第149話 絶望と失望
Side:御崎潤
新宿にあるブレイバーズ本部の執務室にて、朝から格闘していた書類仕事が終わった。
「ふぅ……やっと終わったよ」
息を大きく吐き、凝り固まった身体を伸ばす。
「お疲れ様、代表って大変よねぇ」
「うむ。だが潤が頑張っているおかげで、俺達は楽ができているのだ」
新宿周辺の巡回を終えて戻って来ていた綾と剛が、ソファで寛ぎながらそう言ってきた。
時計を見ると、時刻は19時を過ぎていた。
「もうこんな時間か……二人ともお腹空いてない? 久しぶりに焼肉でも食べに行かないかい?」
僕が声をかけると、二人は瞬時に反応してくる。
「待ってました!」
「うむ。これは聞いた話だがな潤……パトロールで疲れた筋肉には、黒毛和牛が効くらしい」
まあこれはいつもの事だ。
二人は僕が食事に誘うのを、こうやって待っているんだ。
もちろん僕の奢りでね。
綾と剛は歳も近いし、僕には遠慮がない。
そうやって接してくれる人は少ないから、僕としても嬉しいけどね。
「はいはい。黒毛和牛ね……じゃあ今日は少し良い店にしないとね」
「いえーい!」
「上腕二頭筋が喜んでいる!」
こうして、僕たちは3人で夕食に向かった。
クランハウスを出ると外はすでに暗く、大きな月が夜の新宿を照らしていた。
「綺麗な満月ねー」
「うむ。今日はスーパームーンらしいぞ。なんでも一年で一番、月が大きく見えるとかなんとか」
「へー、確かに大きいわね」
綾と剛が空を見上げ、そんな会話をしている。
釣られて僕も空を見上げると、黄金に輝く満月が見えた。
スーパームーンって言うのか……
確かに綺麗だな――
満月に見惚れていたその時、満月を黒い影が横切った。
「ん? なんか今通らなかった?」
「鳥の様だったな」
特に魔力は感じなかったから、鳥か何かだと思うけど――
そしてその時、唐突に爆発音が響いた。
――ドカーン!
「何 ! ?」
「今のは……ダンジョンの方から聞こえたな」
僕は嫌な予感がした。
すぐにシーカーリングを起動し、巡回中のクラン員に確認する。
「何があった ! ? 今の爆発音の近くにいる者はいないか ! ?」
オープンチャンネルにて、巡回中の全てのクラン員に問いかける。
『こちら
「西宮! おい西宮! 応答せよ!」
『――』
西宮からの応答は途切れ、巡回中の他のパーティーからの応答も無かった。
一瞬の応答から、僕は頭をフル回転させる
おそらく吸血鬼の襲撃が始まった。
襲撃からそんなに時間は経っていないはず……なのに今の段階で、既に荒木と錦のA級パーティーが壊滅している。
そしておそらくS級の西宮のパーティーも……
この短時間でここまでの被害……僕達は敵の戦力を見誤っていた?
「潤! ボケっとしてる暇はないわよ!」
綾が僕に喝を入れる。
我に帰った僕は、すぐにシーカーリングで全員に指示を出す。
「ブレイバーズ総員出動せよ! A級以下は戦いを避け、市民の避難を優先! 敵は吸血鬼と思われる。ミスリル武器を必ず装備しろ!」
『『『了解!』』』
クラン員の応答を聞いた僕は、秘書の片桐にこの場を任せる。
「片桐、ブレイバーズ本部は現時点をもって緊急避難場所に指定する。市民の避難を誘導してくれ。本部防衛の人選は任せる」
『かしこまりました』
「綾、剛、すぐに現場に向かおう」
「了解よ!」
「うむ!」
僕達三人は本部を離れ、発生源と思われるS級ダンジョンへ向かった。
ブレイバーズ本部からS級ダンジョン「暁の古城」へと向かう道中、パニックになった市民が波となって押し寄せていた。
「嫌ー!」
「うわああ!」
「落ち着いて! ブレイバーズ本部へ避難してください!」
人の波を押し退けながらなんとか前進していると、誰かの絶叫が聞こえた。
「――てよ……いやあぁあああ!」
女の子の声 ! ?
もたもたしてられない!
