第30話 2015年 初配信

【2015年12月18日】


「やはり生放送といえば、耳に心地いいものがいいだろう。長時間放送ならなおさらだ」


 向かいに座った悪魔に向かって、俺は計画を語る。


「つまり音楽系がいい。そしてせっかく生放送をするなら、ライブ感のあるもの、つまりその場で曲を決めたほうが盛り上がると思う。ところがそうなると原盤権という問題があってな、突発的に原曲を流してカラオケみたいなことをするのは難しい」

「人間の世界は面倒だよねえ」

「YouTubeやニコニコ動画はJASRACと包括契約をしているが、原盤権はJASRACの管理外。ただし、曲を演奏することはできる。……ということで、ピアノを使った弾き語りをやろうと思ったんだが」

「そうだね、弾き語りなら君のスキルも生かせるし」

「ところが楽譜にアレンジを加えるとこれもまたJASRACの管理外になる……楽譜通り弾かないとアウトだから、ピアノ単体じゃどうにもならんものもある」


 前の世界ではJASRACを理由もなく恨んでいたが、こうして配信する側の立場になるとJASRACもっと支配してくれ、と言いたくなる。


「ちなみにゲームミュージックはJASRAC管轄外だ。後年になれば任天堂とかは『いいよ』、って言ってくれるんだが……今はな。許可を取りに行くのも、得体のしれないVtuberという存在じゃ難しかった。ゲームミュージックのピアノ演奏放送とかやりたかったんだが、実現しなかった……」

「うんうん。広告とか切ってお金をもらわなければいいんじゃない? って思うかもしれないけど、そうじゃないからね。どうするかは権利者次第で、基本的にはアウトな行為さ」

「初めての生放送でケチをつけられるわけにもいかない。……だから、下準備をしていた。交渉し続けていた。そして」


 バズったおかげで急に話がスムーズに進むようになったため、実現にこぎつけた。


「彩羽根トーカ、クリスマス・ゲームミュージック・コンサートを行う! 権利者と直接交渉して、ようやくセットリストが埋まったからな! ハッハッハ! くたばれ、聖夜!」


 ほんと、めっちゃ地道な作業だった。業界的に理解のあるオタクが多くて助かった。今や「Vtuberです」と言えば「ああ、バズってるアレ」と通じるし。


「弁護士の肩書がこんなところで役に立つとは思わなかったよ」


 そう、悪魔の肩書も役に立った。弁護士が連絡してきているなら……と本気で対応してくれたからな。


「本当は視聴者からのリクエストに応えてアドリブで、とかやりたかったんだがな……ともかく。いろんなゲーム音楽をピアノで弾いたりな、事前録音と合わせて合奏したり、そういうのをやるぞ。オタクは大好きだからなこういうの。ぜったいバズる。配信中に100万人登録ある」

「うん。もう何度も聞いたよ。で?」


 悪魔は頬杖をついて問う。


「だいたい君がこうやって、僕が聞きもしないのに計画を語る時って何かあると思うんだけど」

「……初、生放送でやろうと思ったんだが」


 初配信というのは大きなイベントだ。そこでドカンとデッカイことをやってみせたい。しかし――


「いざとなったら、生放送って一回もやったことないし、事故りそうな気がしてきた」


 PeerCastで一回やったきりだし、あの時とは全体的にシステムが違う。


「ていうか緊張で事故りそう。なんかもったいぶっちゃったせいでリスナーからの期待も高まってそうな気がするし……ど、どうする?」

「自業自得じゃない?」

「……あれだ。あのさ。やってみないと分からないことってあると思うんだよな。だから」


 あくまで宣伝かつテストってことでさ。


「生放送の告知を生放送でやるって、アリだよな?」



 ◇ ◇ ◇



@cyberne_to-ka

 初・生放送決定! 12月19日22時より、彩羽根トーカは初めての生放送をYoutubeにて行います! 人類、年の瀬も近づいてきましたが、楽しい時間を過ごしませんか? テストを兼ねているので放送時間は短めですが、放送中には嬉しいお知らせもあります! ぜひ見に来てくださいね! 当日のハッシュタグはこちら! #to-ka-live!

