第13話

園照時は、浄土宗の寺で地元にはかなりの数の檀家を抱える地域では親しまれている中規模の寺院であった。

 二階に本殿のある園照寺は、一階に客殿があり、そのいくつかは常に解放されている。その一部屋に頼光と杏璃は通された。

 祝詞が自室として使っているのは、境内の裏手にある離れであるが、戸襖で個室にすることもできる上に、簡素な椅子とテーブル、給湯設備がある客殿の方が杏璃が要る都合上、過ごしやすいであろうとの配慮の結果だった。

 祝詞は自室からドリッパーとペーパー、コーヒー豆など、一式をもってきて、コーヒーを淹れ始めた。

「解決しなかったのは、久しぶりだね」

「……ああ。俺の力が、何の役にも立たなかったからな」

 祝詞は、ケトルから湯をドリッパーに注ぎ続けていたが、その表情は苦々しく歪んでいた。

 加害者による一方的な干渉。

 被害者には抗う余地も術もなく、ただ蹂躙されるしかない。

 それが、幽霊、呪い被害の大半である。そんな理不尽が嫌で、祝詞はこの仕事を行っている。理不尽と不条理を覆す力を持って生まれたのだから、形はどうあれ、それを使わない手はない。

 常にシビアでフラットな客観視をする祝詞ではあるが、根底には一方的に被害にあう人間を助けたいという想いがあるのは確かだ。

 だからこそ、こうしてどうにもできない事態は、非常に心苦しく、自らの無力さに憤りを感じざるを得ない。

「ありがとう、式守君。依頼は成功しなかったけど、それでも、あなたは出来る限りのことをしてくれたわ」

「緋ノ森の大切な友達である佐藤 太鳳のことも、結局、直接助けることはできなかったのにか?」

「仕方ないことでしょう? 支払う対価は『命』なのだから、支払えないのも当然、干渉できないのも当たり前のことよ。私だって、太鳳を助けたいとは思うけど、呪いを回避するための生け贄に、自分の命までは使えない。これはきっとね、親とか、祖父母とか、そういう類の人でなければ、不可能な取引だと思うわ」

 慰めともとれる杏璃の言葉に、少し救われるような思いを感じつつも、それでもやはり、祝詞には納得などいっていなかった。

 ドリップし終えたサーバーから、カップにコーヒーを注ぎ、自分と、杏璃と頼光へと、各々を差し出す。

「それで、話したいことってなに? まさか、今みたいな謝罪の言葉という訳ではないでしょ? もしそうなら、本当に必要ないわ。むしろ、原因まで突き止めてくれたんだから……」

「案外、ドライなんだな」

「え?」

「緋ノ森、君は自ら霊能力者を探し、除霊を依頼するほどに、親身になっていた。もちろん、それは佐藤 淳の為ではなく、太鳳の為だとしても、結果的に太鳳も呪いの対象となっていた。彼女の母親か、それが無理なら祖父母か、誰かしらが命を差し出さないと、太鳳も死ぬことになる。それなのに、君はこんなにも冷静だ。なぜだ?」

 そう問い詰められて、杏璃はすっと、極視線に視線を逸らした。

 綺麗な瞳が、陰鬱に伏せられ、まつげが影を落とす。

 優雅な動作でカップを持ち上げると、杏璃はコーヒーを一口、小さく啜った。

「……前に式守君が言ったでしょう? 『線引き』をしておけって。その意味がよくわかったというか、改めて、線引きをしてしまったというか。すごく冷静に、判断できるようになってしまったのよ」

 杏璃が言うと、親光が穏やかな笑みを見せる。

「祝詞はいつでも、どんな時でも、怒ったり、イラついたりしていても、根っこの部分では、いつでも状況を客観的に見て、判断している。それが一貫しているから、そこに充てられて、一緒に行動する人間も、引っ張られてしまうんだ。緋ノ森さんの中に生まれた、冷静な感情っていうのは、きっとその影響だと思うよ」

「そうかもしれないわね。淡々としていて、常に冷静で正しくあろうとする。非情に見える機械的な言動は、主観を取り除いて物事を見ている証拠でもあるものね」

「うん。むしろ今回の、淳さんに対しての態度は、少し祝詞らしくなかったくらいだよ。だけど、ああして、淳さんにあえて辛い現実や、高木さんたちの恨みを伝えたのだって、見方を考えれば、凄く公平なことだとも言える」

