第17話 大切なモノ

「あれー?私のマグカップどこだろう?」


私は会社の給湯室で自分用のマグカップを探していた。

ウチの会社は社員それぞれが自分用のマグカップや湯呑を持参してきてそれを使っている。

別にそうしなければならない決まりは無いのだが、何となく皆そうしているのだ。特に女子社員は全員お気に入りのマグカップを使っている。

ただ、男性社員はそんな事気にしない人間が多く、会社に元々あるコップや湯呑を使っているのだが、中には女子社員のマグを勝手に使う不届き者がちらほら見受けられる。


私のマグカップも、たぶん誰かが勝手に使っているのだろう。

別にいいんだけど、あまり気持ちの良いものでは無い。


自分用のマグカップが見つからないので、仕方なく会社の備品の寿司屋で出てくるようなゴツい湯呑にコーヒーを注いだ。

でもなぁ、湯呑でコーヒー飲むと何だか美味しくないんだよなあ。


コーヒーを入れた湯呑を持って自分の席に戻る途中、ふと同僚の佐々木の机の上を見ると私のマグカップが置いてある。

ったくよう、佐々木のタコ、私のマグカップ使ってやがる。


「佐々木君、それさ、私のマグじゃない?」


「え?あーっ、そうかそうか、いやゴメン!給湯室で目に付いたから適当に使っちゃったよ、ははは」


「まあいいけどさ、次は気を付けてね」


「ああ、分かった分かった。次はちゃんと確認しまーす!」


てめぇ、もう何度目だよ。ぜーってぇワザとだろ!

次やったらお前の飲んでるコーヒーの中にこっそりツバ垂らしてやっからな!

いや、それじゃむしろご褒美か!?



---トゥルルル・・・---


ふいに私の机の電話が鳴った。この音は内線だ。


「はい、坂口でーす」


「あ、凛子ちゃん?今日さ、お昼一緒にどうかな?」


優子からだ。

最近優子は会社を休みがちで、私も佐々木の尻拭いの仕事でバタバタしていたせいもあり、ほとんど一緒にランチに行けていなかった。


「うん、オッケーだよ。何食べる?」


「消防署の近くにベーカリーあるでしょ?あそこでランチセットやってるからどうかな?」


「オッケーオッケー、私これから村上ペイント行かなきゃならないんだけどね、でも12時頃には帰って来るからベーカリーに先に行って待ってるよ」


「うん、じゃあ、私も12時にベーカリーに行くね」


久々の優子とのランチ。

相沢さんとの進展具合も聞きたいし、何より優子の身体の具合も心配だから、その話もしたい。


ベーカリーに併設された小さなカフェ。

私はクロワッサンサンドのセットとカフェオレを頼んで窓際の席に座り、優子を待っていた。

お世辞にも広いとは言えないベーカリーの隅に6つほどのテーブルを置いてイートインとして使っている店だが、私が入店した11時45分にはもうこの席しか空いていなかった。


「お待たせー、凛子ちゃん待った?」


優子は12時きっかりに現れた。でも今までの優子とはちょっと感じが変わっていると言うか、ちょっとやつれたような気がする。服装も何だか地味になっている感じだし・・・


「優子さ、最近よく会社休んでるじゃん。具合でも悪いの?」


「え?別にどこも悪くないよ、普通だよ」


「ホント?本当に大丈夫なの?なんかさ、微妙に顔色悪いよ」


「そうかな?今日は出がけにちょっとバタバタしていてちゃんとメイクしてないからじゃないかなあ?別にいつもと変わりないけど・・・」


いや、そんな事無い。

優子はもともと色白で肌も赤ちゃんのようにスベスベだったのに、今はおでこや顎のあたりに吹き出物がポツポツ出来ている。

目の下にもうっすらとクマのようなものが浮かんでいるし、髪の毛だってパサついている。


「優子、何かあったでしょ?」


「えっ?べ、別に何も無いよ」


「本当?ひょっとして相沢さんと何かあったとか?」


「う、ううん、相沢さんとは特に何も無いよ・・・最近あまり会ってないけど・・・向こうも仕事が忙しいみたいなんだ」


「ふーん・・・でもさ、何かあるんだったら相談してよ。私じゃ頼りないかもしれないけどさ、話したら楽になる事ってあるじゃん」


「うん・・・凛子ちゃんありがとね・・・じゃあさ、ひとつだけ聞いていいかな?」


「うん、何?」


「あのね、凛子ちゃんにとって自分よりも大切な物とか大切な人っている?家族以外で」


は?

