初戦闘

 それは遠くからカラーに向かって歩いて来た。体躯は小さく、近づいてくるとカラーの膝くらいしか背丈がない。茶色い毛並みはもふもふとしていて抱き心地が良さそうだ。

「テディベア?」

 そう、一体のテディベアがぬいぐるみらしい愛嬌のある歩みでカラーの足元までやって来た。

 そしてそのテディベアは腕を振り上げて、拳をカラーの向こう脛に当てる。

 ぽふん、という効果音がしたような気がしなくもない。

「えぇと?」

 どうやら攻撃らしいが、カラーは全く痛くないので戸惑っている。

 テディベアはずりずりとカラーの左側へ回り込み、肌の露出している方の足に改めてパンチを繰り出した。

「あ、ぽんって感触がしましたー」

[草白さん、のんびり言ってないで。HP減ってる、減ってる]

[1だけだどな]

[え、敵なの? こんなかわいいの敵なの?]

[敵だし、倒さないといけない]

[運営、人の心無いんか?]

 コメントに〔HP〕の減少を指摘されたカラーはきょろきょろと宙を見回した。

 その間にテディベアがカラーのすらりとした太股をぽこぽこと叩いている。五回に一回くらいダメージが発生していた。

「皆さん、なんでわたしの〔HP〕が減ったってわかるんです?」

[ちょw]

[あ、そっか。ゲーム慣れしないから簡易ステ見れてないんか]

[ママ、視界の右上のとこに、名前と状態異常アイコンとHPMPバーがあるでしょ]

「右上? あ、なにか見えますね。あれ? あれ? なんで逃げるんですー?」

 教えて貰った簡易ステータス表示を良く見ようとカラーはひたすら首を右に上げるが、視界の端で位置固定されている簡易ステータスは決して視界の真ん中にやって来ることはない。

 左の足元にテディベアが張り付いているのに懸命に右上を見ようと顔を上げるカラーは傍から見ると物凄く滑稽だ。

[草白さん、それ視界の端っこに固定だから]

[リアルと違うから、焦点合わせようとしなくても意識するだけでちゃんと見えるよ! 動画コメント見るのと一緒!]

[そういやこの人、六人で一緒に初配信した時、一人だけコメント追えてなかったな]

[じょぶじょぶ。あの時も教えてもらったらすぐに慣れてたし。……じょぶじょぶだよね?]

「あ、そういう、コメントと一緒、はいはい、あー、うん、見えましたっ!」

 視聴者からの手助けでカラーはどうにか簡易ステータスを確認することが出来た。簡易ステータス自体はゲーム用のアヴァターに入った直後から表示されていたのに、今まで全く気付いていなかった訳である。

 〔HP〕は青いバー表示の横に『81/90』と小さく数字でも表示されていた。

[ダメージたったの1か。ザコめ]

[デスペナまで遠いな]

[こんなとこでデスペナしてどうする。草白さん、攻撃して、攻撃]

「え、あ、攻撃? 攻撃ですか? この子に?」

 カラーはテディベアを見下ろしてへにょんと眉を下げる。

 けれど意を決して強い眼差しで相手を見て、握った手を近付ける。

「えいっ」

 ぴん、と細い人差し指で繰り出されたデコピンがテディベアを転がした。

[なんでデコピンwww]

[デコピンで転がるとかザコすぎるだろ、クマw]

[はい、自発弱攻撃縛り来ましたー]

[大乱闘の悪夢再び]

 地面に転がったテディベアは、手足をじたばたと振って体を揺らし、最後に勢いを付けて起き上がった。そして当然ながら、再びカラーに向かって歩き出す。

「え、え、なんでまたこっちに来るの? 逃げないの?」

 また近付いて来るテディベアにカラーはわたわたと困惑している。

[テディちゃんの立ち上がりエフェクトきゃわわ]

[倒してないんだからそりゃまた攻撃してくるわw]

[ママ、ゲームの敵って基本逃げないよー]

[デコピンじゃなくて〔魔術〕使って。がんばって]

 コメントの応援が背中を押すのとは裏腹に、カラーはずりずりと摺り足でテディベアが詰めた分の距離だけ後退っていく。

 レベル1でも明らかに圧勝出来る戦力差なのが目に見えているのに、無意味に戦闘時間が長引く。

「も、もう!」

 若干自棄っぱちになってカラーが叫んだ。

〈わるい子はお仕置きですよ!〉

 カラーの悲痛な叫びは無事に〔詠唱〕として認識されて、テディベアは見えない何かに殴られたように吹っ飛んで、空中で光になって散った。

『〔テディベア〕を倒しました。

 【馥郁ふくいくな花】を1個取得しました。

 【滴る月光】を1個取得しました。』

 システムメッセージが敵を確かに倒したんだと告げるのが、肩で息をしているカラーの耳には届いていなさそうだ。

[初戦闘おつー]

[〔詠唱〕わるい子はお仕置きですよ]

[カラーさんっぽいっちゃぽい]

[敵が出るたんびにそれ叫ぶの?w]

 カラー的には切羽詰まった状況でやっとやっと出した〔詠唱〕なので大目に見てほしい。

 カラー本人はまだ息を整えている途中で言葉を返せる様子ではないけれども。

[クマ一撃で倒せたけど、今の魔法強いの?]

[ヒント:テディベアはクソザコ]

[それ、答えって言うんだぜ]

[MPを1/3くらい使ってるな。あと使えるのは2回か]

[ママ、あれ倒すのにそんな疲弊しててだいじょうぶ? ゲーム続けられる?]

「ふぅ、はぁ、えぇ、とっ。んんっ。ちゃんと続けますよー。不意打ちは厄介でしたー」

 カラーは配信画面に向かって弱々しく笑いかけるが頬を伝う冷や汗は隠せていない。

[不意打ち違う]

[正面から堂々とケンカ売って来てましたよ]

[かわいいのが敵ってだけで不意打ちよ!]

[男子ってほんと女の子のことわかってないんだから!]

[↑だがしかし、この米主が本当に女性かはわからない]

[人によっちゃちょっと殴りにくい見た目ではあるよなー]

 テディベアは子どもの大事なお友だちだものな。特にぬいぐるみ好きな女子は攻撃に抵抗があるのも分かる。

[カラーさんとミヅナちゃんの寝室もぬいぐるみだらけだしな]

[ミヅナのために草白さんがいっぱい集めてきて既に飽和しつつあるけど順調に増加中]

[冷たい溜息出しつつも受け取るとぎゅって抱きしめるミヅナの可愛さは天使]

[あー……天使も、まぁ、ネタバレか。やめよ]

[中途半端に言われると逆に不穏なんだががが]

 視聴者の一人がうっかりネタバレらしい発言をしかけるが、カラーは首を傾げるだけで取り上げるのは止めた。自分でネタバレ禁止にしたのに話題にしたらネタバレが出るのを導いてしまう。

 ともかく、天使もこのゲームには重要な存在であるらしい。

「ふみ。気を取り直して、また進んでいきましょう」

[せやな]

[敵が出て来たからきっと出口には向かってる]

[レベル上げも大事ー]

 少し休憩も出来て気持ちも体も落ち着いたカラーは移動を再開する。まだ自分の〔箱庭〕、言わば安全圏も出ていない序盤も序盤だ。

 それなのに随分と進むのに時間がかかるなと思わなくはない。

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