第41話 終わりの始まり

私達が話していると、ベッドの上の相沢がモゾモゾ動き出した。どうやら意識が戻ってきたようだ。


「珍之助、相沢を押さえて!」


私の言葉を聞いた珍之助が、結束バンドで後ろ手に縛られているベッドの上の相沢の上半身を起こした。

相沢はまだ意識が朦朧としているようで、まるでまだ首が座っていない赤ん坊のようにユラユラと頭を左右に動かしながら部屋の中を虚ろな目で見回している。


「う・・・あ・・・何だ・・・ここは・・・え?何だ?ゆ、優子?坂口凛子?・・・え?それにキミ?美咲!?何だお前ら!どうなってんだ!」


だんだんと意識が戻ってきた相沢は、優子や私、それに美咲ちゃんの姿を見て驚いている。足や腕をバタバタと動かそうとしているが、結束バンドで縛られている上に珍之助に両腕をガッチリと掴まれ、身動きできない。

その時、優子がいきなり相沢に近づいて思いっきりビンタを食らわせた。


「バシッ!」


「て、てめぇ!優子!何しやがる!」


「うるさいっ!今度は明生の分だっ!」


「バスッ!!」


優子がもう一発相沢を殴った。今度はビンタではなく、拳で。

殴られた相沢は珍之助に押さえられたままガックリと首を垂れた。口から血が滴り落ちている。


「アンタなんか、アンタなんか1000回殴っても足りないわよっ!」


なおも優子が相沢に殴りかかろうとしていたが、慌てて私と美咲ちゃんで優子を取り押さえた。


「ゲホッ・・・・・そうか、お前らグルだったんだな・・・へっ、おかしいと思ったよ、金にも困ってない帰国子女の女子大生があんなデートクラブに来るなんてな、優子、てめえの仕業だったのか、このクソ女が!ゴホッ、ゴホッ・・・」


相沢が咳き込みながら上目遣いに優子を睨みつけて言い放った。優子に殴られて口の中を切ったのだろう、口元から流れ出た血が白いワイシャツにべっとりと付いている。



「相沢さん、今日はアンタに聞きたい事があるの、正直に話してくれれば何もしないで帰してあげる。でね、私達が何を聞きたいか、アンタわかるでしょ?まずは何で優子を使って私を殺そうとしたのか、その理由を話して」


私も相沢に殴り掛かりたい気分だったが、気持ちを押さえて出来るだけ冷静な口調で相沢を問いただした。そんな私を相沢は憎しみに満ちた目つきで睨んでいる。


「へっ、俺がアンタを殺そうとした?はあ?なに寝ぼけた事言ってんだよ、証拠でもあんのかよ?今てめぇらのやってる事は監禁傷害だぞ、警察が来れば全員捕まって終わりだ!」


「ふーん、警察ねぇ・・・相沢さん、アンタしょっちゅう六本木でお買い物してるみたいじゃないですか?外国人の薬屋さんから、毎週お買い物してますよねえ?ほら、この写真」


私は探偵が撮影した覚せい剤の取引現場の写真を相沢の目の前に放り投げた。


「相沢さん、アンタもう長い事覚せい剤ヤってるんでしょ?って事は常習ですよね?検査すれば薬物反応がバッチリ出ますよねえ?いいんですかぁ?この件、警察に言っても・・・もし相沢製薬の次期社長と噂されてるアンタが覚せい剤で捕まったりしたら、マズいんじゃないかな?相沢製薬の株価も一気に急降下しちゃいますよねえ?いいのかなあ、それでもいいのかなあ?」


「て、てめぇ・・・、こんな事しやがって、ぶっ殺すぞっ!」


「はぁ?何を今更言ってるんですか?もう前にアタシの事殺そうとしてたじゃないですか?さっきも言ったけど、何でアタシを殺そうとしたのか、話してくれます?」


「うううう、うるせぇ!放せ!俺を放せ!うおぉ~!#-*%@7&Q$&%@$&!!!!」


大声で叫びながらまるで駄々っ子のようにジタバタする相沢亮太。だが珍之助がすぐさま相沢の首根っこを掴んでベッドに押さえつけた。相沢の顔は涙と鼻水と口から垂れた血でぐしゃぐしゃになっている。