いきなり変な質問されちゃったな。

はて?自分よりも大切なモノ・・・大切な人・・・

ふと珍之助の顔が頭に浮かんだ。

アイツか?自分よりも大切か?

いやいやいや、珍之助が自分よりも大切なのかって聞かれたら、答えはノーだ。んなワケない。

確かに情みたいなものは感じているが、まだそこまではねぇ・・・


「大切な人・・・家族以外ねぇ・・・私は特に居ないなあ」


「じゃあね、例えばの話なんだけど、仮にね、凛子ちゃんに自分よりも大切に感じている人が居てね、その人が凛子ちゃんに助けを求めて来たら助けてあげる?」


「そりゃまぁ、自分よりも大切な人なんでしょ?助けられるんだったら助けると思うけど」


「でもね、その人を助ける事によって他の人が不幸になるって分かってたら、凛子ちゃんは助ける?」


「えーっ?そりゃ難しいな・・・その話の内容にもよるけど・・・うーん、分かんないよ。でもさ、何で優子いきなりそんな話するの?何か面倒な事に巻き込まれてるんじゃ・・・」


「う、ううん、ち、違うよ、今読んでる本にそんな内容の話があってね、凛子ちゃんならどうするかなーって」


「ふーん・・・本ねぇ・・・」


優子どうしたんだろう?急にこんな話して。

やっぱり今までの優子と違う気がする。

この前佐々木が言ってた病院の件、聞いてみようかな。


「優子さ、本当はどこか身体の調子が悪いんじゃないの?」


「べ、別にどこも悪くないよ」


「本当?・・・あのさ、佐々木が言ってたんだけどさ、あいつの住んでるマンションの近くに京英女子大附属病院って病院があるらしいんだけど、そこで優子の事よく見かけるって。優子の家って武蔵小杉じゃん、京英女子大附属病院って押上にあるでしょ?全然反対方向じゃん、何でわざわざ遠い病院へ通うの?」


「え!?・・・・・うーん、えっと・・・あのね、相沢さんがあの病院に顔が利くみたいでね、色々融通してくれるんだ」


「相沢さんが?あ、そうか、相沢さんて相沢製薬の御曹司だもんね」


「うん、それにあの病院って相沢製薬が筆頭株主なんだって」


「ふーん、じゃあやっぱり優子は病院へ通ってるんじゃん!どうしたの?何か面倒くさい病気なの?」


「ううん、違うよ違うよ!実はね、私デザイナーの仕事やりだしてから腰痛が酷くてね、相沢さんに話したらあの病院に良い先生が居るからって、紹介してもらったんだ」


「えー!そうなの?そんなに酷いの?腰痛」


「ま、まあね・・・でも大丈夫だから。あの病院に通うようになってだいぶ良くなってきたから」


「本当?」


「本当だよ!ごめんね、心配かけちゃって」


「そうかあ・・・まあ、デザイナーさんってず~っと座りっぱなしだもんね。大変だよね」


「ははは、ウチの会社の他のデザイナーも多かれ少なかれどこかしら悪いみたいだし・・・まあ職業病みたいなもんだよ」


優子の話は確かに辻褄が合う。

他のデザイナーさんも腰痛に悩まされているってのは聞いたことがあるし、それに相沢製薬が京英女子大附属病院の筆頭株主だったなんて知らなかった。それだったら相沢さんを通せば融通も利くのだろう。


でも・・・

優子の態度、何か腑に落ちない感じがする。

今までの優子っぽくない。妙な違和感・・・

何か隠しているのかな。

私にも話せない事?

