第24話 忙しい一日

「はーい、お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様でーす!」

「お疲れでーす!」


2回目のあけぼの飲料の広告撮影が終わった。

私と山下新之助が仕事の場以外で会っている事は誰も知らない。


大学2年の夏、同じ陸上部の先輩を好きになった。

私の一方的な片思いだと思っていたが、ある日突然その先輩から告白された。

でもその先輩は他の女子部員、いや、他の運動部の女子からも人気があって、私なんかは全然釣り合わないと思っていた。

だから付き合う事になっても『私達が付き合ってることは他の皆に絶対に言わないで!』とその先輩にお願いしていた。

『凛子なんかがあの人と付き合ってるなんて・・・』と思われるのが癪だったのだ。


だから皆で何処かへ遊びに行っても、私達はただの先輩後輩って感じでよそよそしくしていた。

でも、やっぱりそれじゃちょっとつまんない。

合宿の時、遠くからお互いに目配せして宿舎の裏で落ち合ってキスしたり、帰りの電車でたまたま会ったように装ったり・・・

でもどこかで、『あの二人、抜け駆けしてるんじゃない?』なんて噂にならないかな?なんて思っていた。

結局その先輩とは半年も経たないうちに同じ陸上部の巨乳の先輩に取られてしまって別れたんだけど。

それからだ、私の巨乳嫌いが本格化したのは。


今回の撮影でも、私と山下新之助はしれーっと他人行儀を装っていた。

部活の先輩くらいだったらバレても別にいいけど、今回は人気俳優の山下新之助だ。

私なんか何言われても別にどうってこと無いけど、もし変な噂が立ったら彼に悪い。

それに私達は別に恋人同士ってワケじゃない。

でもやっぱり、心のどこかで『噂にならないかな』なんて思ってみたり。


なーんて事をスタジオの隅の長椅子に座って呆けた顔でボーっと考えていた。

私の横では優子がノートパソコンで今日の撮影データのチェックをしている。

アンタ真面目だねぇ。


「さっかぐちさーん!」


山下新之助がニコニコしながらこちらへ歩いて来る。


「坂口さん、この間は挨拶もしないですみません、それに美咲が色々お世話になっちゃって」


わわわ!あんたちょっと、何言ってんの!こんな大っぴらな場所で!

優子が隣に居るのに!


「あれ?凛子ちゃんと山下さん、何かあったの?」


山下新之助の話を聞いて、優子が不思議そうな顔で聞いてきた。

うわぁ~、ヤバイよ。


「あ、え、えっとね、この前二子玉川で偶然ばったり会ってね、あの、えーと、や、山下さんの連れの女の子がね、女の子って言ってもまだ小さい子なんだけどね、迷子になっちゃってね、そんでね、探したり色々あってね、あは、あはは~」


咄嗟に嘘八百をぶちかます私。

ちょっと無理があるか?いや、優子はしっかりしているようで天然だから、案外怪しまれないかも。


「ふーん、そうなんだー、大変だったねー」


優子は特に興味も示さず、またデータのチェックを再開した。

ああ~、良かった・・・

色々突っ込まれたら絶対にボロが出る。

優子がちょっと天然入ってて良かったよ。


「あ、あたし、ノド渇いてきちゃったなあ!何か飲み物でも買ってこよっかなぁ~!」


私はこの場の雰囲気がちょっと気まずいような気がして、無理やり席を立った。

その時に山下新之助の顔を見ると『すいません、僕やっちゃいました』的な表情で上目遣いに私をチラっと見る彼。


エントランスの自販機でウーロン茶を買い、自販機の横にあるソファーで飲んでいると山下新之助がやってきた。


「すいません、坂口さん、僕、さっきあんな事言っちゃって」


「あ、いえいえ、私は全然構わないんですけど、山下さんが変に思われちゃったらマズいかなって思って。それに美咲ちゃんや珍之助の事もあるし」


私は芸能人でも有名人でもないし、何か噂が立ったって大した問題じゃない。

まあせいぜい優子にウダウダ言われるくらいだろう。

それよりも美咲ちゃんや珍之助の件が世間にバレたら絶対にマズイ。

きっと大騒ぎになる。


「そうですよね、以後気を付けます・・・あ、それから18時から今回の広告の関係者でミーティングがあるって聞きましたけど」


「え?そうなんですか?私、聞いてないですけど・・・18時って、もうあと5分も無いじゃないですか!」


私と山下新之助は急いでスタジオへ戻った。

先ほど私と優子が居たテーブルの周りには、ウチの元請けの大手広告代理店の部長と、クライアントのあけぼの飲料の広報担当さん、山下新之助のマネージャー、そして優子が集まっていた。