美咲ちゃんが濡れタオルで相沢の顔を拭いてやり、ペットボトルの水を飲ましてあげた。

すると相沢は落ち着きを取り戻したようで、ゆっくりとベッドのふちに座り直してボソッとつぶやいた。


「護世会だよ・・・」


「え?いま何て言ったの?ごせいかい?何よ、それ」


「俺だって何が何だかよく分からねぇんだよ!でも仕方なかったんだ!」


そして、相沢亮太は事のいきさつを話し始めた。


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2020年、相沢製薬が開発した乳がん治療薬「プレオトドキシン」に重大な副作用の危険があることを知りながら適切な対応を怠ったとして、死亡した患者の遺族らが相沢製薬を訴えていた裁判で、最高裁は同年1月18日に開発製造元の相沢製薬に対して、原告側に2000万円の損害賠償支払いと該当治療薬の回収を命じた。

この裁判の判決により、相沢製薬の株価は5分の1にまで値下がりし、相沢製薬は存亡の危機に立たされていた。

折しも世界はコロナ禍の真っただ中で、世界中の製薬メーカーがワクチンの開発に全力を注いでいた。ワクチンの開発はコロナウイルス感染症の発症を予防し、死亡者や重症者の発生をできる限り減らすのが目的であったが、もしワクチンを開発できれば、製薬会社にとっては莫大な収入となる。もちろん相沢製薬もコロナワクチンの開発を行っていたが、進捗は芳しくなかった。

ある日、相沢亮太が大阪支社へ出張に行くために東京駅のホームで新幹線を待っていると、一人の初老の男性が近づいてきた。


「あんた、相沢製薬の相沢亮太さんだよね、コレ、中身を確認してみてよ」


初老の男性はポケットからUSBメモリを取り出して相沢に渡すと、すぐに踵を返して新幹線のホームから立ち去った。


大阪支社に到着後、男性から渡されたUSBメモリの中身をPCで確認すると、それはコロナウィルスに対して有効なmRNAワクチンの詳細なデータだった。

だが、そのデータには重要な箇所が一か所抜け落ちている部分があり、そこが解析できないとワクチンを作ることが出来ない。

男性から渡されたUSBの中にあるテキストファイルに「知りたい事があったらこちらに連絡せよ」と書かれており、電話番号が記されてあった。


相沢亮太がその番号に電話すると、例の初老の男性らしき人物が電話に出た。

彼は抜け落ちているワクチンの情報を教える代わりに取引をしたいと言う。相沢は不審に感じたが、早くワクチンを開発しなければ他の製薬会社に先を越されてしまう。

相沢は男性の話を聞いてみることにした。


男性から提示された条件はただひとつ。「坂口凛子と言う名前の女性を、5年以内に妊娠できない状態にせよ」と言う物だった。

なぜそんな事が条件なのか、相沢にはサッパリ分からなかったが、一刻も早くワクチンの情報が欲しい相沢は、二つ返事でOKした。


初老の男性から得た情報を元に、相沢製薬は早急にワクチン開発に取り組み、mRNAワクチン「mRNA-1273」の第1相試験を3月初旬から開始。これは世界中のどの機関よりも早い試験開始だった。

そして2020年7月に臨床試験を終え、世界初のコロナワクチンは相沢製薬が開発する事となった。

相沢製薬が開発したコロナワクチンは世界中で使用され、相沢製薬の株価はそれまでの10倍以上に跳ね上がった。


世界に先駆けてコロナウィルスのワクチンを開発した相沢製薬はもはや飛ぶ鳥を落とす勢いで、乳がん治療薬の裁判で負けた時には散々叩いたメディアも、手のひらを返したように「日本を代表する製薬会社」などと持ち上げまくっていた。

