第15話 死の淵

 ――ヒトナリはひたすら落下する。

 地面に激突するまでは恐らく数十秒だろう。だが彼の体感する時間は引き伸ばされ、何分にも、何時間にも感じられた。


 彼は思う。これが俗に言う走馬灯だと。

 死を受け入れた人間にのみ授けられる最後の祝福。

 神異みたいなものだな、とヒトナリは他人事の様に独りごちた。


 俺の不死身ゾンビ神話もここまでか。ヒトナリは目を瞑り、諦めの境地に達する。

 瞬間、イレギュラーが起こった。


「藤實ヒトナリさん……。貴方、情けないですねぇ」


「はぁっ!?」


 ヒトナリの隣には、誰もが予想しない存在がいたのだ。

 目立つ緑の髪に、煌びやかな黄金の瞳。

 それはヒトナリの宿敵、イクサバだった。


「手前ェ!?なんでっ!……ぶっ殺してやるよォ!」


「あーうるさいうるさい。貴方そんな余裕あるんですか?

 あと10秒で地面にぶつかって死ぬんですよ?

 そーだ!3秒以内に『助けてくれ』と言ったら力になりますよ」


「誰が頼むかァ!?ていうか、手前ェ!もっとこっちに来やがれ!っ!

 捕まえてお前をクッション変わりにしてやるよォ!!」


「さーん、にー」


「……ッ!?まてまてまてまて!!」


 ヒトナリは今、人生の佳境に立たされていた。

 自身のプライドを優先し死ぬか。

 それとも恥を忍び、仲間の仇に救いを求め、イクミを助けるか。

 残された時間は3秒。彼の脳裏に様々な憶測が飛び交う。

 イクサバとは?奴のメリットは?俺は騙されているのか?


 ――いや、何を考える必要がある。

 自分は不死身なのだ。運もあるだろう。だが選択とは己の意思なのだ。


(手前ェの実力で勝ち取ってこその生だろうがっ!!)


 ヒトナリの腹は決まった。


「イクサバァァ!俺を助けやがれェェェェェェ!!」


「及第点。ですが、サービスとしましょう」


 ヒトナリの視界は一瞬暗転する。

 気が付くと彼は落下したマンションの10階内にいた。

 少し離れた位置にで、イクサバは目立つ緑髪を手持ち無沙汰に弄っている。


「……なんで助けた」


「ワタシ、貴方のこと気に入ってるんですよね」


「なんかキモイな手前ェ」


「それが命の恩人に言う言葉ですか?

 ……ワタシはね。あの絶望的な状況で、ワタシに刀を振り下ろす貴方の姿に、人間の可能性を感じたんですよ。

 これは助けた理由になりませんか?」


「……俺を助けたこと、後悔することになるぞ」


「楽しみにしてますよ……っとそうだ。もう1つ、貴方にコレを」


 イクサバの手にはいつの間にか刀が握られていた。

 その刀をひょいっとヒトナリの方に投げる。


「手前、マジで何考えてやがる」


 受け取ったヒトナリが鞘から刀を抜くと、その刀身は黒く鈍い光を放っていた。

 ヒトナリは使わなくても分かった。この刀は凄まじい切れ味を有している。

 その無骨な見た目は、芸術の観点からしたら万人受けはしないだろう。

 だが純粋な人斬り包丁としての価値はずば抜けて高い。

 純粋な殺傷力だけなら銘刀と呼ばれるべき逸品だ。


「恩でも売るってんのか?」


「邪推は美徳じゃないですよ。素直に好意を受け取る、そういう日があってもいいじゃないですか」


「手前ェのやること、為すことを邪推するなって言う方が難しいだろうがっ!!」


「今は、?」


 イクサバの言うことは正しかった。

 ヒトナリは、イクサバに向けた自分の発言を思い出す。


 やるべきこと、為すべきこと。

 それは北虎イクミと共に春夏冬ケンを捕らえることだ。


「あぁ、分かったよっ!!ていうか、言われなくてもンなこと分かってんだよ!!

 ……おい、イクサバ。マジで次会ったら殺す。

 今は見逃してやるよ」


「えぇ、楽しみにしてますよ。

 簡単に殺られるつもりはないですけどね」


 イクミを救うため、ケンを捕らえるめに。

 傷つき痛む身体に鞭を打ち、ヒトナリは階段を駆け上がった。

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