「あー、来た来た!山下君も坂口さんもどこ行ってたの?」


「すみませーん(つーか、アタシ聞いてないよ)」


「それじゃあ全員揃ったし、撮影後でお疲れでしょうけどちょっとミーティングと言うか、連絡事項がありますので・・・えー、あけぼの飲料さんから11月に新商品が発売されることになりまして、その新商品と言うのが”あけぼのエナジーZ”と言うスポーツドリンクなんですが・・・」


へぇー、あけぼの飲料さん、スポーツドリンク出すんだ。

山下新之助をイメージキャラクターに起用してから売上アップしてるみたいだしなあ。

それにしても”あけぼのエナジーZ”って・・・だせぇ・・・どんなネーミングセンスしてんだよ。


「ご存じの通り、あけぼの飲料さんの広告メインキャラクターは山下君なんですが、今回山下君に加えてスポーツドリンク専属でもう1人、イメージキャラクターを起用する事になりまして、最近多方面で活躍している格闘家の”岡島激斗”さんを起用する事に決まりました。12月の発売に合わせて広告作成をしますが、一発目の広告は山下さんと岡島さんの共演デザインで作成したいと思っています。現在の広告のデザインワークがとても好評なので、こちらも紙媒体とネット広告の制作は柿本エージェンシーさんにお願いすることになりました。坂口さん、岡田さん、今後もよろしくお願いしますね!」


ふーん。

12月だったらそろそろ取り掛からなきゃならないなあ。

まあ新しい仕事がまた貰えて良かったよ。

優子のデザインワークも認められたって事だし、また企画会議やら撮影やらで忙しくなるなあ・・・

イメキャラは岡島激斗かぁ・・・


え?


岡島激斗!?


ひょっとして、あの二子玉川のゲーセンのパンチングマシーン対決で美咲ちゃんに負けた岡島激斗?だよね・・・


ヤ、ヤバイ・・・

絶対にマズイ!

あんな小娘に負けたんだから絶対にあの日の事を覚えられているハズだ。

私に会ったら『あ~っ!あの時のお母さん!娘さんスゴイですよねー!』とか言うに違いない。

それに1回目の広告は山下新之助と岡島激斗の共演だって!?

つーことは、撮影の時は2人一緒に撮るって事だよね?

マズいぞ・・・

あの日の事、まだ山下新之助に話してないし・・・

どうしよう・・・

面倒臭い事になっちゃったな。

このスポーツドリンクの案件だけ担当外してくれないかな・・・。


「坂口さん!」


「あ?は、はいっ!」


「いやあ、柿本エージェンシーさんのデザインワーク、かなり好評なんですよ~!今度のあけぼのエナジーZの案件も、営業坂口、デザイン岡田の黄金コンビでよろしくお願いしますよっ、わはは!」


「あ~、あはは、ありがとうございま~す・・・」


参ったな。

優子のデザインは確かに褒められる価値があると思うが、私は特に何もしてないぞ。

営業として当たり前の事をしてるだけだし・・・


それよりも岡島激斗の件、どうしよう。

取り合えず、後で山下新之助に相談してみようか・・・


この後、優子はまだ作業があるとかで会社に戻り、私はスタジオから直帰する事になった。


岡島激斗の件、山下新之助に相談しないとな・・・

私は帰りの電車の中で山下新之助にLINEを送ってみた。


---Rinko

山下さん、先ほどはお疲れ様でした


---Shinnosuke

こちらこそありがとうございました


---Rinko

ちょっと相談したい事があるんですけど、後でお電話してもいいですか?