僕は近くの市民を押し退けて跳躍した。
上空へと飛び上がると、何が起こっているかがよく分かった。
S級ダンジョンがある地点からは火の手が上がり、夜の空に黒煙が立ち昇っている。
その煙から見え隠れするのは複数の吸血鬼と思われる姿。
そしてすぐ手前には、折り重なって倒れている人影に縋り付き泣き叫ぶ少女。
その少女に向かって、腕を振り上げる吸血鬼。
「させない!」
魔力で足場を作り、吸血鬼に向かって跳躍する。
「あの世でパパとママに合わせてあげるか――」
――ザシュ!
「――あれ?」
醜悪な笑みから一変、驚きの表情のままその首が落ちる。
「お前達は許さないよ……ゲス野郎どもが!」
自分でも驚く程に、強い言葉が出てくる。
そして同時に、腹の底から怒りと悔しさが込み上げてくる。
少女のそばで折り重なる遺体は、おそらくこの子の両親のものだろう。
何より少女の表情が、僕がこの世で一番見たくないものだった。
異国の戦地で散々目にしてきた。
――絶望と失望
『どうしてもっと早く来てくれなかったんだ!』
『あと少し……ほんの少しだけ早ければ……家族が死ぬ事はなかったんだ ! ?』
かつて浴びせられた言葉が脳裏で木霊する。
「遅くなって本当にすまない……」
僕はただ……謝ることしかできない。
今まで何度もこの言葉を口にしてきた。
その度に、僕は希望であり続けなければならないと、そう己に戒める。
「ケハハハ! 今良いところだったのによお!」
――ザシュ!
「少し黙ってくれるかい?」
もう一人の吸血鬼の首を落とす。
そしてミスリルの剣で斬ったからだろう、落ちた吸血鬼の生首から光が消える。
「綾、剛……その子を安全なところへ――」
綾達に指示しようとした時、突然強烈な突風が吹いた。
僕はすぐに、突風の方角を見る。
「なんだ……あれは?」
思わず虚空にそう問いかけてしまう程の馬鹿げた光景。
頬を冷たい雫が伝う。
『『『ヒハハハー!』』』
『『『フォー!』』』
黒煙立ち昇るダンジョンの方角から、夜の空に向かって飛び立つ吸血鬼達。
その夥しい数に、僕達はただ呆然とその光景を眺めていた。
「なんて数なの……」
「これは……」
数百? 数千? そんな可愛らしい数じゃない。
数えるのも馬鹿馬鹿しい程の吸血鬼達が、一斉に飛び立つ事により生まれた突風。
そして吸血鬼達は空を埋め尽くす。
月明かりでさえ一才の光を通さない程の密度。
新宿は闇に堕ちた。
いや、新宿だけじゃ無い。
吸血鬼達は四方八方に飛び去っていく。
もう東京のどこにも、安全な場所なんてないのかもしれない。
噴水のごとく沸き続ける吸血鬼に、僕は思考が追いつかなかった。
「ちょっと潤! どうするのよ ! ?」
「まずいぞ潤……これは俺たちだけでは――」
その時、膨大な魔力の高まりを感じた。
「ん……アトモスフィアレイド」
――ゴオオ!
これは……風魔法!
上空に向けて放たれた大気の渦が、空を覆う吸血鬼の天井に穴を開ける。
ほんの一瞬、再び月明かりが新宿に差し込んだ。
だがそれも一瞬、夥しい数によって再び闇に戻る。
「潤さん! 状況は ! ?」
すぐ隣の影から、涼が姿を現す。
「お待たせ……これで全員集合」
もう二人の仲間が駆けつけてくれた。
「ミト、涼……きてくれたか」
ここで少しだけ、僕は冷静さを取り戻した。
「潤……どうするの? 私たちはどうすれば……」
パーティーがそろったとは言え、あの数の吸血鬼を相手にするのは無理だ。
ならばやる事は一つ。
「奴らの発生源を特定し、迅速に元凶を叩く! 場所はおそらくS級ダンジョン……時間との勝負だ」
僕らにできることは少ない。
「潤、この子はどうする?」
先程助けた少女。
未だその瞳に生気はない。
「置いてはいけない。安全な場所が確保できない以上、連れていくしかない。剛、その子を最優先に守ってくれ」
「了解した」
僕らのそばにいる事が、現状では最も安全な場所だ。
だが元凶の元へ行く以上、危険度もまた跳ね上がる。
僕らがやられた時、同時にこの子の命もそこまでだ。
今は何がなんでも守り切るしかない!
「みんな行くぞ!」
「了解よ!」
「うむ!」
「はい!」
「ん!」
そうして僕たちは、S級ダンジョンへと向かった。
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