巨像
灰汁須玉響 健午
第1話
手には、血が滲んでいた。
真っ赤な鮮血ではない。赤黒くへばりついた、汚れた血痕だ。もうどこから滲みだしているのか、判別もできないほどの無数の傷。
息は切れ、四肢は痛み、意識も朦朧としている。鼓動だけがやけに大きく聞こえ、体全部が、心臓になってしまったのではないか思うほどに、不規則な躍動を繰り返す。
疲労、倦怠、鈍痛。
体は言うまでもなく、心まで困憊し、緩やかで粘着質な絶望感が包み込んでいる。
身体の悲鳴は、何度も聞いた。それと同じか、それ以上の心の折れる音も耳にしてきた。全ての持てる可能性が悉く崩され、打ち砕かれ、現にこうして地べたに倒れ込み、ゴミクズのようにひれ伏している。
もう、立ち上がる気力もない。
僕の右手には、辛うじて放さずにいた黒鉄色の短剣が、埃と血に塗れて握られていた。
静かに、手のひらに力を込める。傷だらけの右手は、それでも懸命に強く、短剣を握ることが出来る。
カラカラに乾いた口の中から、なんとか絞り出すようにして唾を飲み込む。
そうか。
僕の腕は、まだ動くのか。
千切れて散らばってしまったかのように、感覚のない足を引き寄せる。反応は良くないが、ゆっくりと、しかし、確実に足は命令を聞こうとする。
この足もまた、まだ動かすことができるのだ。
大きく息を吸う。
震えながらも、僕の肺は空気をいっぱいに吸い込み、そして吐く。
そうか。
そうなのか。
幾度目ともしれぬ歯を食いしばる。
体の軸に力が十分入りきらず、時に震え、時に揺れながら、僕は立ち上がった。
手足は動き、心臓は脈打ち、肺は空気を吸い込み、そして、立ち上がることができる。それならば、僕はまだ、戦える。
うつろな目を強く閉じ、大きく見開く。
目の前には、巨大な石の壁。いや、壁ではない。ひとつの視界ではおおよそ捉えられない分厚い物体は、実は巨大な足の一部なのだ。見上げると、その意味を改めて理解する。無骨ながらも凹凸があり、やがて付け根が見える。間違いない、これは、何かの右足だ。否、それも少し違う。僕は、それが何であるかを知っている。
巨大な像だ。
人の形をした、石の彫刻。
それは意思を持ち、考え、動き、そして生命活動と非常に似たそれをなす。
ロボットなどというほど、軽々しくはない。無機質でありながら、なぜか血が通っていて、荘厳で、尊大で、猛々しい姿であった。
僕は剣を握り締める。
握った手から、伝わる力の反動に、全身がまた悲鳴を上げる。
力をこめただけで、激痛が走る。
しかし、僕は更に力を込める。
そうしなければ、全力で握って打ち込まなければ、この脆弱な剣は、瞬く間に弾かれ、その衝撃は僕の体を引き裂いてしまいかねない。
「うう……うあああああああ!」
それは鼓舞であり、雄叫びであり、単純な叫びでもあった。
巨大な石の塊を目掛けて、真っ直ぐに振り下ろす。
像の巨躯の、岩の隙間。
僕はそこを狙って力いっぱい剣を差し込んだ――。
巨像 灰汁須玉響 健午 @venevene
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