つーか、私って優子にとってそれくらいの存在なの?

もしそうだったら、ちょっと悲しいな。

でもまあ、お互いに大人なんだし、隠し事のひとつやふたつあっても変じゃないか・・・

私だって珍之助の事、優子に話してないし。


この後は仕事の話や会社の人間の噂話をしたりして、今までと同じ感じのランチタイムを過ごした。

でもやっぱり優子の雰囲気が気になる。

疲れていると言うか、影があると言うか・・・





今日も定時に会社を出た。

明るい内に帰宅すると何だか得したような気分だ。



「ただいまー!」


ドアを開けるといつものように珍之助が台所で料理をしている。

もうすっかり料理の腕も板に付いて、私の専属料理人みたいになっている。

買い物も自分で行けるようになったし、前の日に頼んでおけば日用品なんかもついでに買って来てくれるようになった。

便利この上ない。


「珍之助、今日は何作ってるの?」


「今日はハンバーグと納豆ですから。ちんこが好きと言ってたので作るしました。食べるか?」


「す、すごい組み合わせだね・・・まあいいや、お腹空いてるからすぐに食べよう!」


珍之助と暮らし始めてから、私は食事の量が増えてしまって太って来ているような気がしてならない。

だから最近はご飯は小さいお茶碗で一杯だけ食べるようにしている。

5合炊きの炊飯器で炊いた残りのお米はすべて珍之助が平らげてしまう。

運動部の男子高校生並みの食欲だ・・・食費が嵩むよ・・・


食事が終わり、珍之助と二人で食器を洗っていた時だった。



---ボンッ!!---



「わっ!?」


いきなりの爆発音と白い煙。

現れたのは、あの”神様”ことハゲオヤジ。


「どもー!凛子ちゅわん、元気ぃ?」


「ななな、何だよっ!いきなり来やがって!」


「あれ?メルティーから聞いてねえか?俺が来るって」


「聞いてねぇよ!」


「あれー?おっかしいなあ?凛子ちゃんの彼氏に格闘技教えてくれってメルティーから頼まれたんだけどよ、聞いてねぇか?」


「格闘技を教える人が来るって言ってたけど・・・ひょ、ひょっとしてアンタが教えるの?格闘技を!?」


「うんうん、俺俺、俺が教えちゃるけんね」


「はあ?アンタが?格闘技?はぁ???ありえねぇ~!ぜーーーったいにねぇわ!ハゲのクセに!チビだし!ありえねー!」


「ふっふっふっ・・・凛子よ、俺の本当の姿をキミはまだ見た事無いからそんな事を言うのだよ・・・俺、マジすげーから。ビビるよ、俺のワザ見たら」


「あーはいはい・・・格闘技の先生寄越すってメルティーが言ってたけどさ、まあこんなコトだろうと思ってたよ、ったく、メルティーもメルティーだよなあ」


「あ、凛子ちゃんまだ疑ってるんか?本当に俺ってマジヤバいから。ま、格闘技って言っても本当に俺の実力が発揮できるのはベッドの上の格闘技だけどな!うひょひょひょ!凛子ちゃんも試してみっか?俺のパワーローリングピストン!うひょひょひょ~!あ、そう言えば凛子ちゃんBカップだったっけ?じゃあダメだわ、俺、Fカップ以上じゃないと興奮しねぇんだわ、わりぃな」


「何でてめぇにダメ出しされなきゃならねぇんだよ!殺すぞ!今日はマジで殺してやる!表出ろ!この変態ハゲ!」


「あーそんなに怒らないでちょんまげ!ちょっと彼氏借りてくからさ、善福寺公園あたりで稽古してくるわ!さ、彼氏、行くべ!」


「勝手に行ってこい!さっさと出てけ!」


「じゃねー、彼氏借りるよー!」


ハゲと珍之助は部屋を出て行った。

何だよ、あのハゲ、会うたびにBカップだの貧乳だのムカつく事ばかり言いやがる。

でもまあ、平日は新之助もずっと部屋に居て、たまに買い物に行くくらいで殆ど運動していないし、ストレス発散にもなるしいいか・・・って、あいつにストレスとかあるのか?