---Shinnosuke

はい構いません

今まだ事務所なんですけど、今日は22時頃には部屋に居ると思います


---Rinko

それでは22時過ぎにお電話しますね


---Shinnosuke

はい お待ちしています



部屋に帰るとテーブルの上に夕食が用意してあった。

冷食の餃子とスーパーで買って来たと思われるお惣菜。

そして珍之助はPCの画面を食い入るように見つめている。

そのPCの画面には、こっちが恥ずかしくなるようなポーズをしたエロフィギュアがどかーんと表示されている。


またかよ。


最近いつもエロフィギュアのサイト見てるよな。

夕飯も冷食とか出来合いの物をテキトーに作って、少しでも早くエロフィギュアを見たいっつーコトなんだな。

この変態が。


「ねえ、珍之助、アンタいつもそんなサイトばかり見てるけどさ、そんなのばかり見てると美咲ちゃんに嫌われちゃうよ」


「なぜこのサイトを見ると美咲に嫌われるのか?」


「だってさ、女子はそーゆーのってあんまり好きじゃないんだよ」


「なぜか?」


「だって、エッチじゃん」


「えっち?Hとはどのような意味か?」


「えーとさ、何て言うか・・・そーゆーのってスケベに感じるんだよ、女の子は」


「すけべ?ちんこはスケベは嫌いなのか?」


「え?、いや、まあ、嫌いってわけじゃないけどさ」


「じゃあ好きなのか?ちんこはすけべが好きなのか?」


「あーっ!話が噛み合わん!もういいもういい。でもさ、美咲ちゃんにその手の話しちゃダメだからね!あ・・・そう言えば美咲ちゃん『珍之助はおっぱいばーんが好き』とか言ってたよね?アンタ美咲ちゃんに言ったの?おっぱいバーンがイイとか」」


「言ったけど何か?」


「何か?じゃねぇよ!そんな事話さなくてもいいから」


「だいじょうぶ」


「何が大丈夫なのさ?」


「美咲はこれからおっぱいバーンになるように努力すると言ってた」


「はぁ?何でよ?何で美咲ちゃんがおっぱいバーンになるのさ」


「僕がおっぱいバーンが好きだから、美咲はおっぱいバーンになると言ってた」


「アンタら・・・こそこそ何やってんだか・・・あたしゃ頭痛がしてきたよ」


「美咲がおっぱいバーンになったら、このセーラー服とスカートを着ると言っていたので、僕は楽しみだから、うひ」


「うひ、じゃねぇよ、ド変態!」


ったく・・・

いつからこんな変態野郎になっちまったんだ?

顔は超イケメン、運動神経抜群、家事も一通り出来て超人的頭脳で・・・

でも変態。


人工的に作られた珍之助でさえ、すべて完璧ってワケには行かないのね。


あ・・・そう言えば、珍之助って戸籍とか無いよね?

それってかなりマズいのでは。

もし何かあって病院へ担ぎ込まれたり、何かトラブルに巻き込まれた時に面倒な事になるんじゃ・・・

どうなのかなあ?

そうだ、やっぱりこんな疑問はメルティーだ!


Rinko---

メルティー、元気?


Melty---

何?おねーさん


Rinko---

あのさ、珍之助って戸籍とか無いよね


Melty---

戸籍?あるよ


Rinko---

え?あるの?なんで?


Melty---

戸籍無いと色々やべぇじゃんか、だからこっちで細工して作ってあるのよ


Rinko---

マジ?いったいどこの戸籍なの?


Melty---

ちょい待って 調べてあげっから

あったよ 戸籍の本籍は北海道旭川市だわ ここってさ ウチの方でテキトーに作った住所だから まあバレねえって 心配すんな


Rinko---

北海道?ふーん、まあいいや。じゃあ現住所は?


Melty---

現住所は新宿区の雑居ビルだよ


Rinko---

雑居ビル?何で?


Melty---

そうしとかないとヤツらにバレるとヤバイから


Rinko---

ヤツらって、あの私を拉致しようとした偽警官の関係?


Melty---

うん


Rinko---

あのさ、その件に関して聞きたい事がいっぱいあるんだけど


Melty---

あー それな 今はまだ詳しく話せねえんだな ゴメン じゃあ私ちょっと用事があるから またねー



まただ。

例の件の話になると、メルティーは都合悪い事のようにはぐらかす。

何でだろう?何か重大な意味があるんだろうか?



ふと時計を見ると22時を少し回ったところだ。

そうだ!山下新之助に電話しなくては。

ちょっと緊張するなあ。


ププププ・・・

呼び出し音が鳴っている。

ドキドキする。


「はい、山下です」


「あ、山下さん、坂口です。今お話ししても大丈夫ですか?」


「はい、待ってましたよ」


「あ、え、えーと、ちょっとご相談したい事があって・・・」


私は美咲ちゃんと下着を買いに行った時の事を話し、スポーツドリンクのイメキャラに岡島激斗が選ばれてしまって色々と面倒な事になるんじゃないかと心配している旨を説明した。


「あ~、そんな事があったんですね!そうかー、だからかー!美咲が『男の人とゲームやって勝った』って言ってたもんですから、何の事かな?って思ってたんですよ。そうかー、あはは。坂口さん、心配しなくても大丈夫ですよ。美咲は親戚の女の子って事にしておきますし、坂口さんが一緒に居たのは・・・うーん、それはそのまま美咲の下着を買うのを手伝ってくれたって事でいいんじゃないですか?」