相沢は金回りが良くなり、コロナ禍でもこっそり営業している高級バーや超高級ラウンジなどに通うようになり、覚せい剤もこの頃に初めて手を出した。

ワクチンが世界全体に行き渡り、コロナ禍も沈静化してきたが、相変わらず相沢製薬の業績は好調だった。

相沢亮太はワクチン開発の立役者ということもあり、それまで次期社長と目されていた兄を押しのけて自分が次期社長と噂されるようになっていた。


コロナワクチンのデータを提供してくれた初老の男性とは、あれ以来会っていない。

「坂口凛子と言う名前の女性を、5年以内に妊娠できない状態にせよ」と言う条件の事は頭の隅にあったが、あの男性が連絡して来ないという事はもうどうでもいい事なんだろう、と思い放っておいた。


ある日、相沢亮太が青山のイタリアンレストランで一人で昼食を摂っている時だった。相沢の目の前にあの初老の男性が突然現れ、テーブルの向かいの席に座って窓の外を眺めながら呟いた。


「あの時の約束、どうなりましたかね」


いきなり現れた男性の姿に驚いて何も言えずに居る相沢に向かって、男性はカバンから数枚のA4サイズの書類を取り出してテーブルの上に置いた。


「これ、何の書類か分かりますよね?」


その書類は、とある共産主義国に相沢製薬が秘密裏に薬品を輸出した時の覚書と、第三国経由の輸送ルートの詳細だった。すべての書類に相沢亮太の父である社長の相沢忠義のサインが記載されている。

乳がん治療薬裁判で敗訴して株価が急落した時に、資金繰りの手段として止むを得ず行った取引だった。これには相沢製薬が買収した当時の厚生労働省と外務省の官僚も加担している。

もしこれが世間にバレたら、政府を巻き込んだ大スキャンダルになるに違いない。


「あ、あんた・・・この書類をどこで手に入れたんだ?」


「そんな事はどうでもいいんですよ、相沢さん。あの時の約束覚えていらっしゃいますよね?」


「約束?ああ、坂口何とかって女を妊娠させないようにしろって話か?」


「そうですよ、覚えていてくれたんですね。良かった・・・で、その後、その件の進み具合はどうですか?」


「ああ?いや・・・まあ・・・」


「ハハハ、まあいいでしょう。まだあの件を実行されていないのなら、私が手助けをいたしましょう。来週からあなたは桃栗出版と言う会社の社員になっていただきます。その桃栗出版は、ターゲットの坂口凛子が勤務している柿本エージェンシーという会社と取引があります。そこから先は・・・まあ相沢さんご自身で考えてみてください。それでは、私はこれで失礼しますよ、良い週末を」


そして相沢亮太は”社会勉強”と言う名目で桃栗出版の営業マンとして働くようになった。

出版社の営業マンとして柿本エージェンシーに出入りし、坂口凛子と仲の良い岡田優子に近づき、優子の子供の病気をダシにして優子を脅し、坂口凛子を毒殺しようとした・・・

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相沢亮太はいきさつを話し終えると、ぐったりと頭を垂れ「もう終わりだ・・・もうダメだ・・・ダメだ」とブツブツつぶやいている。


「なに?何が終わりなのよ?何がダメなの?相沢さん、アンタまだ何か隠してる事あるんじゃないの?」


「こ、こ、この話を他人に話した事をヤツらに知られたら、みんな公表されちまうんだよ!そうなったら相沢製薬も終わりなんだよ!終わりだ!みんな終わりだ!」


「何よ、その奴らって」


「さっきも言っただろ?護世会の奴らだよ!」


「だから何?その護世会って?」


「ああ・・・ここまで話しちまったらもうどうでもいいか・・・いいよ、俺が知ってる事を教えてやるよ。護世会って言うのはな・・・」

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