三九話、廿の流転の門と、旅行一日目③
運んできた器のなかには、暖かい白い液体が入っていた。上にはなにかの赤い粉が
先に飲んだ鴉羽の感想は、甘い、であった。
スープ(と呼ぼう)は甘酒のような香りがする。上の粉も、砂糖っぽい。ただよくよく口の中で味わうと、ただ甘いだけではなく、しっかりと出汁(?)の風味がある。
「あら、これいいわねー」とミズーリが褒める。男の子を招いて右隣に座らせている。鴉羽は不平な顔をして、ミズーリの左をとった。
「お姉ちゃんってほんとわかんない……あ、甘い」とカリン。
一気飲みしたやえが、「ん、よくわかんないけどおいしい」と風流も何もない感想を言う。
ぅととえるにーにゃは、さすがお嬢様と言うべきか、用意されている低い円卓の前に正座して、手を添えゆっくりと飲んでいる。
上品だ。
……あれ、やえもお嬢様じゃないの?
出会った頃はドレスを着ていたし。
「もうちょっと色々聞いておけばよかったなぁ」と、鴉羽は「転生者、ここに記す」の本を借りたことを後悔した。これがなかったら、もっと色々やえも打ち明けてくれたのかもしれない。
が、もう遅い。
何か大事なことを聞く度に、あの日のやえの、苦しそうな顔が脳裏を掠めて、言葉が出てこないのだ。
「あの……聞きたいんですが」と男の子が口を開く。
「?」
「おまえらは……月兎じゃないよな」
「……」
なかなか、察しがいい男の子。突然口調が素に戻る。
彼は、ほらやっぱりと、固まるみんなを睨んだ。
「なんでここにいるの」
「私が……その、紹介したから」
「ルールはルールだから、月兎以外は入っちゃダメだろ」
男の子が頭を振る。
やっぱりそうか、と鴉羽がため息をつく。
嫌な予感がする。
「えー、だめ?……うち、結構ここ気持ちいいんだけどー」とミズーリが男の子に顔を近づける。
地味にあいた胸元から、なんとか目を逸らしながら、男の子が身を引く。顔は真っ赤である。
「ちょっ、……近づくなサキュバス!」
少しイラッとする鴉羽。
「あら、そう呼ばれたの初めてー」とミズーリは気にせず擦り寄る。……わざとだよね。男の子がついにその圧に耐え兼ねて立ち上がって立ち去ろうとする。
そこにひとつの声が上がる。
「ちょっとあんた、何よ偉そうに!別にいいじゃないのそれくらい!」
カリンだった。彼女もまた、姉を悪く言われて気分を悪くしていた。立ち上がって男の子の袖を掴む。
「なっ、離せよ」と抗う男の子。
バランスを崩して、壁に背中をぶつける。
「……っ」
────どんっ。
カリンは男の子の背後の壁に両手をついた。二人の顔は、唇が触れ合いそうになるくらいに近い。
さすがの男の子も驚いて、目をぱちくりさせている。元気な小学生特有の、大胆さに気圧されたのだ。それに加えて、カリンもミズーリに負けず劣らず、将来有望な美貌をしている。
初めてここまで女子と急接近した男の子(たぶん身長からしてカリンと同い年くらい)は、何を返せばいいか、分からずにいた。
「……その、近いんだけど」
「だから何よ」
「いや、その」
「ふーん、恥ずかしぃんだぁ。どうせ、エッチなことばっか考えてるんでしょ」
カリンがからかう。歯を見せて笑い、左手は壁につけたまま、右手を男の子の顎に当てた。
すごい。
行動が男らしい。
「なっ、そ、そんなこと考えてるわけないだろ」
「ふーん」
「な、なんだよ」
「ちょっと今夜下に来なさぁい、あたしがお仕置きしてあげるわ」
「あら」とミズーリが口に手を当てる。なんで、ちょっと嬉しそうなの……と、鴉羽が心の中で突っ込む。
お仕置きと聞いて、何を思いついたのか、男の子は完全にパニックになった。
「や、やっぱお前もサキュバスだろ!オレになにをする気だ!」
「何よ?なんか変な勘違いしてるわね。……あたし、本当にお仕置きをするつもりよ?お姉ちゃんを『サキュバス』って言ったお返しね!デコピン千発か、ビンタ十発か選んでおいてよね」
……うわぁ、痛そう。
そして、何をカンチガイしていたのか、ミズーリが残念そうな顔をする。本当に何を考えているのか。
ついでにえるにーにゃも様子がおかしく、ぅとのほうをトロンとした目で見つめている。
男の子も何かをカンチガイしていたようだ。
「……」と無言になった。へぇ、とカリンが追い討ちをかける。
「なぁにを勘違いしてたのかしら?言ってみぃ」
「い、言わねぇよ!勘違いなんかしてねぇよ!」
と顔を逸らす。カリンがさらに顔を近づける。……強いなぁ。
「ほぉん、じゃあ、お仕置き決まりね」
「わ、わかったよ……じゃなくて、なんでオレがお仕置きされなきゃいけねぇんだよ!」
男の子がやっと我に返って、カリンをどんっと押した。が、その両手が胸にあたって、真っ赤になったカリンからビンタを食らってしまった。
「……っ。おまえ、まじなんなんだよ」
「あんたが悪口言うからでしょうが」
「もういいわ、姉に言ってやる」
と言って、再度立ち去ろうとする。
と、そんな時。
ガラリと、戸があいた。
そこに現れた人物に、みんなが驚く。
「お母様!?」
ぅとが驚く。「結構はやいんですね」と言った。すると
「用事を早く済ませて来たのよ。……あら、そこの二人、仲良しさんね」
そこの二人とは、もちろんカリンと、彼女から平手打ちを食らった男の子である。顔がまだ若干腫れている。