返信先: @cyberne_to-ka さん

 生放送!? うわあああああ!!!

返信先: @cyberne_to-ka さん

 絶対見に行きます!

返信先: @cyberne_to-ka さん

 めっちゃ楽しみです。何やるのかな?

返信先: @cyberne_to-ka さん

 やっと生放送やるんですね!

返信先: @cyberne_to-ka さん

 王が動いた

返信先: @cyberne_to-ka さん

 明日!? 早く帰らなきゃ

返信先: @cyberne_to-ka さん

 人類として鼻が高いわ



 ◇ ◇ ◇



【生放送!】ご挨拶と嬉しいお知らせ【全人類へ】 / 2015年12月19日配信


「こんばんは、人類。彩羽根トーカです」


 白い空間にトーカが現れて挨拶する。


上位チャット:こんばんは!

上位チャット:待ってた!

上位チャット:これがトーカか


「今日は生放送ということで……あ、コメント、見れてます。ありがとうございます。Twitterの方も見ていますので、Twitterで実況するときのハッシュタグは、#to-ka-live!、でお願いしますね」


上位チャット:おー生のトーカちゃんだ

上位チャット:チャットの流れ早いな

上位チャット:いろんな言語が流れてる……


「うわ、視聴者数すごいですね……。えっと、いったん落ち着いたら……10分後ぐらいですかね、そのころにお知らせを発表しようと思います。今日は、テストを兼ねた生放送ですので、発表後はちょっと雑談をしておしまいということで」


上位チャット:10分後了解

上位チャット:どれぐらいやるの?

上位チャット:いかないで


「いかないでのコメント早いですよ! まあまあ、30分程度はね、やろうと思いますので。では発表までの時間は、いただいたファンアートのご紹介をしようと思います!」


 バーチャル空間にファンの描いた絵を持ってくる。


上位チャット:おお

上位チャット:かわいい

上位チャット:ファンアート手に持ってもらえるとか裏山


「それでは作者さんのお名前読み上げますねー」


上位チャット:作者ずるい

上位チャット:俺も描くぞ!

上位チャット:うわああああああ


 イラストを何点か紹介しているうちに、あっという間に告知の時間になる。


「あ、もう時間ですね。それでは、嬉しいお知らせを! したいと思います!」


上位チャット:お、きたか

上位チャット:なんだろう

上位チャット:wktk


「それでは小道具を持ってきますね」


 トーカが画面端に消えて――その物体を押して戻ってくる。


上位チャット:なんだ?

上位チャット:ピアノ!

上位チャット:グランドピアノやん!

上位チャット:トーカちゃん力持ち


「はい、ピアノです! ……まあ、グランドピアノじゃなくて実際には電子ピアノなんですけどね。バーチャルならちゃちいピアノも立派になりましょうよ」


上位チャット:バーチャルピアノ

上位チャット:なるほどね

上位チャット:ピアノということはつまり?


「ということで嬉しいお知らせは――彩羽根トーカ、クリスマス・ゲームミュージック・コンサートの発表です!」


上位チャット:うおおおおおお!

上位チャット:サンタさんありがとう

上位チャット:よし監視の必要はないな


「場所はYouTubeのこのチャンネルにて! 主にピアノをつかって演奏、弾き語りを行いますよ! 配信開始は12月24日22時から!」


上位チャット:トーカくんピアノ弾けたのか

上位チャット:楽しみです!


「いやー、権利確認大変でしたよ。はっはっは……」


上位チャット:せやろな

上位チャット:トレンド一位きた!

上位チャット:Twitterトレンド一位!