「公平か。どれほど恨まれ、呪われたとしても、その理由と原因、苦痛を受けた人達の想いをちゃんと伝えないと、意味がないって思ったということ?」

「半分は義務。半分は完全に個人的なイラつきだとは思うけどな。俺はそんな崇高な人間じゃない」

 祝詞は本心を口にした。

 杏璃が言った通り、この呪いとそれが齎す『死』に関して、淳の認識が『ただの逆恨み』などという見当違いなもので終わってはいけないと思ったのは確かだった。

 淳のどんな言動が理由で、誰がどのような苦痛を味わい、それが死に至り、呪いへとつながったのか。その詳細は、なるべく正しく伝わる必要がある。

 深く調べ、直接被害者たちの想いに触れた祝詞は、どうしても被害者寄りの感覚に陥ってしまったことは否めないが、それでも、概ね正しく伝えられたとは思っている。

「あの呪いは、とにかく『正当性』が強い呪いだった。その本質は、『他人を不快にさせる』罪への罰、報復を根底に据えたものだったようだ。だから、呪いの飛び火も、人を選んだ。緋ノ森と頼光は、他人から好感度を得る態度をとれる人間だが、俺はそうではない。加一に至っては、彼の態度を不快と感じる者も少なくないだろう。そういった、好感度に反比例して、飛び火していたんだと思う」

「なるほどね。普段の態度への好感度が高い人間には飛び火せず、低い人間にだけ飛び火する。そして、その飛び火の度合いも、周囲に振りまく『不快感』で決まるってことか。だから、加一さんは見つめただけで強い飛び火を受けたんだね」

 うんうんと頷きながら、親光は言った。

 案外失礼なことを、すらすらというものだ、と思ったのは祝詞だけではなく、杏璃もであったが、あえてそこを指摘することはなかった。

「不快な態度は相手の精神を削り、すり減らし、病ませていく……か。だったら、やっぱり仕方ないと言わざるを得ない事件だったと思うよ。実際弁明の余地も、なかったみたいだしね。事実を告げた後の態度で、なんとなく僕もわかったよ。彼は無意識に、息をするように不快を振りまく人だったのだろうね。事実、同僚の中で彼を擁護する人間はいなかったんだ。ただの一人もね。それってかなり珍しいことだよ」

「彼のせいで、一人が自殺。三人が重度の精神疾患。彼を殺す為に、四人が自らの命を差し出した。間接的に、合計五人を死に追いやったことになるのね。五人を殺した殺人犯だと言い換えれば、呪いで殺されても、文句は言えない存在ね。それでも、太鳳まで呪い殺されるのは、少しお角違いな気はするけど」

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったものでな。高木紗代からすれば、きっと佐藤 淳もその妻の美奈子も、娘の太鳳も、もしかすると、彼の味方をする友人たちも、全員憎いのだろう。出来ることなら、彼に関わる人間、プラスの感情を持つ人間全てを呪い殺したかったかもしれない」

 だがそんなことをしようものなら、いったい何人の命を代償にしなければいけないのか、想像もつかない。

「だけど、だからこそ、抜け道はあった。佐藤 太鳳だけなら、救われる方法が残されていた」

「それだって、大きな犠牲を必要とするわ。助かっても、太鳳は両親を失うことになる」

「誰も幸せにはならない。それが呪いだって、加一は言っていた。俺もそう思う。人を呪わば穴二つ。呪いとは、一人の苦しみを薄めることなく、相手にも味わわせて広める手法、全員を不幸にする方法に他ならないんだ」

「そういうことだね。『呪い』を行うほどの恨みを生んでしまう行動を起こした時点で、詰んでいるっていう話さ」

 頼光が、ある種の軽薄とも言える明るい口調で言う。

 杏璃は頼光の深刻とは真逆の軽い態度に違和感を覚えたが、親光もまた、祝詞以上に客観的な立場にいると考えれば、当然のことだと思えた。

 頼光はムードメーカーであり、交渉役であり、ことを穏便に済ませるマスコット的な役割が強い。それ故に、この解決しなかった一件の直後であるこの場においては、場違いと思えるほどの軽い態度と口調を演出しているのだろう。

