第57話 夏コミ1


 ※このコミケの話は、チケット制、実施前の設定になっています。


 世間ではお盆。社会人の人もようやく夏休みに入り、その休みを利用して、各地に観光や墓参り、各地方の故郷に里帰りする人が多いため、各地の道路や鉄道、飛行機は満席とニュースで言っていた。年末年始、お盆の帰省ラッシュ、俺には無縁の話だが、いつも大変だなと思いながら、テレビのニュースを見ている。


 だが俺たちは、故郷に帰省せず、オタクたちの祭典、東京ビックサイトで3日間行われる同人誌即売会、通称コミケに行くことになっている。

 夏と冬、年に2回行われるこのイベント。全国のオタクたちが集まり、アマチュアの絵描きさんから、プロの絵描きさんがこの日のために、オリキャラのイラストや、好きなアニメや漫画を、自分が描くオリジナルの話を描き、多くの人に読んでもらう。そしてたくさんの人とつながることが出来る。それがコミケだ。


 午前8時。俺たちはビックサイトの最寄り駅、国際展示場駅の近くにある青い看板のコンビニで待ち合わせして、そして8時過ぎにようやく全員が集合した。


 興味本位で来たので、コミケの真の恐ろしさを知らない、観光気分で来ている菜摘、楠木、紫苑。そしてこの戦場に踏み入れる為しっかりとした装備で来た、木村と塚本。そして楽な格好で、紙袋を手に携えた葛城と共に、今回のコミケに参加することになった。


「……今日一日、頑張ろうね」


 今回、俺たちを俺をコミケに誘ったのは、木村だ。いつも大人しい木村だが、今回の夏の祭典は、ワクワクした顔で、俺に話しかけていた。木村は、この日をずっと待ちわびていたのだろう。


「満員の電車で疲れているかもしれないけど、疲れるのは今からよね? 松原君?」

「……まあ、そうだな」


 来る電車でも、このビックサイトに訪れるために、リュックを担いでコミケに向かっている男子、大きなショルダーバックを担いでいる女子。多くの客がビックサイトに行く手段として、交通機関を使うため、行きの電車は混んでいる。通勤ラッシュの時と同じぐらいだろうか。いや、それ以上かもしれない。


「楠木、紫苑。忠告しておく。今のうちに、飲み物を買うとか、トイレとか済ましておいた方が良い」

「少し待つぐらいでしょ? 1時間ぐらいなら――」


同人誌即売会コミックマーケット無礼なめるなよ」


 葛城の言葉に、事情を知っている俺、木村と塚本は頷いていた。太陽の光がダイレクトに当たる、炎天下の外の中で長時間並ぶ。そのせいで、数名が気分を悪くして、救急車で運ばれる光景は何度か見ている。


「年に二度行われる、日本、世界の同志オタクたちの交流会でもあって、そして戦場なの。一日で10万人ぐらいの人がこの会場に集まる。己の欲望のまま、お目当ての物を何としても手に入れるため、東西南北、広い会場を行き来するから、中は人でごった返しているし、熱気で空調もあまり効かない。中の自販機も売り切れが多発しているし、飲食店も多くの同志たちで混雑しているわ。楠木さんたちも、ふと目を覚ましたら、病室にならないよう、ちゃんと準備しておくのが吉よ」


 葛城の忠告に、楠木と紫苑は素直にコンビニで飲み物を買いに行ったが、そのコンビニも多くの人で混雑している。まだビックサイトに並んでいないと言うのに、二人は疲れ切っていた。




 そして集合場所のコンビニから少し歩くと、予想通りのコミケ開始を待つ多くの人が、長い行列を作って待っていた。まだ数キロメートル先、まだ開始まで2時間近くあると言うのに、もうこんなに長蛇の列が出来ている。やはりコミケは、開店前の飲食店、百貨店に並ぶ行列とは次元が違う。


「……これ、入れるの?」

「こんな人数は一気に入れないから、だいたい開始して1時間か3時間は入場規制がかかる。この位置だと、おそらく11時ごろに入れると思う」


 楠木の問いかけに、俺はそう答えると、楠木は肩を落として落胆していた。


「そんなにかかるのでしたら、しりとりしましょう~」


 暇つぶしの定番、紫苑がしりとりを提案してきた。まあ、少しの時間は暇は潰せると思うが。


「ふっふっふ~。ただのしりとりではつまらないので、私は四字熟語しりとりを提案します~」

「それは面白そうね。是非参加させてもらうわ」


 紫苑の提案に、葛城はすぐに乗って来た。こいつがウキウキした顔で話に乗ると言う事は、また良からぬことを考えているに違いない。


「それでは、先頭に立っているマロンからどうぞっ!」


 俺は強制で参加されているようだ。四字熟語なんて、数が限られているはずだ。すぐにネタが尽きて、紫苑が飽きるのを祈ろう。


「……一期一会」


 俺がそう答えると、俺の横にぴったりとくっついている菜摘が。


「依怙贔屓(えこひいき)なら、知っているような~?」


 菜摘の知識は本当に偏っているな。どこでそんな言葉を覚えたのか。もしかして、俺が持っているラノベの中に書いてあったのだろうか。


「き……き……。危機一髪?」


 楠木は国語が苦手なようだ。頭の奥底から絞り出して出した回答のようだ。


『津々浦々』


 スマホの音声機能を使って、木村はそう答えた。


「……ら? ……ですか?」


 らから始まる四字熟語。俺は全く思いつかない。中々無い言葉で、紫苑は悩んでいるようだし、これは紫苑で終わりそうだ――


乱離骨灰らりこっぱい


 そんな四字熟語、俺は葛城が言うまで知らなかった。


「おっぱいじゃないわよ?」

「それぐらい、分かっとるわ」


 葛城は俺にこれを言いたかったらか、そんな聞きなれない四字熟語を言ったのだろう。だが、よくもまあ、こんな行列の中で、女子が堂々とおっぱいと言えるな。その度胸だけは凄い。


