第8話 1998年 おじさん、囲まれる

【1998年】


 1998年。俺は二度目の小学五年生だ。


 大学付属のこの学校は、いわゆる富裕層、エリート向けの学校だ。なので前の世界ではお目にかかることのなかった設備もあったりする。例えば今いるカフェテラスとか。

 驚け、俺は驚いた。学食じゃなくてカフェテラスだぞ? カフェなうえにテラス。世界が違うな。最初のころは意味が分からなかった。まあ、どういうわけか今はそこの常連なんだが。


 そんなわけで今日は放課後、おしゃれなカフェテラスでひとつのテーブルを囲んでいる。


「ねえねえ、テルネ」


 隣に座る、ブルネットの髪を腰まで伸ばした少女、ヴァレリーが話しかけてくる。


「テルネがやってるゲームで、日本人の集まるところができるって聞いたわ。それならテルネと一緒に遊べる?」

「私は遊んでいるわけじゃないぞ。最新情報の翻訳をやっているんだ」


 世の中ではMMORPGが流行りはじめていた。サービス提供元はアメリカで、そうなると最新の更新情報、パッチノートも英語で配信される。そのパッチノートの翻訳の依頼がよく寄せられるようになっていた。

 すでにMMO廃人もいるようで、どこよりも早く翻訳をよこせとか、他には非公開にしろとか注文をつけてくる。まあ非公開にする分には、他のところからも同じ依頼が来るから構わないんだけどな。個人からだけじゃなく、雑誌の編集からも依頼が来たりするし、今後海外産MMOが増えていけばだいぶ稼がせて貰えそうだ。


 ちなみに遊んでいるわけじゃないとは言ったが、プレイしてないわけじゃない。ゲーム系の翻訳は実際に中身を見ていないとなんのことかわからないことが多いからな。

 さすがに前の世界で、小学生からMMOに触っていたわけじゃないから新鮮……ではあるんだが、さすがにこの当時のゲームデザインについていけないこともあり、夢中にはなれない。遊びではなく単なる調査という感じだ。


「日本にサーバーはできるが、ゲーム内テキストは英語だぞ。お前プレイできるのか? 英語で」

「うっ……」


 こいつ英語できないからな……それどころか使う機会が減ったからか、最近フランス語もあやしい。


 そう、使う機会が減ったのだ。それはつまりヴァレリーと一対一で話す場面が減ったということでもある。

 ついにヴァレリーが俺から離れて行ったかって? それならそれで別にいいんだが……接している時間は特に減っていない。


 ではどういうことかというと――増えたのだ。人が。


「あらあら」


 向かいの席から、コロコロと笑い声があがる。


「ヴァレリーさん。英語の勉強はしたほうがいいですわよ」

「む、むー……!」


 むくれるヴァレリーをからかって笑うのは、褐色で俺より背の高い女。


「ち、中学から勉強するからいいのよ!」

「そうですか? 身につけばいいですけど」


 ため息をついて頬に手をやる仕草は、癪だがサマになっている。


「テルネさんもこんな向上心のない小娘より、わたくしと会話する時間を増やしたほうがよろしいのではなくて?」

「私はこの集まり自体に無駄を感じているよ」


 今この場にいるメンツが理解できる共通言語が日本語だから、ここでは日本語で喋っている。……つまり、言語の練習ができないのだ。それならもっと他のことがしたい。


「あらあら」


 俺の本音を受けてもコロコロと笑うこいつの名は、ラトナ・アンゴド。


「テルネ。消す?」

「消さんでいい」


 ヴァレリーの向かいに座る金髪ロシア人の男の娘ルーニャと同じく、他国から亡命してきて――学年主任のムラマツ先生が世話を押し付けてきた女だ。


 ……優秀な先生って実在するんだな。ムラマツ先生は、俺が手を抜いて目立たずに学校生活を送ろうとしているのをすぐに見抜いて、それをネタに色々無茶を押し付けられている。

 まあ、本気を出すのを強要されて学年代表の挨拶を任されるとか、必ず参加しないといけないコンクールとかで受賞してしまうよりはマシだし……。


「貴重なインドネシア語の練習台だからな」

「福建語もでしょう? いつでもお付き合いいたしますわ」


 ……こうした実利がないわけでもないから、甘んじて引き受けている。


 ラトナ・アンゴド。彼女はインドネシアのジャカルタで起きた暴動から身を隠しにやってきた華僑。故郷ではかなり儲けていた一族のお嬢様というところだ。


 ……お嬢様だからって、毎日カフェテラスでお茶会するものなのか? わからん……わからんが、なぜだかこのメンツでお茶会することが日常になってしまった。今じゃこの席は俺たちの指定席という噂だ。どこの学園モノだよ?