 祝詞の歯がゆさや、杏璃の不満を少しでも緩和する為に。

「それで……今の私の、ドライな態度? ってことが話すべきこと?」

「いや、違う。本題はここからだ」

 祝詞は一気に、声のトーンを沈めた。

 視線がいつも以上に鋭くなり、その途端に、この客殿内の空気も数段、重くなる。

「高木紗代には、宗教関係の知り合いはいなかった。彼女のかつての友人にも話を聞いたが、オカルト趣味なども全くない人間だったようだ」

 祝詞が言うと、すぐさま親光が続けた。

「なら、誰にあの『呪い』を教えてもらったのかな」

「そういうことだ。そもそも、あらゆる『おまじない』は、あえて偽物の方法を描くことが殆どだ。わざと『間違えた』方法を広く伝承させて、本来の術式をカモフラージュするものだという。普通に生きている人間が、どれだけ独学で調べても、正しい呪いの方法を知ることはまずない」

 加一のような専門家が知り合いにいるならば、『本物』の術式や方法を知ることもあり得るだろうが、それでも代償が必要な『呪い』は練習することができない為、確実な保証がない。保証がないのに、命を捧げるだろうか。

「効果を確信できるだけの何かがあった。『根拠』が存在したってことね」

 論点を理解した杏璃が、そう口にする。

「呪いの儀式が完了したと思われる時期、ようは、高木紗代が自害した時期だな。それが嶺二の死から、五年空いていることも気になる。五年間、独学で調べてようやくたどり着いた、という可能性もゼロではないが、それは現実的じゃない」

 もう冷めてしまったコーヒーを、ぐいっと飲み干して、祝詞は言った。

「誰か、呪いに詳しい者が、教えたということね。悪魔か何かが」

 カップの中のコーヒーを見つめながら、杏璃がぼんやりと呟く。

「悪魔?」

 頼光が、不思議そうに問いかける。

「あ、ううん。物語で呪いや悪いことを囁くのは、悪魔や良くない存在ってきまっているでしょう?」

「悪魔には出会ったことはないな」

 祝詞は、やや冗談めかしてそう答える。

 悪魔はもちろん、神や仏や天使にもあったことなどない。いるかいないと言われれば、いないとは言い切れないが、幽霊や呪いというものにこれほどまでに携わっている祝詞が、この十六年の人生で一度も出会っていないのだから、恐らくいないのだろうと思っていた。

「だが、呪いを広めるような、質(たち)の悪いやつはいるらしい」

「式守君、あなた、それを突き止めようとしているの?」

「俺は、誰かにマウント取られるのが大嫌いなんだ。幽霊にも、呪いにもな。一方的に、いつだって上から目線で、勝手に害をなす。こっちの都合なんてお構いなしに現れて、面倒くさいったらない。呪いだって同じだ。一方的に代価を払って、優位なところから殴りつけるようなやり方は、イラつくんだ」

 淳が振りまいた『悪意』と『不快』と『苦痛』は、法律で裁けるものではない。

 誰かを殴った訳でも、刃物で切りつけた訳でもない。だが、その心に刻んだ苦痛は、事に至るほどの重大なものであったのは事実だ。

 それがただ見逃され、許される今の社会は間違っているが、その報復の手段として、術者に命を代価として払わせるような呪いなど、教えるべきではない。同じ復讐をするにしても、他に方法があるだろうというのが、祝詞の意見だった。

「祝詞、それは危険すぎるんじゃないか? 」

「危険は承知だ。幽霊とは違って、俺の力が直接効くわけでもないし。加一から聞いた情報を頼りに手探りで対処していかなくちゃいけないしな。だけど、その呪いを教えたヤツのやり口は、人の弱みに付け込んで、どうこうしようってやり方だ。それがどうにも、腹が立ってな」

「式守君。あなた、私に言ったことと矛盾しているわ。あなたの線引きは、どうなってるのよ」

 杏璃が、眉を顰めながら訴えるように言う。

「……俺の線引きは、案外誰よりも曖昧なんだ。俺は未だに、自分の力の真価が分かっていないんだからな。大分検証したつもりだが、それでも、未知の部分が多すぎる。未知の部分があるってことは、可能性もあるってことだ」

「どういうこと?」

「現状、『幽霊を消滅させる』っていう俺の力は、死人が残した思念の成れの果てにしか効果がない。人間が生きている時に起こしたことには、効果がないらしい」

「らしい?」

「俺も、完璧に境界線が把握できてるわけじゃないんだ」

 幽霊を消滅させることと、それに伴う霊障を消滅させられること。

 それは確かだ。

 では、生きている人間が起こす超常的な力はどうか?

 それは祝詞の人生の中で、極端に例が少ない現象で、それ故に十分なデータが取れていない。

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