2月20日(月)_彼の気持ちを確かめる

 朝。始業間際の教室は生徒たちの談笑で満ちていた。

 解人が席を立ち、ホームルーム前にトイレでも、と教室の引き戸をスライドさせる。

 胸に手を当てて、荒い呼吸を整えているくるるがいた。少しばかり乱れた髪の毛からして、急いで走ってきたことは解人にも分かる。


「お、おはよぉ~……ぅ」

「…………おはよう、桜間さん」


 ぎこちない挨拶を交わす二人。土曜日に写真を送りあったあと、なんとなく気恥ずかしいままメッセージのやり取りは終わっていた。それ以来、言葉を交わすのは今日が初めてだ。

 くるるはいそいそと髪の毛に手櫛を通す。柔らかなクセっ毛が指の隙間からぴょこぴょこ飛び出る。

 解人が思わず笑ってしまうと、くるるは唇を尖らせた。


「……なんで笑うの」

「いやごめん、髪の毛が跳ねてて可愛……おもしろかったから」

「ね、寝ぐせじゃないからね」


 照れを隠すようにさらに、くしくし、と手を動かすくるる。

 二人の間に探るような沈黙の時間が流れる。

 あ、とか。う、とか。初めの一語の応酬が繰り広げられ。


「あたしトイレ行きたいなー。通してほしーんですケドー?」


 第三者の声に、くるると解人がビクッと背筋を伸ばした。ふたりが振り向くと声の主はニヤニヤと笑っていて。


「二人ともさー、アツいのはいいけど時と場所は選んでよねー?」

「理央ちゃん! もう! 違うから!」

「高馬さん、ちょっと待ってよ。俺は無罪だ」

「はいはい、とりあえずどいたどいたー」


 ぎゃいぎゃいと反論を述べる二人を、理央は委員長らしく仲裁して引き剥がした。


「もうすぐ授業なんだから、くるるちゃんはカバン置いて着席、あたしはパパッとトイレ行く。明石は?」

「……俺もトイレ」

「ハイじゃあ行った行った! 解散かいさーん」


 理央が手を叩くと、くるると解人はそれぞれ赤らめた顔を背けて散っていった。


 それからも二人のぎこちないやり取りは続いた。

 顔を合わせるたびに目を逸らし、口を開くたびに話し始めの言葉が被る。

 英語の小テストの時だった。後ろの席にプリントを回した解人の手がくるるに触れると、くるるは「っひゃあ!」と声を上げた。突然のことに振り向いたクラスメイト達も、なんだいつものかと納得していた。たった一人を除いて。

 

 昼休み。

 ざわめく教室で理央は声を潜めてくるるに顔を近づける。


「もしかして、キスとかした?」

「キ!? ないないないない!!! 全然ない!」

「マジで? なんかめっちゃあったって態度じゃんかー。くるるちゃんも攻め気宣言したあとだしさー」

「なんか……あったわけじゃ、ないけど、なくもないというか」

「えっ! なになにちょっと、えー? 期待ブチ上がりじゃん!!」


 くるるは休みの日のことを話した。 

 喫茶店でバイトの研修したこと。互いを写真に収めたこと。その写真を見て、思わずカッコいいと言ってしまったこと。解人がどう思っているのかが分からないこと。

 理央は天を仰いで気の抜けた声を出す。


「知ってたわー。二人はそーゆー感じだって」

「え? え? どゆこと」

「なんでもなーい。ま、そだよね。明石って感情が顔に出ないってゆーか、解かりにくいってゆーか」

「だよねだよね? 私もどう思われてるのか分からなくってさ。チョコレートをくれたときは、友だちだって思ってくれてるのはちゃんと分かったんだけどさー」

「あー……くるるちゃん、直接聞いてみた?」


 理央が苦々しい顔になる。


「えっ、聞いてない、けど。ダメかな?」

「いやいや正解だわー。分かんないけどさー明石ってどう思ってるのか伝えるの苦手そうじゃん? あんまり問い詰めてプレッシャーかけるのも悪いっていうかさー」


 くるるはバレンタインの日、ゲームセンターでのことを思い出す。

 解人は自分が思っていることを話すのは慣れていなくて、気が紛れる場所が良かったということを言っていた。

 