だが、男の子もドリィネがやってくるのを見て目を見張っていて、後ずさった。
「……ドリィネさま……!?どうしてここに」
そういえばドリィネはえるにーにゃの母親だから、月兎だったな、と思い出す鴉羽。
ドリィネさまという呼び方。
不思議そうにしていると、えるにーにゃが解説する。
「お母様は、この二桁の門一帯の管理者なんです」
「二桁!?……ってことは、十から、九十九までの門全部!?」と驚きを隠せないカリン。
門は千ほどある。そして、どの門にも、十数の扉があり、例としては今回の「流転の門」であったり、前一瞬だけ出てきた「水の門」であったり、他にも「源の門」「咲かず木の門」などがあるらしい。
その全てを管理しているという、ドリィネ。
父親といい、この母親といい。
曉家は明らかに桁違いの存在だった。
まるでいいとこのホテルに国王といった存在がやってきたような状況。男の子が混乱するのも仕方ない。
そもそもミズーリがいなかったら、鴉羽だってぅとやえるにーにゃと出会うことはなかったかもしれない。そしてその姉妹と出会っていなかったら、その母親を知ることもない。
本当に高校に入って、出会いが広がったと鴉羽は感じた。
「あら、ただ泊まりに来ただけよ。この子たちの保護者と言ったところかしら」
「……」
何か言いたげな男の子。おそらく「あの人たちは月兎ではない」とでもいいたいのだろう。が、口には出せない。
カリンにだいぶメンタルをへし折られていた彼は、すんなり引き下がった。これは姉に言ってもしょうがないと思ったのか、大人しく退却した。
……姉?そういえばさっきから言っている姉って……。
男の子は紺色の髪をしている。少々伸ばした後ろ髪を、乱暴に束ねている。
「あ、ちょっとお待ち」とドリィネが袖を掴む。
「……な、なんでしょうか」
「座りなさい」
「……はい」
男の子を、自分の横に座らせるドリィネ。既視感。
ドリィネは男の子をちらりと見て、
「まずは自己紹介ね。僕、名前は?」
「……オ、僕は」
「オレでいいわ。無理にかしこまらないで」とドリィネが頭を撫でてあげる。
……誰のせいだ。
高位の存在がそばに一人。さらに周りは全員女子。男の子は完全に固まってしまっていた。
鴉羽は少し彼が可哀想に思えてきた。
一息ついて彼は話し始める。
「……オレは『アシュビニャ』。
「え、あ、やっぱりって思って」と鴉羽が返す。
流れで、みんな自己紹介をすることになった。最後にカリンの番になって、彼女は再度アシュビニャに顔を近づけて、
「カリンよ。覚えておきなさい!」と言った。
「……おう」とドリィネを見ながら頷く。
「この宿……というより、この門はね、本当に最近になってからおかしくなったのよ」とドリィネが本題っぽい何かを打ち明けた。
「おかしいって?」
「……」俯くアシュビニャ。どうやら、彼が月兎以外を受け入れない理由と関係があるようだ。
話はこうだ。
何百年前まで、月兎は概ね他種族に優しかった。が、突然ある日を境に、ほかの種族の乱暴さが増して、これでは行けないと、管理者たちは判断をした。
だがその会議(ではないが、手紙のやり取りで)において、ドリィネは「全部の関係を断つ必要はありません。一般の館はお客様用にも空けておくべきです」と提案し、受け入れられたそうだ。
が、全ての管理者が納得したわけではない。
結果としては、建物の形を変えることにした。存在自体が霧の魔法に近いので、魔法で簡単に形は変わる。
そして出来上がったのが、そう───鴉羽たちが見たような、一階にドアのない、他種族に不親切な街になってしまった。そういう文化だと言えばそれでおしまいだ。
ただ長寿のドラゴンと言った客はやはり何百年前との違いには眉を顰めるらしく、「それはおかしいぞ」と抗議を起こし、そこでもまた一揉めあったという。
結果、対策は厳しくなった。
霧がかかっている時間を、伸ばす。
同伴の月兎がいなければ、道に迷う。霧の中に徘徊する。
そして、最上級のホテルや館には───月兎以外は入れない、という状況になってしまったのだ。
(だーから一般のお客はダメなのね。……ここって最上級の館だったんだ……道理で部屋がいいわけだよ)
鴉羽は話を聞きながら、色々納得した。
変な街も、昔はそこまで特異なものはなかった。同時に、特徴もなかった。霧もそこまで濃くなく、時々流星も頭上に見えたという。
ドリィネの体験談だった。
……ん?待って。
(ドリィネさん、何歳?)
新たな問題が浮上したが、これは永遠に分かることの無い問題だろう。
「あの聞きたいんだけど」
「……?」
「おまえらは……雪兎か?」
アシュビニャは真面目な顔をして、みんなに訊いた。
雪うさぎ?
なに?
そんなのもいるの?
「ええっと、違うけど」とやえ。他の人も続いて頭を横に振る。存在自体、知らなかった。世界は広い。
「ここはもうお互い、隠さず言っちゃいましょ」ドリィネがパンッと手を叩く。それにはみんなも賛成して、ついでに「アシュ遅くない?」と弟が気になってやってきたアケビナも呼び入れて、みんなで「自己紹介・第二弾」を行うことになった。
自己紹介は、言い出しっぺのドリィネからスタートした。
……あなたは別にいらないと思う。
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