それにしてもあのハゲが格闘技教えるって・・・一体何教えるんだよ。腕相撲とか?


それから私は一人でネットを見たり本を読んだりダラダラしていた。

そう言えば部屋で一人きりって久しぶりだな・・・

時計を見るともう22時。

ハゲと珍之助が出て行ってからそろそろ2時間だ。


「凛子ちゅわーん、ただいま~」


ハゲと珍之助が帰ってきたようだ。

玄関に行くとハゲが珍之助を背負ってニヤニヤしながら立っている。

ハゲに背負われた珍之助はぐったりしていて、Tシャツもジャージも泥だらけ。まるで喧嘩をしてきたような有様だ。


「ち、珍之助、大丈夫?」


よく見ると珍之助の顔は所々青アザが出来ており、腕や手には細かい傷がいっぱいで血が滲んでいる。


「う・・・え・・・、ちんこ・・・神様に教えてもらうは痛いですから、疲れるですから、ちんこのために強くなるのは良い事か?」


「わわわ、珍之助、いいよいいよ、私のためとか、そんなんいいから!痛いでしょ?こんなになるんだったらやらなくていいから!・・・つーか、てめぇこのハゲ!珍之助に何したんだよ!」


「ん-、だから格闘技を教えるって言ったけんね、まぁ、初日からちょっとゴリゴリやってみました!わはは」


「てめー、このハゲ!珍之助に何かあったらどうすんだよ!こんなに傷だらけじゃんかっ!」


「あー、これね、ダイジョブダイジョブ。これくらいの傷、1日で治るから。彼氏まだ第4フェーズだべ?だったら問題ねぇし。心配すんなって!それよりもよ、コイツすげー飲み込み早いんだわ。この調子でやってりゃすぐに強くなるから。先が楽しみだわ。じゃ、俺はそろそろ帰るから。この後よ、釈迦と飲みに行く約束してんだわ、釈迦と。あいつよ、この前キャバクラ連れてったらよ、何かハマっちゃったみてーでよ、”この前行ったお店はとても楽しかったです。また連れてってください”なんて言いやがってさ、あの野郎最初は”私はそのような不健全な店には行きかねます”なんてほざいてやがったのによ、一回連れてったら気に入りやがってさ、お姉ちゃんが横に座ったらまんざらでもねぇ感じでよ、お姉ちゃんのおっぱいとかチラ見してやがんの!細い目で!あのブツブツ頭が!ったくよう、あのムッツリがよう!だからさ、今日はキャバクラとかじゃなくてオッパブ連れてこうかと思ってるんだけどよ、どうかな?オッパブ。知ってる?凛子ちゃんオッパブ知ってる?おねーちゃんがよ、こう跨ってくれてよ、おっぱいバーンって出してよ、パフパフしてくれんだわ、パイオツで。もうたまんねぇぞ!ヘブンだぞ!生でパフパフだぞ!揉み放題!うひょひょひょ~!いいだろ!目の前にな、こう、ふたつのパイオツがバーンてな、・・・あ、凛子ちゃんのじゃバーンてならねぇか!バーンじゃなくてゴンッって感じか?弾力ねぇもんな!揉めねぇもんな!凛子ちゃんオッパブじゃ働けねぇか?かわいそうだなあ。まあそれはそれで現実ってモンだからよ、つらくても現実を受け入れなさい。私はBカップなんだって。私は貧乳なんだって。現実を受け入れてさ、オッパブで働くのは諦めて今の仕事頑張れ!応援してっからな!ほんじゃね、バイバーイ!」



---ボンッ!!---



殺す・・・

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