第31話 復活の「T」

 梅雨のせいで、蒸し暑い日が続く。

 途中は電車で移動しているので、雨に濡れなくて済むにはいいのだが、色んな人が狭い電車にギュウギュウに乗り込んでいる為、電車の中はすごく暑かった。


「人がいっぱいだね~」

「……そ、そうだな」


 乗ったときから満員なので、当然席には座れない。吊り革、握り棒にも掴めない。俺と菜摘はドア付近に立つ羽目になった。

 ギュウギュウに乗り込んでいるため、出来るだけお客が乗れるように、すき間が無いように電車に乗ることになり、そして菜摘は俺の前に立って、そして俺に体にくっついていた。それで俺の鳩尾の辺りに、菜摘の発達したのがずっと当たっている。


 そう意識してしまうと、俺は胸の鼓動が早くなってきた……!


「ヒロ君~」


 胸が俺に当たっていることに、菜摘も意識したのか、急に顔を赤くして、もじもじとし始めていた。


「流石に大胆だよ~」

「こんな時に、何を言っているんだ?」

「こんな状況で、私のスカートの中に手を入れてお尻を触るなんて~」


 ……ちょっと待て!


「ヒロ君が私に欲求不満なのは分かるけど、場所を考えて欲しいな~」

「おい! 俺がこの状態でどうやって触るんだよ! 俺は自分の鞄と菜摘の鞄、そして傘を含めて両手で持っているんだぞ!」


 菜摘に重いと泣きつかれて、そして仕方なく菜摘の分の鞄まで持たされている。2つの通学用の鞄に、午後から雨が降ると言うので、自分の傘を持っている状態で、菜摘の尻を触れるか。

 一体どう言う訳か。菜摘の周辺の乗客の様子を見てみると。


「……マジですか」


 菜摘の後ろにいるメガネをかけた若いサラリーマンが、片方に吊り革を持ち、もう片方で鞄を持っているように見せかけているが、実は鞄を足で挟み、空いた手で菜摘の尻を触っていた。


 これは紛れもない、痴漢と言うやつだ。

 痴漢は立派な犯罪、もし痴漢に会ったら、すぐに犯人の手を掴み、逃げられないように駅員に身柄を引き渡すのが一番らしいが、菜摘がそんな事をやるとは到底思えない……。


 痴漢に気がついたときに、電車は途中の駅、地下の方の渋谷駅に到着し、そして菜摘の尻を触っていた男性が、何事もなかったように電車を降りようとしていたので。


「待ちやがれ……っ!」


 通勤通学で皆が急いでいる中、朝っぱらから堂々と痴漢をするとは、俺が許さない。乗り降りする他の客をかき分けて、俺は何事も無かったように歩く変態男の腕を掴んだ。


「おい、おっさん。痴漢したよな?」

「……くっ」

「あっ、待ちやがれ!」


 あのサラリーマンが痴漢をした事は間違いないようだ。

 俺がそう聞くと、サラリーマンは人が多いホームで急に走り出し、人にぶつかりながらも逃げ出そうとしていた。

 ここで逃がしたら、あのおっさんは他の女性にも手を出して、悪事を繰り返すに違いない。

 何より、俺の幼なじみに手を出したって事が気に入らなかった。


「くそっ……」


 菜摘の分の鞄を持っているせいか、両手が重く、思いっきり走ることが出来ない。尚更人が多いので、人を分けて走るのがやっとの所だが、俺は更に重い荷物を運んでいた。


「菜摘! お前は俺よりも先に走って、尻を触られた奴を捕まえたいとは思わないのかっ!?」


 俺の腕にくっついて、菜摘は俺についてきていた。なので、尚更スピードが落ちている。


「いいの、ヒロ君? こんな人の中を私一人で歩いたら――」

「迷子になるだろ! 分かったから、せめて俺から離れて歩いてくれ!」


 菜摘はようやく離れ、そんなやりとりをしていたせいか、更に変態男と距離が出来てしまった。


「このままじゃ、逃げられる……」


 もしかして過去にも捕まりそうになったのかもしれない。逃げるのも常習のようで、人ごみの中でも淡々と逃げていく中、逃げるサラリーマンに足を引っかけて転倒させる男子高校生がいた。その高校生は転倒させたサラリーマンの手首を持ち、捻り上げて拘束していた。


「痴漢とは許されないな。ほら、も早く来るんだ」


 俺も合流すると、なぜかこの高校生は俺の名前を知っていた。

 この高校生、俺たちと同じ制服、つまり自由川高校の生徒って事になる。

 俺はこんな奴とは面識はないはずだ。顔は俺よりもイケメンな、肩にかからないぐらいのロン毛の男子生徒とは話した記憶は無い。


 一体どこであったのかと悩みながら、俺たちは痴漢したサラリーマンを駅の事務室に連れて行き、色々と聞かれた。

 白を切ると思っていたが、あっさりと痴漢をした事を認めたこのサラリーマン。のちに逮捕されると言う事なので、俺と菜摘は色々と駅員の人に一時間ぐらい事情を聞かれた後、ようやく話は終わったのだが。


「……完全に遅刻だ」


 時刻は8時半を回っていた。今から電車に乗っても、余裕で遅刻するだろう。

 いつも学校の最寄り駅で待ち合わせしている楠木からは、何度も通話アプリからの通知が10件以上来ていた。取り調べをしている中で返すわけにもいかないので、学校に着いたら謝っておこう。


「まあ、遅刻したなら、ゆっくり行こうじゃないか、松原氏。どんな時間に着いても、遅刻には変わらないからな」


 眠そうに欠伸をした後、この男子は俺の肩を叩いてそう言うのだが、本当に俺はこいつの事を知らない。馴れ馴れしくして、俺を友達のように接してくるのだが、こいつは一体誰だ?