「たしかに、たしかに」

「話すのが苦じゃない……っていうか、自分が思ってることすーぐ口に出すタイプもいるワケよ」

「私もそう、かも」

「くるるちゃんはまだカワイイ方だよ。あたしの彼氏の話になっちゃうけどさ、マジで思ったことすぐに口に出すんだよね。だからめっちゃ分かりやすいの。でもね、そのぶん喧嘩も多いわけ」

「えっ、理央ちゃん喧嘩するの!?」

「するよー全然。てか、するようになった、って感じ。向こうが思ったことそのまま言ってくるからカチンと来てさー、フツーに言い返すようになったよね。まあ、だいたい向こうが謝って解決するんだけどさ」

「すごい、仲良しカップルだ……!」

「ごめん話逸れた」


 理央が照れくさそうに手をバタバタさせる。


「つまりさー、思ってること言うタイプだったらもっと言ってるだろうから、たぶん明石って言わないタイプじゃん? そーゆー相手なら、問い詰めすぎるのもあんま良くないんじゃないかなーって思うワケよ」

「すごい理央ちゃん、恋愛マスターだ」

「恥ずいからやめようねくるるちゃん。……ま、でも一番は明石に尋ねてみることじゃないかな。聞いてもいいか、聞かない方がいいか」

「そっか。理央ちゃんたちも最初から思ったこと言い合えてたわけじゃないもんね」


 経験者の話を聞いて、納得したくるるだった。


 放課後。昇降口は下校する生徒たちで溢れている。

 その中にはくるると解人の姿もあった。

 理央のアドバイスを引っ提げたくるるは、真剣な表情で解人に問いかける。


「カイトくんさ、今なに考えてる?」

「えっ」


 下駄箱からスニーカーを取り出していた解人が固まる。


「じゃなくて、えっと、いま何考えてるか聞いてもいい?」

「え……何を訊かれてるんだろうって思ってる……」

「えっとえっと、そうじゃなくってさ、私ってカイトくんと違って、相手がなにを考えてるのか想像するのが苦手でさ。だから、カイトくんがどう思ってるのか知りたいなーって思ったんだけどさ」

「なる、ほど」

「聞かれたらイヤって思う人もいるんじゃないかって、理央ちゃんに教えてもらってね。だから、聞いてもいいかなって思って」


 ああ、と呟いて、解人はスニーカーを履きながら答える。


「俺は……自分のことを話すのがあんまり得意じゃないから、むしろ聞いてくれた方が助かるかな」

「そうなの? じゃあ聞いてもいい?」

「うん。なんでもどうぞ」

「そっかあ!」


 くるるはようやく顔をほころばせ、解人の横に並んだ。


「ほら、昨日さあ。あったじゃん、色々。その、写真のこととかさ」

「ありましたね」

「……なんで敬語なの?」

「なんでもないッス」

「そう? それでさ、ほら、私がその、言ったじゃん。カッコいいって。だからー……その……それってどう思ってるのかなーって、聞いてみたくって……ね?」


 まごつきながらも言いたいことを言い切ったくるるに対し、隣りの解人はというと。


「の……」

「の?」

「ノーコメントで……」

「えっ、なんでなんで! なんでもどうぞって言ったじゃん!」

「別の質問なら答えるからさ。どうか見逃してほしい」

「えーー、ずるいずるい! なんでなんで」

「たのむ。ゆるして。あいす。おごるから」


 くるるが覗きこむように詰め寄る。解人は、頬の赤らみを悟られまいと必死に顔を背けた。

 

 昇降口に居合わせた同級生たちは、二人のやり取りを生温かい目で見守るのだった。

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