「はぁ・・・でも怪しまれないですか?私が美咲ちゃんと一緒に居たなんて」


「大丈夫大丈夫。実は僕と激斗ってもう1年くらい前から知り合いでして、ラジオの番組にゲストで来てもらって以来、仲良くしてるんですよ。ここだけのハナシなんですけど、彼もアニオタで・・・」


「え?岡島激斗がアニオタ!?あんな風体で?あんなマッチョで?」


「あはは、そうなんですよ!アニメの話で初対面でも話が弾んじゃって、それ以来よく連絡取ってるんですよ。だから今度会った時にテキトーに辻褄合わせてそれとなく話しておきますよ」


「そうですかー、あー良かった」


「あの、話は変わるんですけど、僕から坂口さんにちょっとお願いがありまして・・・」


「はい、何ですか?」


「実は今月末からTVの企画でタイの鉄道に乗ってタイを北から南まで縦断する仕事が入ってまして、それで一ヶ月ほどタイに行かなきゃならないんですが、その間は美咲が一人になっちゃうんですよ」


「あー、そうですね、美咲ちゃんひとりで一ヶ月って、ちょっとキビシイですね」


「そうなんですよ、それでですね、その一か月間だけ、坂口さんと珍之助君にウチに来てもらえたらなって思ってるんですけど・・・無理でしようか?」


「え?私と珍之助が山下さんのいない間、あの部屋に住むって事ですか?」


「はい・・・でもよく考えたら坂口さんの通勤の都合とかもあるし、やっぱり難しいですかねー?もちろんその間の生活費とか食費とか、坂口さんへのお礼も含めて、諸々の費用は用意します・・・あの、この件って坂口さんしかお願いできる人が居ないんです」


うわ~・・・

マジかよ。

山下新之助が居ないとは言え、あの超豪華マンションに住めるのか!?

このクソ狭いボロアパートに珍之助と二人で暮らして早二か月、ちょっと窮屈に感じていたのだ。

これはいい気分転換になるかも。しかも美咲ちゃんも一緒だし、ちょっと楽しそうだ。

オラ、ワクワクしてきたど!


「山下さん、私は全然オッケーですけど・・・でも、本当にいいんですか?一ヶ月も私と珍之助が転がり込んじゃって」


「全然構いませんよ!あ~良かったぁ!ずっとどうしようかと思ってたんです、美咲の事って坂口さん以外に話せないし・・・じゃあまた詳しい事は追々相談する事にしましょう!それから岡島激斗の件は任せてください、大丈夫ですから!」


「はい、よろしくお願いします、あの・・・美咲ちゃんは元気ですか?」


「はい、坂口さんと食べたアイスクリームがメッチャ気に入ったみたいで、しょっちゅうねだられてます!あと、あれ以来坂口さんと珍之助君にすごく会いたいらしくて、凛子と珍之助はいつ来るのかって毎日聞いてきます」


「あはは、そうですか」


「だから坂口さんと珍之助君が来るって言ったら、メチャメチャ喜ぶと思いますよ!」


「ウチの珍之助も美咲ちゃんのおっぱ・・・あ、いや、な、何でもないです!じゃあ、また詳しい事が決まったら連絡いただけますか?」


「はい!分かりました。今日はありがとうです、それじゃまた連絡しますね」


「はい、よろしくお願いします、じゃあ・・・おやすみなさい」


「はい、おやすみなさい」


うおーーー!

今月末って言ったらもうあと10日くらいじゃんか!

ワクワクするなあ!

山下新之助のマンションって最寄り駅は用賀だから、会社のある四谷までは永田町乗り換えで30分もあれば着くだろう。

毎日の通勤も問題無いはずだ。


あのマンションに住めたら・・・

そうだ、休日は美咲ちゃんを連れて遊びに行こう!

可愛い服を買って着せてあげて、一緒にショッピングへ行くのよ!

どんな服がいいかなあ?

美咲ちゃんは見ようによっては女子大生くらいにも見えるし、ちょっと大人っぽい恰好でもいいかもしれない。

いや、まだ若いんだからピッチピチのセクシーなショートパンツとか穿かせちゃうか!?

でもってギャルっぽくしちゃうか!?


「この服、かわいさエグち~、りんこマジしごでき~!」とか言わせちゃうか!?


あのルックスだから何着せても似合うだろうなあ。

うわぁ~、夢が広がるぜ!

やっぱり女の子っていいなあ・・・


珍之助は部屋で留守番だな。

お前はPCでエロフィギュアでも見てろ、変態。


それにしても、色々な事があった一日だった。

珍之助が来てから、私の生活は大きく変わった。

良いのか悪いのか。

多分良い方に進んでいるんだろう。

そう思いたい。

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