掃き掃除と男


 レイラから受け取ったメイド服を、やっとの思いで1人で着終わったイマルが最初に仕事として渡されたのは、一本の箒と外の掃き掃除だった。


 レイラは「イマルにはまず外の空気に慣れてもらわなくっちゃ」と、昼食と夕飯の材料をかごいっぱいに抱きながらイマルに掃く場所を指して家の中に入って行った。

 イマルの仕事場所として指された場所は、屋敷の大きな敷地の裏庭で、大きな楓が何本か壁沿いに植えられた静かな場所で、遠くから道を歩く子供の声が薄く聞こえてきた。

 鋭く地面を焼く日光は、枝の隙間から少し柔らかくなっていて、日焼けなど経験したこともないイマルの最初の外としては最適な場所だろう。


「おっきい木だ..」


 イマルは首が痛くなるほど上を向きながら呆然と口を開ける。

 ふと後ろを向いて先ほどまで中にいた屋敷もイマルは見上げてみると、2階の窓が楓の木よりも少し高い位置にあるのを見つけ、「もっとおっきい家だ..」とうわごとのように呟いた。

 赤い煉瓦造りの屋敷は遠目に見ても古さがわかるほどで、壁にはヒビが入っている部分もあるが、未だ要塞のように建っている。

 暫くぽけぽけと上を見続けていたイマルは、ハッと気づいて箒を構える。

 レイラから言われた言葉は、木の下にある落ち葉を壁の方まで掃いていくこと。

 イマルの体力ではなかなかに大変だろうが、未だ自分の体の疲労限界などわからないイマルは鼻から大きく息を吐き仕事に取り掛かる。

 落ち葉にはまだ鮮やかに緑を乗せているものもあれば、茶色く一生を全うしたものも落ちていた。

 大量に落ちている落ち葉は湿気で重く土と固まっていて、イマルが箒で動かすがなかなか土から離れようとしてくれない。

 なんとかまとめようと力を入れて掃いてみると、逆に木の根に躓いて膝から土に倒れてしまった。

 急いでイマルは立ち上がって服に付いてしまった土を落とそうと擦るが、前掛けのエプロンには茶色いシミがまだらについて、不恰好な見た目で終わる。

(どうしよう..新しくお姉様にもらったのに..)

 レイラに報告するために戻ろうかと勝手口の方へ進もうとした時、ふと思う。

(葉を全部まとめるのと汚してしまったことを言いに行くのはどっちを先にやるべき?)

 今までの経験でいうなら、確実に前者が先だ。

でもレイラは人間屋で言われたことは守らなくていいと言っていた。

 でも人間屋での言葉を捨てるというのは、イマルにとっては常識を投げさるも同然である。

 堂々巡りになってきたイマルの思考が熱を出しながらパンクしていく。

(とりあえず、前にあるものをやろう)

 思考が回らなくなったイマルは目の前にある山積みの仕事からやることにした。

 そんなイマルが細い腕で必死に掃き初めて1時間経って、やっと楓2本分の落ち葉が壁に小山を作って溜められた。


 籠の中の鳥であったイマルには1時間もの労働というのは常人が想像する倍は辛いもので、イマルの体には泥のように重い、昨晩眠ってしまった時も感じた感覚がある。

 本能的に体の限界を悟ったイマルは吸われるようにイマル2人分はありそうな大きい壁へと寄りかかった。

壁はじんわりと暖かく、昨日ウィズと眠っていた時のことを思い出させる。

 思えば、長い間誰かに寄り添われるということはイマルの生涯にはまだない経験だった。

 人間屋にいたころ、体が弱くてしょっちゅう寝込むイマルを包んでいたのは、あの停滞した空気と薄い布団だけで、意味もなく扉を見つめることしか出来ていなかった。

(でも、あの時のご飯は美味しかったなぁ..)

 食いしん坊なイマルの頭の中には、もうあの時の苦しみではなく、たまの楽しみだった病人食が浮かんでいた。

 あの時の食事はいつものシリアルバーではなく、クタクタの野菜がたくさん入ったスープで、味は薄いもののイマルの舌には十分過ぎるほどに美味なものであった。

 そう思っていると、イマルの体が段々と腹が減ってきていることを知覚していく。

「お腹、空いたなぁ」

 ぽけっとそんなことを空に呟いてしまったイマルは、これではいけないと掃き掃除を再開するために壁から起き上がった。

 箒を持ち、次なるターゲットに狙いを定めて大きく右足を前に出す。


 そんなイマルの目の前に、ゴトリと重い音がして何かが壁の向こう側から投げられてきた。

 驚いたイマルは思わず右足を前に出した体のまま固まる。

「おいそこの、腹減ってんのか?」

 急に壁の上から軽薄そうな声が降ってくる。

イマルが反射的に声の方を向くと、そこには壁の上で悠々とあぐらをかいている黒髪の男がいた。

 男はボサボサの黒髪をガリガリ掻くと、細いつり目でイマルをジッと見つめる。

 暫くして、男は顎で何かを指して「食べなよ」とまた投げやりに声を出す。

 イマルは指された方を見回すと、布で包まれた手のひらほどの丸い塊を見つけた。

 きっとこれがさっき落ちてきたものなんだろうな、と1人納得して、布を開く。

 布に包まれていたものは赤く丸々とした林檎で、少し皺が入っている姿は老婆の顔のように見えた。

「あんまいい林檎はなくってさ。でも、美味しいよ」

 人懐っこく笑いながら男はゆらゆら揺れる。

 その動きは風に吹かれる雑草よりも軽く、イマルにはそのまま食べられてしまうのでは思うほどに不気味なもののように感じた。

 手に持った林檎に思わず力がこもる。

体に入った力を抜けずに、イマルは恐る恐る口を開く。

「あ、あの、名前..教えてください」

 あの人の名前を聞いて、そのままレイラお姉様に報告しよう。だって絶対不審者だし。

 そう強く思いながらイマルは男の口の動きをジッと見つめる。

 暫く2人の間に糸が張るような緊張が続き、揺れる枝一本一本の音さえ聞こえそうなほど静寂が満ちる。

男が急に、あっ!と声を出した。

 また驚いたイマルは垂直に揺れながら、男の顔をまた下手くそに睨む。

「俺の名前はね、ピエロさん」

「ぴえろさん?」

 聞き馴染みのない音に、イマルはオウムの如く繰り返す。

 男は笑顔でそうだよ〜と手を振ると、そのまま背中から下へと落ちていった。

「あっ!」

 走って壁の方へと意味もなく駆け寄るが、イマルにはこの壁は越えられない。

(と、とにかくレイラお姉様に言わなきゃ!)

 イマルは箒を持って裏口へと駆けて行った。

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