「えー! 無駄なんてひどい! 習い事減らしたんでしょう? ならテルネはもっとあたしと遊びなさいよ!」


 減らしたのは事実だ。俺が目指すのはバーチャルYouTuberの親分であって、その他のスキルのプロじゃない。ある程度自主練で維持できると見切ったものは教室をやめていた。

 だがそれは仕事やら他のスキルの習得のためであって、遊ぶためじゃあないんだが。


「あらあら、ヴァレリーさん。わがままはいけませんよ。テルネさんは今はわたくしとお話をする時間ですのよ?」


 お前だけと話す時間でもない。女の子らしくおしゃべり好きなのは分かったが、おじさんには付き合いきれない。


「おい、なんの話をしている? くだらんゲームか?」


 ――ラトナの隣から英語で話しかけてきた男と話す時間でも、もちろんない。


「オレにわかる言葉で話せ」

「アラビア語と英語しか使えないお前が悪い。このメンツでの共通語は日本語だ。さっさと日本語をマスターしろ」


 英語で言ってやると、天然リーゼント頭の男は苦い顔をした。


 ヴァレリーは英語ができないし、ラトナもああは言っているがカタコトレベルだ。ルーニャも同様。俺と悪魔はこのメンツそれぞれの母国語が使えるが、それでは一対一のコミュニケーションしかとれない。


 そういうわけでこの集まりでの会話は日本語と決まっている。


 それを、最近加わったこの『エジプト男』だけが不自由にしていた。


「おい、ナルト。キサマの姉の横暴をなんとかしろ」

「この件に関してはテルネの言うことが正論だと思うよ? 留学生なんだから、カリームも早く日本語を覚えなよ」


 悪魔はエジプト男からの肘鉄を器用に避けて言う。


 エジプト男――カリーム・ジブリール・サイード・ジャウハリーは、このご時世に珍しく日本へ留学しにきたボンボンだ。日本に送り込まれるあたり複雑な事情がありそうだが、面倒くさいので深くは聞いていない。ムラマツ先生からも特に何も言われてないし。

 というか天然リーゼント頭のくせにイケメンでムカつく。たぶん年をとったらヒゲとモミアゲが似合うやつだ。クラスでは石油王っぽいとか言われていたな。エジプトに石油はほとんどないらしいが。


「カリーム、ゲームをくだらんというのはやめろ」


 日本語のリスニングは多少できるはずなので、練習がてら日本語で注意してやる。


「ゲームは人の快楽を突き詰めた総合芸術のひとつだ。特にオンラインゲームは今後のトレンドになる。今はパソコンでやるものが主流だが……最近、携帯電話もインターネットにつながるようになっただろう? あれが普及してスペックも上がれば裾野はもっと広がるんだぞ?」

「携帯ならわたくしも持っていますが……これでゲームを? 画面も小さいしモノクロだし、ゲームをするのに向いていないのでは?」

「だよねー。電話でゲームするのって変!」


 まあこの時点の認識はそんなものか。というか横道に逸れたな。


「とにかく、ゲームをくだらんと言うのはよせ」


 ゲームは俺にとっての最初の救いだ。


 オンラインゲームこそ後年になってからしか触っていないが、それ以外のゲームは小さい頃からずっとやっていた。学校でイジメられても家に帰ればゲームが待っているのだと、あと半年生きれば最新作が遊べるのだと、俺を支え続けてくれたものなのだ。


「というか触れてもいないものを意見するのはやめろ。せめて百本はゲームをクリアしてから語れ」

「えっ。テルネ、そんなにゲームする時間あったの?」

「私はいいんだ」


 前の世界で散々やったからな。それこそ、配信文化が成長してからは様々なゲームするVtuberを見た。おかげで今更当時のゲームをプレイしても、二周目プレイという虚無になるから今生では触っていない……っと、それより逸れた話を大元まで戻すか。