 中学の時の奴でもないし……?


「そういう事なら、途中でパンケーキのお店に食べに行って――痛いよ、ヒロ君?」


 こんな時でも、菜摘のマイペースは発動し、少しお腹に手を置き、パンケーキを食べたいアピールをしていたので、菜摘の頭をこつんと叩いて黙らせたが。


「……折角、と久しぶりに会えたんだし、お祝いに食べに行こ――」

「おい、菜摘。このロン毛を何て呼んだ?」

「ロン毛とは酷いな……。せめて女子高生を助けた、イケメンな救世主と呼んで欲しい」


 ロン毛じゃなくて、ナルシスト要素もあった。ナルシストロン毛と呼ぼうと思った時、菜摘は不思議そうな顔で、俺の顔を見ていた。


「ヒロ君の同志じゃなかったの? この人、塚本君だよ?」


 菜摘は首を少し傾げて、俺にそう言うのだが、俺は菜摘の言葉に耳を疑った。


 ……つ、塚本だとっ!?


 あ、あの、根暗な見た目でメガネをかけて太っていた、ザ、オタクの外見をしていた、あの塚本だとっ!?


「おお。松宮殿にはバレてしまったか。久しいぞ、松原氏」


 この特徴的な話し方と、この独特な俺たちの名の呼び方。以前に「俺友」で語り合った塚本の話し方だ。


「松原氏。今期は何を見ているのだ? 電車の中で語り合おうではないか」

「……お前、本当に本物の塚本か?」

「そんなに信じられないか?」


 塚本はポケットからスマホを取り出し、そしてストラップには依然つけていたものと同じ、高間アリサのストラップがついていた。どうやら、正真正銘の塚本らしい。




 通勤ラッシュが落ち着いてきた頃になると、俺たちも席に座れるようになり、塚本、俺、菜摘の順で座っていた。


「今期は『バカ兄貴は終わり!』だと思うぞ。シスコンな兄を女体化させて、いちゃいちゃする話が、実に素晴らしいと思うぞ 」

「……そうだな」


 こんなイケイケな見た目になった塚本だが、アニメオタクな事には変わらないようだ。このアニメについて活き活きと話す塚本を見ていると、ようやく本当に塚本だと信じられるようになった。


「塚本。この2か月の事を聞かせてくれ。気になって、お前の話が全く頭に入って来ない」


 今、俺はアニメの事ではなく、このような変貌を遂げた塚本の経緯を聞きたくて仕方なかった。


「そうか。では話すとしよう。某は凄く努力をした。このような体型になるのは苦労した、精神、性格を更生するのにも時間がかかり、それで2ヶ月間、無断欠席をしてしまった」


 本当は1ヶ月修行してくると言って、無断欠席をしていた塚本。だが、このようなイケメンになるには、相当な苦労をしたようだ。

 根暗で太っていると言うデメリットな部分が多かった塚本だが、この2ヶ月を頑張った結果、今ではファッション雑誌に乗りそうな、普通にリア充の聖域、渋谷や原宿で歩いていても恥ずかしくないような、とてもカッコいい男子高校生に変わっていた。


「……今でも、猪俣が好きか?」


 こいつは、猪俣に片思いをしていた。性格はあれだが、見た目は読モレベルの見た目の猪俣。陰で猪俣を良いと言う奴は少なくない。


「それは変わらんぞ。猪俣殿に好かれるために、血の滲むような努力をしたのだからな。今度こそは、猪俣殿の意中を突いて見せようぞ」


 その意気込みがあれば、話ぐらいは聞いてくれそうだが、その口調を止めない限り、猪俣はずっと塚本をキモいと言い続けそうだがな……。


「まあ、頑張れよ。少しだけ応援している」

「少しではなく、本気で応援して欲しいな」


 今度猪俣にフラれたら、塚本はどんな行動をとるのかも気になったので、そんな事を言ったまでだ。


「私は応援しているよ~。塚本君、ファイト~」

「……しょ、承知した」


 けど菜摘に話しかけられると、顔を赤くして照れてしまうのは相変わらずのようだ。これ、大丈夫なのか?


「松原氏。学校はどうなっている?」

「学校か? クラスの奴らは、みんなお前の事を忘れられているな」


 本当の事を言ったら、塚本はショックを受けたようで、顔を俯かせて深く溜息を吐いていた。


「まだ花瓶が供えていられていないだけで喜んだ方がいいぞ。塚本の席、1軍の奴らの荷物置き場になっているからな」

「それはそれで嫌だぞ」


 完全に猪俣たちの荷物置き場となっている塚本の席。教科書や何か色々と置かれている。存在なんか忘れて、何か余っている席とか思っているに違いない。


「まだ、やっているのか? あのふざけた制度」

「カースト制度の事か? ああ、パワーアップして、絶賛開催中だ」


 以前のカースト制度では、塚本は俺と楠木、木村と同じく4軍の立場だった。


「まあ、取りあえず学校に来てみろよ。お前が修行と言う名の無断欠席している間に、色々と変わったからな。驚いて寝込むなよ」


 塚本が不思議そうな顔をしていると、電車は学校の最寄り駅に着き、そして電車のドアが開かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る