3月12日(日)_変わりたい【くるるのひとりごと7】

 午後の喫茶店はのんびりしてる。

 お昼過ぎに来たお客さんが夕方まで長居するケースが多いんだと思う。

 私たちもわりとヒマになりがち。だからカイトくんは休憩をもらってバックヤードで休んでるところ。

 いつもはホールにいる私も、やることがないのでキッチンカウンターの中で美奈さんと待機してるのだ。


「うー……む」


 アレについて悩んでいる。

 つまり、カイトくんが私の素の状態を最高って言ったことについて、直接聞いちゃうかどうかってこと。

 昨日の夜から『素』ってのが分からなくなっちゃって、今日なんか結局すっぴんで髪の毛も結んだだけっていう。これが素なのか!? そうなのか!?

 すっぴんって漢字だと素嬪って書くって理央ちゃんが言ってた。素の顔って意味らしい。


 素、といえば。

 すうどんって食べ物がある。素のうどんだ。

 なんの具材も入ってないうどんで、おつゆと麺だけのやつ。美味しいよね。

 つまり……私の素は、うどんと同じで、美味しいってこと?

 どういうこと?


「はぁ……」

「くるるちゃんってば~、幸せとお客さんが逃げちゃうよ~」

「あっ、ごめんなさい美奈さん」


 うう、無意識にため息ついちゃってた。バイトだからちゃんとしなきゃなのに。


「明石くんとなんかあった?」

「う……はい……」


 ぴっかぴかに図星だ。やっぱり私って分かりやすいのかも。


「……実は、私ってうどんだと思われてるかもしれなくて」

「え~、どういうことなの~」


 前言撤回だ。分かりにくいのかもしれない!

 私は、いちから説明した。

 素で最高って褒められたこと。素の状態が褒められるということはうどんだということ。

 説明してて自分でも何を言ってるのか分からなくなってきたよ。カイトくんと話していると忘れそうになるけど、そういえば私は自分が思っていることを伝えるのはニガテだったんだ。

 身振り手振りを交えて、どうにかこうにかやっとこさ。

 ようやく言いたいことを美奈さんに伝えられた。


「ん~、つまり、明石くんに自分のことをどう思っているのか聞こうと思ってるのに聞けないってこと?」


 美奈さんは声をひそめる。

 カウンターにお客さんはいるけど、いっつもヘッドホンをしてメタルっていう音楽を聴いているおじいちゃん一人だけ。

 それでもお客さんはお客さんだ。

 私も声をひそめる。


「そーです。私、昨日はけっきょくなんにもできなくって」

「なるほどねえ。そっかそっか、それじゃあ」


 美奈さんは言いながら、棚からミキサーを取り出した。


「ミルクセーキ作ろっか」

「ど、どうしてですか?」

「だって、悩みごとがあるときは手を動かした方がいいじゃない~」


 一理ある。

 