「……い、意気消沈! ……あっ、終わっちゃいましたね~」


『ん』が付いたので、この勝負は紫苑の負けだが、しりとりに参加できなかった塚本は、少し寂しそうな顔をしていた。


「終わった後、その言葉通りにならなければいいんだけど」


 楠木はもう疲れ始めているようだが、紫苑はまだ元気がある。コミケが終わった時、紫苑はどうなっているのだろうか。意気消沈、葛城が思ったように、どこかの壁に寄りかかって白くなっていなければいいんだが。




 そして午前10時の開場の時間。先頭の方に並んでいた人たちが入り始め、この行列の中間あたりに並んでいる俺たちだが、まだ入れそうな感じではない。ここまで来たのだから、気長に待つと、10時半ごろに、ようやく前が進み始め、俺たちもようやく会場の中に入ることが出来た。


「……はぁ」


 楠木は人の多さに嫌気が差したのか、東館に通じる通路を歩く人たちを見ると、楠木は肩を落としていた。

 ここにいる人たちは、しっかりとした目的があるから、炎天下の中の行列、この人の多さに耐えられるのだろう。楠木みたいに、何の目的無し、観光目的で来たなら、ここまでの出来事が苦としか思わないだろう。


「あはは……。急に静かになってしまいましたね~」


 木村、塚本は各々でお目当てのものを買うものがあり、俺たちから一度別れ、そして不思議な事に、何も買わないと言っていた葛城も別れた。

 俺の元から3人が離れ、今は俺、疲れ切った楠木、まだ元気な紫苑、そしてマイペースに菓子パンを食べている菜摘が――


「……紫苑。……菜摘はトイレか?」


 横にいたはずの菜摘が、跡形も無くいなくなっていた。紫苑は何か知っているかと思い、紫苑に聞くと。


「菜摘ちゃんですか? 確か……この建物から入る前には、もういなかった気がしますね……」


 失踪した菜摘を探すため、俺は再び人ごみをかき分けて、一度ビックサイトの外に出て、菜摘を探した。




「……つながらない……な」


 この混雑のせいか、携帯の電波も悪く、繋がりにくい状態になっていた。菜摘がいなくなった時の最終手段として、菜摘に電話をかけて居場所を突き止めるが、今回はそう簡単にはいかないようだ。ビックサイト周辺を歩き回って探すしかない。

 行列に並んでいる時には、俺の横でマイペースにカレーパンを食べていた。そして東館に入り、会場の中で気が付くと、菜摘の姿は無い。


 菜摘は、何か興味を持ったものに、引き寄せられるように行く習性もある。つまり道中に、菜摘の興味に引かれるものがあったって事だ。


「……コスプレの所か」


 それしか考えられない。西館はこちら、と書かれた看板を見て興味を持つとは思えないし、色んなキャラクターのコスプレをした人たちを目撃したとなると、そこに菜摘は行くだろう。

 俺の予想が当たっている事を願って、ビックサイトのシンボルとなる大きな門の近くで行われているコスプレエリアの所に向かい、菜摘を探した。


 コスプレエリアの所には、春、夏アニメで人気があったキャラを演じたり、何か話題になった人、物を演じている。レイヤーさんの周りには、多くのカメラマンが一眼レフカメラを構え、何度もシャッターを切っていた。

 コスプレにもあまり興味は無い俺だが、皆完成度が高い。2次元の世界から、俺たちの3次元の世界に飛び出して来たかのような、そう思わせるコスプレイヤーさんが多かった。


 そんな人が多い中、俺はマイペースな幼なじみを探さないといけない。いつも通りの髪型に、涼し気な水色のノースリーブの服、ミニスカで、黒ニーソの格好だ。そんな格好をしている人は、多くは無いはずなので、見つかれば分かるはずなんだが。


「あなた、どこかで見たことがあるんだよね~」


 何をやってるんだ、あのマイペースクーンは……!


 菜摘は、日曜の朝に入っている、女子向けのアニメの『プチキュア』のコスプレをした人に、久しぶりに見た『ずっと菜摘のターン』をして、コスプレイヤーさんを困らせていた。


 これ以上、コスプレイヤーさんと、他のカメラマンの人を困らせないように、群がるカメラマンの中に入っていき、菜摘の名を呼んだ。


「菜摘」

「あっ、ヒロ君。どこに行っていたの? この人、どこかで見たことがあるから、ヒロ君にも見て欲しいと――」


 さっさと菜摘の頭を叩いて、菜摘を回収をした。本当に、厄介な事ばかり起こすな……。


「……このマイペースが、迷惑をかけて申し訳ありません」


 菜摘の代わりに、頭を下げてこのコスプレイヤーさんに謝って、顔を上げて改めてコスプレイヤーさんの顔を見たら、確かに菜摘の言う通り、見た事のある顔だった。


「……もしかして、ポニテの放送委員の人ですか?」


 そして愛想笑いでレイヤーさんがほほ笑んだ後、俺はピンときた。


 名前は知らないが、このコスプレイヤーさんは、菜摘と法田の成敗勝負の時、実況などの放送関係で関わった、あのポニーテールの放送委員の人だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る