「え? は? エ、ウソ、本当? ちょっと待って……うわ、本当だ!? あ、あ……は、ハッシュタグ、Twitterトレンド1位、ありがとうございます! うわぁ……すごい。えぇ、日本だけじゃなくて世界でもランクイン? ああ、あ、ど、どうしよう……」


 オロオロと左右を見渡したトーカは、ペコペコと頭を下げる。


「今来てくださった方、すいません。発表終わってしまいました。えーっと、そうだ、テロップ出しておきましょう! これで安心!」


 告知文を画面下方に表示し、フゥ、とトーカは一息つく。


「これで告知内容も分かりますし、もう発表が終わったことも分かりますね」


上位チャット:かしこい

上位チャット:えらい


「それでは後はしばらく雑談タイムとなります。さあ、何を話しましょうか」


上位チャット:トーカちゃんの好きなゲームは?

上位チャット:セットリスト教えて


「ふっふっふ、その手には乗りませんよ。セットリストは秘密です。推測も禁止! でも好きなゲームは、やっぱり最近だと『The 雪山』ですね。あれはBGMなくて、自分の手持ちの音楽ファイルを流せる機能がついてるだけですけど」


上位チャット:最近の推しVtuberについて


「推し!」


 滝のように流れるチャットの中、ひとつだけ書かれたその文言にトーカが食いつく。


「そう、そうですね! バーチャルYouTuber、ほんとにいいですよね! もうぜんぶぜんぶ推しなんですけど、存在自体が尊いんですけど。最近見た動画の中で一番好きなのは北方少女モチちゃんの歌動画ですね。モチちゃんといえばFPSって感じでそれもとっても楽しいんですけど、アイドルを目指すモチちゃんにはやっぱり歌ってるところもすごくよくて……――」


上位チャット:早い

上位チャット:オタク特有の早口

上位チャット:聞き取れないwwww

上位チャット:モチって誰?

上位チャット:歌、がんばった。ありがとう

上位チャット:モチーチカいいよね

上位チャット:!?

上位チャット:FPSうまいよな

上位チャット:モチちゃんいた!

上位チャット:モチーチカいる!


「え? モチちゃん? あああホントだ! モチちゃん! 見てくれてありがとう! あの私すごい好きで推しです! 動画投稿毎秒待ってます! あとあと、そろそろ全身動くところが見てみたいな~って思ってるので、おじいちゃんにおねだりしておいてください!」


上位チャット:このオタクヤバい

上位チャット:さすがVtuberのオタク

上位チャット:ヤバいオタクをみた

上位チャット:ヤバイオタクを見に来た

上位チャット:いやトーカちゃんはかわいいだろ……ヤバいのはおじさんとかだよ


「おじさん! バーチャルぽちゃロリドラゴン皇女Youtuberおじさんのドラたまさんの話ですね!? 確かに確かに、あれはヤバいですね! あのかわいいロリボディで、声と魂はおじさん! その脳がバグる感じといったらたまらなくないですか? まさにバーチャルですよ!」


上位チャット:加速したw

上位チャット:噛まずに言えるの草

上位チャット:本当に好きなんやな

上位チャット:おじさんに嫉妬する


「いやー大丈夫、女の子同士だから大丈夫ですよ。ドラたまさんはね、やっぱりすごいと思います。ドラたまさんが出てきてくれて、やっぱり登録者数がバーチャルYouTuberの界隈全体的にグッて上がったんですけど、おかげで今回の権利交渉もはかどりまして。数こそパワー! みたいな。もうすごく助かりましたよ!」


上位チャット:女の子……?

上位チャット:女の子同士?

上位チャット:深刻なバグ


「あっあとね、ドラたまさんにはね、ぜひ動画で言っていたゲーム製作がんばってほしくて。私ぜんぜん協力するので! Unity、私、チョットデキますので! あっ、あとドラたまさんには、ぜひもっと変態になって欲しいですね! もっとへきを出していってほしい! たぶんもっと隠してますよ、あれは! ねえ!? だからみんな、ドラたまさんをすこれ!」


上位チャット:変態になって欲しいは草

上位チャット:えぇ……困ります……

上位チャット:チョットデキル勢か

上位チャット:本当にぃ?

