第6話
たぶん二時間くらい、テランスの店で過ごした。客がちらほらと入りだした頃、宇宙人がテランスに何かを渡し、テランスは宇宙人に封筒を寄越した。宇宙人は受け取ると立ち上がり、わたしを促した。
「そろそろ行こう」
店を出ると、宇宙人が封筒を無理やり折りたたんでポケットに仕舞い込んだ。ちらりと見えた封筒の中身はお金だった。それもたぶん、かなりの金額。
「すごいね。どうしたの、それ」
思わず言うと、
「あそこにはまとめて卸してるんだ。最近は外国人しか相手にしないことにしてるからさ。ネット販売もやってない。もう、知り合いにしか売らない。ヤクザに見つかると面倒なんだ。商品がバッティングするから気に入らないってこともあるし、勝手に自分たちのシマで商売しやがって、ってこともあるし。そんなこんなで、しばらく雲隠れするのに、俺、金がいるんだよなあ」
「えっ、それって大変なことじゃない? お金かあ、ちょっとならあげられるけど、わたしも留学に使っちゃって、貯金もあまりしてなくて……」
そう言うと宇宙人は笑った。
「ありがとう。君、いい人だね。でも大丈夫、当てはあるんだ。あまり心配しないで。俺はせっかく溜めた金に手をつけたくないだけだからさ」
しばらく歩いて、もう一軒の店に入った。そこは住宅街の中の一軒家で、静かな雰囲気のワインバーだった。
「ここ、食べるものも美味いんだ。何か頼んでみる?」
店長は日本人で、奥にいる白人シェフと二人でやっている店のようだった。見ていると二人はとても仲が良く、どうやらゲイカップルらしいとわかった。
さっき食べたばかりで、お腹はそんなに空いていなかったけれど、せっかくなのでキャベツのバーニャカウダを頼んでみた。あとはスパークリングワインのいいのが入っているというので、それを。
白人のシェフが英語で話しかけてくる。もともと宇宙人と知り合いなのはどうやらこっちの男のようだった。話してみると、彼はオーストラリア人だった。名前はコナー、オーストラリア人だけど、イタリア料理のシェフだそう。料理もスパークリングワインもとてもおいしかった。
軽くグリルしたキャベツがとても甘くて、バーニャカウダソースにつけて食べると、なんだかやたらと幸せな気分になってきた。宇宙人はお腹がいっぱいだからとほとんど手をつけず、でも最後にわたしが食べ尽くしそうになっていたキャベツをひとくちだけ食べた。
「こいつとはバリ島で知り合ったんだ。一か月くらいずっと一緒にいたよ」
コナーが宇宙人を差し、にこにこしながら言う。
「小さいけれど魔法使いみたいな男だ。俺をとんでもないところへ連れて行ってくれた。どこだと思う? 宇宙だ。こいつのオリジナルレシピは本当にすごい」
「オリジナルレシピ?」
「こいつが作るのは普通のドラッグじゃない。次々、新しいものを作る。とにかく、研究熱心なやつだな。はっきり言って、天才だと思うぜ俺は」
宇宙人は苦笑いしながら言った。
「でも体を壊しちゃったんだよ、コナー。俺はもう、足を洗うことにする。入院したのは知ってるだろ。俺のハーブはもうこれで最後だから、無駄遣いするなよ、あと、やりすぎるなよ。恋人がいるからもう平気だろ?」
宇宙人がコナーに紙袋を手渡した。コナーは中をのぞくとうなずいて、奥に戻って封筒を持ってきた。けっこう厚みがあった。
「ありがとう、助かるよ」
「金は前の分も入ってる。あとの残りは餞別だ。しばらくどこかへ行くんだろ?」
「まあね、たぶん」
宇宙人は封筒を持って立ち上がった。そんな場面は無かった気がするのに、少し怒ったような表情だったので、不思議に思った。
「じゃ、行こう」
促され、立ち上がる。外に出ると、静かな住宅街の中を歩いた。夜であまり目印もないので、わたしはどこをどう通っているのかよくわからなかった。
「ねえ、どこかに行くの?」
「どこかって?」