「それに~、さっき明石くんから聞いたんだよ~。上手く教えられなかったかもしれないって」

「え! そんなあ、ぜったい私が料理ヘタなだけですよ!」

「ふふ、じゃあどのみち、わたしからも教えなくちゃだね」


 そうして、ミルクセーキを作りながらのお話しが始まった。


「くるるちゃんって積極的かと思ったけど~、意外と奥手なんだねえ」

「積極的、なんでしょうか」

「え~。だって、このバイトもくるるちゃんが誘ったんでしょ~?」

「むー……確かにそう、かもです。募集の張り紙を見つけたので、それで」

「じゅうぶん積極的じゃない? 私なんてお父さんに頼まれて始めたもん、このバイト」

「えっ、そうなんですか?」

「店長とお父さんが古い知り合いらしくてね~。だから積極性とかないよ~」


 美奈さんが手際よく卵を割り、器具を使って黄身と白身を分離する。これなら私にもできる。文明の利器、すごい。


「明石くんにこれまで、自分の気持ちを聞いたことはないの?」

「これまで……」


 言われて思い出す。

 バイト初日の仕事風景を収めた写真について、カイトくんとLINEで話したときのことだ。

 私がつい、彼をかっこいいと言ったことについて、彼がどう思っているのか知りたくて詰め寄ったことがあった。

 友だちの先へ進みたくて、理央ちゃんに背中を押されて、彼の気持ちを確かめるために。


 要するに自分の好意に気付いているのかどうかが知りたくて聞いたのだ。


「……聞いたことありました」

「おお~? そしたら、どうして昨日は聞けなくなっちゃたんだろうねえ」


 美奈さんの柔らかい言い方は、焦らずにゆっくり考えさせてくれるみたいですごく助かる。

 食材をミキサーに入れながら私は考える。

 自分のことをどう思っているのかを聞こうと思ったのに聞けないのはどうしてか。

 カイトくんと付き合いたいって思ったのに、どうして前みたいにできないんだろう。

 どうしよう、ぜんぜん分からない。


「あの……美奈さんって、こういう経験ありますか? やりたいな~って思ったのに、逆にできなくなっちゃったことって」

「ん~、そうだね~」


 美奈さんは人差し指を立てる。


「就活のときかな」

「なる、ほど?」


 私からすればまだピンと来ない。先の話だ。


「そ~。就活って、企業の人との面接が何回もあるんだけどさ~。とある会社の面接を受けたときの話だけどね、わたし、一次面接も二次も、緊張しないで受けられたんだよねえ」

「美奈さんっぽいです。カッコいいなあ」

「ありがと~。でもわたし、最終面接では言葉が出なかったんだ」

「えっ」


 ミキサーのスイッチを、美奈さんが押す。

 モーターが回る音。氷の砕ける音。

 美奈さんはミキサーのフタを押さえながら言う。


「文字通り言葉が出なかったの~。自分でもびっくりしちゃったよお~。たぶん、緊張しちゃったんだよねえ。受かるか落ちるかってことを考えてたらさ」

「受かるか、落ちるか」


 運命の分かれ道。

 当時の美奈さんはそう思ったのかもしれないな。就活は一大イベントだってきいたことくらいはある。

 自分のすることが、自分の未来を決定づけてしまうのだとしたら。


 ……あ。


 私も同じだ。

 友だちの先に進みたい。彼と付き合いたい。彼に好かれたい。

 そう思えば思うほど、嫌われたくないという思いが、見えないうちに育っていたんだ。

 万が一嫌われたらって思うと、怖くて動けなくなってる。


「私、立ち止まってるのかもしれないです。変わりたいって思ったのに」


 美奈さんがミキサーのスイッチをオフにした。刃の回転が止み、けたたましい音も無くなった。

 私はグラスを二つ、取り出す。美奈さんがミルクセーキを注いでいく。


「そうね~、時には立ち止まることも必要じゃないかあ~。立ち止まって、考えてみる、そんな時間もね~。それで、いまはどう思ってる?」


 美奈さんがグラスを差し出してくる。

 私は、ふわふわのミルクセーキを見つめて、ちびっと舐めるように飲む。

 甘いなあ。


「やっぱり変わりたいです。だからこんなところで立ち止まっていられない……怖いけど、写真が欲しいって言います。私のことをどう思っているのかも聞きます」


 おお~と、美奈さんが音の無い拍手をしてくれる。ちょっと照れくさい。


「じゃあ、バイト終わりに勝負かな?」


 むむむ。

 バイト終わりだと疲れてるしなあ。

 私もへとへとだし、カイトくんもそうかもしれない。

 それよりは、ちゃんと時間が取れるタイミングがいいなって思う。幸い、それは遠くないうちに訪れる。


「明日、卒業式のリハーサルなんです。だから午前で学校終わりなので」

「おお~、時間はたっぷりだね~」

「逃げられない場所とかに誘っちゃいます!」


 私の言い方がツボったのか、美奈さんが口元を押さえて笑う。


「ふふ、頑張るくるるちゃんには、わたしの面接の後話をしておこうかな~」

「あとばなし?」

「そ~。面接官の人に緊張しなくていいよって言ってもらって、いつも通りに話せたの~。でね、春からその会社で働くことになったんだ~」

「そうなんですか! おめでとうございます~!」

「ま、恋愛と就活がまったく一緒ってわけじゃないけどさ。ヘンに緊張しないで向き合った方がうまくいくのかもね~」


 美奈さんの柔らかい声が私の頭にじんわりと響く。


「やります、私。変わります」


 私は手のなかのグラスを傾けて、ミルクセーキをぐいっと飲み干した。

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