上位チャット:おいぽちゃロリもいたぞwww

上位チャット:ぽちゃおじもよう見とる


「ああー! ドラたまさんも見てる!? ああああああ、ありがとうございます! 失礼なこと言ってすいません!」


 予定時間をオーバーして、トーカは語り続ける。入れ代わり立ち代わり、この時点で存在するほとんどのVtuberが、コメントを残したり、Twitterで反応を残したりしていった。それに楽しそうに反応し、語り続け……――


上位チャット:きた!!!

上位チャット:100万!

上位チャット:100万登録おめでとう!!

上位チャット:おめでとうございます!

上位チャット:金盾キター!


「え……えッ? チャンネル登録者数、100万人突破!? え、あ、ほ、本当だ! うわ、うわ……あ、ありがとうございます! みな、みんな、みなさんの、応援のおかげです……あ、ありがとッ、ぐ、だ……ちょっと、すいません」


 画面から消えるトーカ。ズビーッ! という鼻をかむ音がしたあと、戻ってくる。


上位チャット:ミュートしろよw

上位チャット:鼻の音入ってますよ

上位チャット:おはなたすかる


「……はい。100万人登録、ありがとうございます! ……えっ? 鼻の音入ってた!? ウソ!? ちょ、わ、忘れてください!」


上位チャット:もう切り抜き上がってる

上位チャット:職人早い

上位チャット:逃れられないw


「ああぁ……う……し、仕方ない……切り抜かれていたなら、アーカイブ編集しても無意味なので……このまま残します……」


上位チャット:泣かないで

上位チャット:泣かしたのはお前らなんだよなあ・・・

上位チャット:潔い


「その代わり! クリスマスの生放送の宣伝はお願いしますよ!」


上位チャット:了解!

上位チャット:宣伝しとくわ、鼻水とともに


「……はい。ずいぶん長いこと話してしまいました。えっと、え、もうこんな時間? 気づかなかった」


上位チャット:オタク、語りすぎて時間を忘れていた

上位チャット:俺も時間を忘れていた

上位チャット:体感10分しかないが?


「もう遅いですし、終わりにしますね。人類のみなさん、長時間ありがとうございました!」


上位チャット:いかないで

上位チャット:いかないで

上位チャット:ありがとう!

上位チャット:楽しかった

上位チャット:今すぐクリスマスになんねえかなあ



 ◇ ◇ ◇



「……ああぁぁぁ計算間違えたぁぁぁぁ!」

「なんだい、配信が終わったと思ったら、奇声を上げてこっちに来て」

「チャンネル登録者数だよ! 予測線的に、今日じゃ絶対届かないし、クリスマスの生放送でギリギリ行くか行かないかって感じのはずだったのに! こんなどうでもいい雑談の配信で100万人!?」

「いやぁ……ヤバいオタクとして名が売れてきたね?」

「うぐぐぐ……」


 数字は力だ。登録者数が増えるのは嬉しい。しかし、タイミングというものがあるだろう。クリスマスのライブ中に100万人という美しい流れの予定が……。


「それにしても君、生放送でもああいうキャラを貫くんだね……普段はこんななのに」

「お前と接するのと視聴者と接するのは違うだろ。誰にも同じ感じで接する人間がいたらバグってる。あれも私だ。キャラってわけじゃない」


 多少、理想の姿を追っていることは否めないが。


「……とにかく、突破したものは仕方ない。本番で今日以上の伸びを実現すればいいだけだよな」

「うんうん、その意気だよ」

「よし、やるぞ! クリスマスライブ!」



 ◇ ◇ ◇



【生放送】なんか町中で似たような曲ばっかり流れてるからゲームミュージックを生演奏【クリスマス?知らない子ですね】 / 2015年12月24日配信


 (前略)