「どこか遠くってこと。雲隠れするんでしょ、さっきコナーが言ってた」
「ああ、そのことか。まあね、俺は今学校も行ってないし、母親のところに行くのも気が進まないし。だからしばらくコペンハーゲンにでも行って来ようと思ってる」
「コペンハーゲン?」
「そう。コペンハーゲンでテントと寝袋を買って、そのへんで野宿しながらしばらくのんびりしてくるよ。あっちには友達もいるし。君も遊びに来ない?」
「でも、仕事があるから」
「まぁ、普通はそうだよな」
宇宙人は笑った。なんだかちょっと寂しくなった。
「じゃ、わたしそろそろ帰るね、電車無くなっちゃうし。楽しかった、ありがとう」
今日はもういいかな、と思った。
宇宙人がわたしを見た。じっと目の中を覗きこまれた。
「たぶん今、帰らない方がいいと思う。もうしばらく俺といた方がいい」
「どうして?」
「さっき食べたキャベツ、ちょっと甘かったろ。ピーナッツの香りがして。俺も最後にちょっと食べて気が付いたんだけど」
「うん、少し甘かったかな。おいしかったよ」
宇宙人は舌打ちした。
「だよなあ。まったくあいつ、頼みもしねえのに余計なことしやがって。サービスのつもりかよ」
「なんのこと?」
「『スペースウォーク』をキャベツにかけられた。君、ずいぶんあれを食べてた」
「何その、『スペースウォーク』って」
「前に、俺がブレンドした幻覚剤。ハーブの状態にして売ったこともあるけど、もとは粉薬だから食べるものにかけてもいいんだ。ショップに卸したこともあったんだけど、危険なんで引っ込めた。もう作ってない。材料もなかなか手に入らないし。あれは、多幸感があるだけのようなやつとは全然ものが違うんだ。俺の手元にも残っていないのに、コナーのところにはまだあったのか……。たぶん、量は大したことないはずだから、とりあえず様子を見させて。どう、大丈夫? なんともない?」
宇宙人の言葉に、急に不安になった。
「えっ何それ、よくわからないけど、そんなの困るよ。でも昨日だってわたしに何か飲ませたでしょ、実は今日も仕組んだんじゃないの? 嘘つき」
そう言うと、
「昨日のはただのラブドラッグだよ。あんなの別になんてことないよ。ずいぶん酒が入ってるなあと思ったから、ついでにダメ押ししてあげただけ。気持ち良かっただろ?」
(確かに、気持ちよかったかも)
混乱しながら、
「何なのよそれ、勝手に……」
そこまで言いかけて、急に頭の中がぐるんと回った。脳みそがすべったような感じだ。
(あ、ああ)
周囲が歪んで見える。平衡感覚がおかしい。それと同時に、道路脇の看板や信号機が妙にキラキラし始めた。見上げると空は満天の星。東京でこんな空は見たことがない。キラッキラだ。星が。
「わあ、きれい。すっごくきれい」
空を見上げながらそう言うと、
「あー、やっぱり入っちゃったな。そっか、きれいか。 どんな風に?」
側で声が聞こえる。宇宙人の声だ。でも姿は見えない。声だけ。自分がどこにいるのかわからなくなった。上下も左右もよくわからない。それなのに不思議と恐怖は感じなかった。
「うん、すごくきれい。キラキラしてる。まるでクリスマスみたい」
「それは良かった。それじゃあ、僕のUFOに行こう」
周囲の音にエコーがかかって聞こえ始めた。UFO、UFO、UFO、こだましている。わたしは思わず聞き返してしまった。
「UFO? 何それ。どうして?」
「『スペースウォーク』が効いていれば宇宙に行ける。コナーがそう言ってただろ? せっかくだから、これから君を連れていってあげるよ」
「ねえ、あなたは宇宙人なの?」
わたしがそう言うと、エコーがかかった笑い声があちこちから飛んできた。
「そうだよ。宇宙人なんだ。だからUFOに住んでるんだ」
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