「ヴァレリー、MMORPGをやりたいなら英語を勉強するか、日本語で遊べるものが出るまで待て」


 たぶんヴァレリーには韓国産の2DMMORPGの方が向いてる。あと4年ぐらいしたら出てくるはずだ。


「あたしは今テルネと遊びたいのに」

「私は忙しい」


 通う教室を減らした時間は、自習と翻訳の仕事に割り当てているんだ。


「ナルトぉ……」

「テルネに言いなよ。僕は無理矢理つきあわされているんだから」


 悪魔は肩をすくめる。忌々しいな。その姿にキザな仕草は似合わないからやめてくれ。


「ですがヴァレリーさんの言うことも理解できます。テルネさんはもう少しわたくしとお話する時間を長くとるべきですわ。なぜそうも忙しくされていますの?」

「目標に届くための力をつけるためだ」


 バーチャルYouTuberの親分をやるなら、まだまだ学ぶことがたくさんある。


「その目標を教えてくださいません?」

「言うつもりはない」


 唇に指を当てて、ドキッとするような仕草で聞いてくるが、答えはしない。寄せた胸が谷……いや、答えないぞ。


 バーチャルYouTuberの親分の正体は最重要機密だ。こいつらとは……まあ……親しくしていると言ってもいいかもしれないが、秘密を共有できる間柄ではない。


「では当ててみましょうか」

「えっ、ラトナわかるの!?」

「ええ。各国語に歌に楽器に絵画に踊り、そして護身術。これらは」


 ラトナは妖艶に笑う。


「外交官や国の上層部……貴族や王族の夫人としてどこに出ても恥ずかしくない教養ですわね」

「――は?」

「つまりテルネさんは、ものすごい玉の輿を狙っていらっしゃるのですわ」

「へえ!」


 へえ、じゃないんだ悪魔。ニヤニヤするな。というかその予想はなんだラトナ。ヴァレリーも納得した顔をするな。


「何? テルネは金持ちの嫁になりたいのか? それならオレがもらってやろう。テルネならオレの隣に立つのにふさわしい」

「黙れロリコン野郎」


 10歳の少女、それも中身はオジサンに欲情して求婚するとか、変態の役満か。あと悪魔、なんで呆れた目で俺を見る。


「オレの国ではテルネより若い娘でも結婚できるから問題ない」

「問題しかないだろが。誰がお前と結婚なぞするか。あと日本語をしゃべれ」


 イケメンだからって女子をそうやってからかってると周囲の好感度が下がるぞ。


「えつ! 駄目よ、テルネとカリームの結婚なんて認めないんだから! エジプトに行っちゃうなんてやだ! ずっとここに居て!」


 そうだそうだ。もっと言ってやれヴァレリー。エジプト男に汚いものを見る目を向けてやれ。だが抱きつくのはやめろ、暑い。


「フン。なら日本で結婚してもいいぞ?」

「そうなりますと、結婚できるのは6年後ですわね。6年後のテルネさん、さぞ美しいでしょうね」

「あ、うんうん! テルネはきっと美人になるわ! お化粧とかすればいいのに。クラスでも、もうしてる子たくさんいるよ?」

「勘弁してくれ」


 俺のこの体の素材がいいことは否定しない。おそらくきちんと化粧をすれば美少女と呼ばれるだろう……と、朝鏡を見るたびに思う。


 容姿か。前の世界ではさんざんだったのにな……双子の女側というだけでこうも変わるのか。遺伝子の奇跡ってあるんだな。


 だが、俺は化粧はしない。面倒くさいからだ。評価されるべきはバーチャルYouTuberのアバターであって中身の俺の外見じゃない。中身にいくらコストをかけてもアバターはキレイにならない。化粧の腕を上げるよりも、デザインとモデリングの腕を上げるべきなのだ。


「まあまあヴァレリーさん、そう急がなくても、テルネさんもいつかきっとお年頃になりますわ」


 なりますわ、じゃあないんだ。……というか前から疑問なんだが、ラトナの日本語の教材はなんなんだよ? どういうお嬢様口調なんだ。


「フン。テルネがまだ子供ならしかたあるまい。大人になって女を自覚したら嫁に貰うとしよう」

「気持ち悪いこと言うな。誰が嫁に行くか」

「カリームなんかにテルネは渡さないわ!」

「抹殺しよう」


 左右からヴァレリーとルーニャが抱え込んでくる。やめてくれ、暑い。


「あらあら。テルネさんは大人気ですわね」


 ラトナがコロコロと笑う。


 ……前の世界の、イジメを受けてからのぼっちコースとはずいぶん違う人生になったものだ。色々厄介事も抱え込んだ気もするが、前と比べればずいぶんにぎやかで生きやすい……はずだが、どうにもモヤモヤして落ち着かないところもある。


 そのモヤモヤの正体を、俺はしばらく後になるまで理解することができなかった。

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