 ――……曲を弾き終え、ふうっ、と息を吐くトーカ。


「……いやー名作ですよね! ゲームミュージックは曲としてだけじゃなくて、プレイした時の記憶も蘇るから、感動もひとしおです。みなさんもぜひ、いろいろプレイしてみてください」


 コメントが滝のように流れる。それを目で追いながら、トーカは語る。


「うんうん、いろいろやりましたね。ギターもバイオリンもやりましたし、口笛なんかもね。楽しかったです。でも……そう、そろそろ。次で最後の曲です。人類のみなさん、今日も長時間本当にありがとう。いかないで? うんうん、わかります。でも終わらないとね、何事にも終わりはあるんです」


 トーカは深く息を吐き出す。


「そう、終わらせる勇気も必要なんですよね……みんな、私に勇気を分けてください。それじゃ最後の曲いきます。トーカ音楽隊カモン!」


 トーカが手を叩くと、ぞろぞろとトーカたちがやってくる。手にはそれぞれ別の楽器を持って。


「いやー、これ録画再生してるからタイミング合わせるのがね、難しいっていうか融通が効かないので……」


 ひとりのトーカが指揮棒を持って前方に立つ。


「始まるのでやります! 勇気といえばこの曲は外せない! ラストはドラゴンクエストシリーズより、序曲!」


 トーカのひとりオーケストラが始まる。ゲーマーなら誰もが反応する出だしから、視聴者を盛り上げる。


 そして曲が終わると、トーカたちは粒子になって消えていった。一人残ったトーカが深く頭を下げる。


「――……長時間お付き合いいただき、ありがとうございました。生放送、大盛り上がりでした! おかげで勇気がもらえた気がします。だから私……行ってきますね! また会いましょう、人類!」



 ◇ ◇ ◇



【2015年12月25日】


 コンビニの従業員用の駐車場に車を止め、呼吸を整えて外に出る。


 ……大丈夫だ。話すことは決めてきたし、準備もした。説得する資料もノートパソコンにまとめてある。


「おはようございます」

「あ、ハスムカイさん。おはようございます」


 コンビニの中に入ると、レジの向こうから店長が挨拶する。相変わらず細い。


 店内を見渡すと、早朝だからか客は誰もいなかった。……よし、今のうちだな。


「店長。少しお話があるんですが……いいですか?」

「あら。ハスムカイさんも?」


 俺も?


「じゃあ休憩室で」


 あまり使われていない休憩室に二人で入ると、客が来ても気づけるように扉を開けたまま机に向かい合って座った。


「それで、ハスムカイさんのお話は?」

「……えっと」


 あの生放送の終わり際。なんかそれっぽい決意表明で、しかしなんら具体を語らなかったトーカに寄せられたコメントたちが蘇る。「なんかわからんが頑張れよ」「行ってらっしゃい!」「待ってる」……そうだ、勇気をもらってきたんだ。しっかりしろ。


「……バイトをやめさせてくだ――辞めます」


 言った。しん、と休憩室の中が一瞬静かになる。


「事件の件とかあって、忙しいときに申し訳ないとは思うんですが――」

「あ、そうなのね。ちょうどよかった」

「――ちょうどよかった?」

「実はね」


 店長は微笑む。


「このコンビニ、移転することになったの」

「え、そうなんですか」

「ええ。しばらく前から考えていたことなんだけど……ほら、事件があったじゃない?」


 ここの地主の息子が、強盗致傷で逮捕された事件。被害者は店長。


「あの件で弁護士さんがすごく頑張ってくれて……なんだか地主さんも、不思議なことに怖いぐらい反省してらしてね。すごい額で示談してくれることになったの。それじゃあ、もっといいところに移転しようかって……ここなんだけど」


 店長がスマホで見せてくれた場所は、国道沿いの土地だった。奥まって近所の人しか利用しないようなこの場所より断然交通量が多いし、しばらく補給地点のない場所だから、確実に客の増加が見込めるだろう。


