ。
普通じゃ生きてはいないはずだ……運が良くて、昏睡状態とかか?
それで今は、夢の中にいると……さて、どうやったらこの夢から出られるんだ?
辺りを見回すと、心配そうにこちらを見る父さんが居た。
「顔色悪りぃぜ? 水でも飲むか?」
父さんはそう言って、手に持った水を俺に差し出す。
父さんは、俺の記憶のままだ。
最後に父さんを見た10年前のあの日、玄関で出発を見送った当時のまま。
俺だけが歳を取っている。
目の前の父さんは、俺の夢が生み出した偶像にすぎない。
本物では無いことは分かっている。
だけど、この一ヶ月は楽しかった。
まさに夢の様な時間だった。
このままここで……夢を見続けるのも良いんじゃないか?
俺が望んだ未来そのものじゃないか。
「ほれよ。さっさと水飲め。まだボス部屋まで結構あんだからよ」
差し出す水を受け取ろうと、手を伸ばした時だった。
『英人……』
レイナの声がした。
苦痛の中で振り搾った様なその声が、俺の手を止めた。
だめだ……行かないと。
俺はここにいるべきじゃない。
そう思った時、目の前の風景が突然崩れはじめた。
ダンジョンの風景が、光の泡となって徐々に崩れていく。
「ごめん父さん。俺行かないと……」
早く現実に戻らないと。
「お? そうか」
「全部終わらせてくるから……そしたらまたダンジョンに行こう。今回はここまでにするよ」
今度は夢ではなく現実で、この日常を取り戻す。
だから、今はここまででいい。
「魔神ゼラもルアンも、他の魔族達も……全員倒して、全部終わらせてくる」
そう決意し、崩れゆく夢を眺めていた。
そうして消えゆく夢を眺めていると、父さんは微笑んだ。
「おう。あいつは強えぞ? だが俺は信じてるぜ? お前ならできるってな。ゼラの野郎をぶっ倒して来い!」
父さんの激励に、一瞬浸ってしまった。
「え?」
何かおかしい……
まるで魔神ゼラを知っている様な口振り。
「待って父さん! どうして――」
慌てて手を伸ばした時には、夢の風景は完全に消え去っていた。
父さんの姿も、ダンジョンの風景も一切が消えた。
俺の頭には、ニヤリと笑みを浮かべる父さんの顔が強く印象に残った。
そんな一瞬の間に、景色が変わった。
呆然と手を伸ばす俺の視界には、見覚えのある風景が新たに写っていた。
そこは家の玄関だ。
ウチの玄関? 現実……に、戻ってきた気はあまりしない。
また別の夢か?
そう不思議に思っていると、後ろのリビングの方からドタドタとこちらへ走ってくる足音と、甲高い幼子の声が響いた。
『父さーん! 待ってよー!』
後ろを振り向くと、三人の小学生くらいの男女が見えた。
あれは……俺か?
先頭を走るのは、間違いなく俺だ。
まだ小学生くらいの時の容姿をしている。
そしてその背後には、 幼い俺と同じくらいの歳の白髪の女の子と、少し小さい黒髪の女の子が走ってきた。
『まってよおにいちゃ〜ん』
幼い頃の鈴とレイナだ。
幼い俺とレイナと鈴の三人は、真っ直ぐこちらへ走ってきて――
「おう ! ?」
俺の体をすり抜けていった。
三人に、俺の姿が見えている様子は無かった。
『父さん! おれもいきたい!』
幼い俺の声だ。
俺を通り過ぎた三人の方へ再び振り返ると、そこには父さんがいた。
『あん? まだダメだな。ステータスも出てねえだろう』
『えー。待ちきれないよ〜』
これは……あの日の記憶だ。
父さんを最後に見た日。
父さんがEXダンジョンへと向かった日の朝だ。
『帰ってきたら鍛えてやるから、今回は大人しく待っとけよ』
『本当 ! ? 修行つけてくれるの ! ?』
だんだん思い出してきた。
この後確か、鈴とレイナが何か言っていた気が――
『おにい! すずも! すずもいっちょにやる!』
『わたしもやるわ! だから、大きくなったら3人でパーティーくみましょうよ!』
騒ぐ俺たちに、父さんが言う。
『そうだぜ、レイナの言う通りおめえら三人でパーティー組んだらどうだ?』
俺は確かこの後……
『えー、俺は父さんと組むからいいよ!』
そうだ……俺はその提案を拒絶していた。
言った通り、父さんとダンジョンに行くことしか頭に無かった。
『えいと! わたしとパーティー組むんだから! 約束よ!』
『わーい! ぱーてー!』
レイナと鈴は、二人で盛り上がっていたっけな。
俺は当時、「俺は父さんと行くから、二人でパーティーを組んでくれ」と、そんな風に心で思っていた気がする。
その証拠に盛り上がる二人の横で、俺は仏頂面を晒している。
『戻ったら三人とも鍛えてやるからな! 覚悟しとけよ!』
父さんがそう言って、家を出ていった。
父さんの背中は閉まる扉に遮られ、すぐに玄関には俺達だけになった。
――バタン
扉が閉まる音が良く聞こえた。
それと同時に幼い頃の俺達の姿も、既に無くなっていた。
気付けば俺の視界には、どこまでも続く真っ白な空間だけが写っていた。
この時の俺は、別にレイナと鈴のことが嫌いだったんじゃない。
俺は「憧れた父さんと一緒にダンジョンを旅する」、ただそれしか考えていなかったんだ。
その夢に、俺と父さん以外は居ない。
ただそれだけだったんだ……
白い空間にしばらく佇んでいると、声が聞こえた。
『天霧英人よ、お疲れ様でした。試練の終了です』
それは、今まで散々耳にしていた声に似ていた。
声の方へと振り返ると、そこには髪の長い女性の様なシルエットをした光が浮かんでいた。
『私はイヴァ。魂と輪廻の女神』
淡く輝く光のシルエットは、女神イヴァと名乗った。
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