「……亡くなった夫と相談してた場所の一つなの」

「そうなんですか」


 旦那さんのことを話すときの店長は、儚く見える。


「でもだいぶ場所が変わるでしょう? だからハスムカイさんが続けてくれるかわからなくて……それでその話をしようと思っていたのよ」

「はは……なんか、先走って申し訳ない」

「ううん。こういう話ができるのもハスムカイさんのおかげよ」

「えっ」


 俺、なんかしたっけ。


「ええ。わたしって体が弱いでしょう? ハスムカイさんが来てくれなかったらきっと今頃、ううんずっと前に、過労で夫のところに旅立っていたわ」

「未亡人ジョークやめてください」

「それから……暴漢からも助けてもらったし」


 あれは……やりすぎた気がしないでもないが。


 ……そうか。もしかしたら、俺は既に店長の運命を変えていたのかもしれない。たぶん……いい方向に。

 もしかしたら――店長は過労で死んでたかもしれない。もしかしたら、やっぱり地主の息子に刺されて死んでいたかもしれない。悪魔に検索させれば正確なところがわかるかもしれないが、今更か。


「だから……」


 店長は、俺の手を取る。


「――だから、辞めても大丈夫ですよ、ハスムカイさん」

「えっ……あ」


 そうだ、その話だった。


「いや、移転するならそれこそその準備とかあるだろうし、引っ越しだって手伝わないと――」

「休業しちゃえばランニングコストはかからないし、その間にしっかり人を探せる。引っ越しも業者さんがしてくれるから大丈夫」


 店長は――顔色を少し良くして言う。


「クリスマス、用事があるから絶対に休ませてください、って言われたときから覚悟してたの」

「店長……」

「ハスムカイさん……結婚するのね?」

「しません」


 寿退社じゃあないんだよ。


「その、ずっと昔からやりたいことがあって、それがうまく行きかけていて……だから、それに専念したいんです」

「まさか……メジャーデビュー?」

「違います」


 夢見るバンドマンでもないんだよ。近いけど。


「すいません、詳しくは言えないんですが」

「いいのよ。もともと、辞めたいって人を引き止める権利はないもの。今まで、いろいろ助けてくれてありがとう」

「店長……」


 助けてくれて、か。本当ならこれから助けるつもりだったんだが……全部無駄になっちゃったな。


 ……いや? 待てよ? 別に……話をするぐらいはいいよな?


「店長ってパソコンできますよね?」

「え? ええ、まあ、本部にレポート出したりもするし……ある程度は」

「人と話すことは好きですか?」

「好きな方よ。でもこの生活になってからは、あまり話す人もいないわね。夫に連れられて来た土地だから、知り合いもいないし……」

「人前で歌うこととかゲームすることに抵抗ってあります?」

「ええ? 人前で……? う、うーん、まあ……できなくはないと思うけど……えっと、何かしら?」


 移転先は交通の便もいい。バイトを希望する人も増えてシフトも改善して、店長にも暇ができるだろう。それを埋める何かがあってもいい。


「店長」


 店長は声がいい。不思議な色気もある。


 あの綺羅星のなかにひとつ、そんな星が増えたっていい。


「最近バーチャルYouTuberっていうのが流行っているらしいんですよ。興味ありませんか?」


 店長をバーチャルYouTuberとしてプロデュースしよう計画あらため、趣味としてのバーチャルYouTuberをやってみませんか計画。それを俺は披露した。


 俺がプロデュースする必要はなくなったから、用意していたアバターなんかは提出しなかったが……惜しいけど見せなかったが……とにかく、そういう趣味の在り方をひとしきり語った。


 その後、それが店長に受け入れられたかどうかは……わからない。いつかあの綺羅星の中に、未亡人ジョークをうっかり言ってしまうVtuberが現れたら……俺が勧誘した甲斐があるというものだ。

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