2月14日(火)_私のヒーロー、俺の太陽

 今日が何の日か知らない解人ではない。腐っても男子高校生だ。

 しかし自分の身に降りかかろうとは思いもしなかった、というのが正直なところであった。

 朝、登校してすぐ。

 教室に生徒の姿は少なく、静かだった。

 解人の目の前でひとりの女子生徒──桜間くるるがはにかんでいる。


「はい、チョコだよ」


 くるるは照れくさそうにしながらも、随分あっさりとした手つきで解人へと包みを渡す。


「先生に見つかっちゃダメだからね」


 いたずらっぽく唇に手を当てたくるるは、さっさと自分の席について教科書やらノートやらを机にしまっていく。

 解人はといえば、間抜けにも口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。

 明石解人、男、高校一年生。

 人生で初めて、家族以外の女性にバレンタインのチョコをもらった瞬間だった。


「えっ」


 解人は呆けた声をあげる。

 すると、くるるは顔を上げ、困ったように微笑んだ。


「そんなに驚かれるとは思ってなかったな。……イヤだった?」


 間髪入れずに千切れんばかりに首を横に振る解人。かろうじて彼女の言葉に反応できたが、頭の中はお祭り騒ぎで大混乱だった。

 どうしていつもよりも大人びているんだ。

 どうしてチョコをくれたんだ。

 言っていることが解らないのはデフォルトだったが、今日に限れば、『解らない』内容が違っていた。


「ありが……とう…………」


 呆然とした顔で席に着く解人。


 そして授業が過ぎ。


「おーい、明石解人ー。先生のありがてぇありがてぇ授業中だぞー。ぼーっとすんなー」


 そして昼休みが過ぎ。


「おーい、明石ー。生きてるかー。あたしが話聞こうかー」

「理央ちゃんそんなに揺すったら首とれちゃうよ……!」


 帰りのSHRになってようやく、解人は我に返った。


「あのときのゴーヤ!?」


 ぬぼーっと話していた担任が呆れた目で解人を見る。


「あのなー明石。めんそーれしてるとこスマンが先生のありがてぇ学級連絡の途中なんだぞー。独りで沖縄に行かないでくれるかー」


 クラスメイトがくすくすと笑う。解人は居た堪れなくなった気持ちを隠すように机に顔を伏せた。

 帰りの挨拶が済むと、生徒たちは思い思いに散っていく。

 解人も爆発四散したくなったが、今はまだ散るわけにはいかなかった。

 どうしても確かめたいことがあったからだ。


「桜間さん、あの、今朝のって────」


 解人は言葉を止める。

 ふと、周りの生徒の気配が気になったのだ。多くのクラスメイトに見られている気がするのは、さきほどのやらかしのせいだろうかと解人は思う。これだけ注目されるなかで、くるるが自分にチョコを渡したということを声高に喧伝するべきではない、と彼は判断して気を遣った。


「桜間さん、このあと時間ある?」

「はひ……!」

 

 その言い方が新たに誤解を生むことにまでは気づけない解人だった。



 ◆ ◇ ◆



 駅の近くには小さくとも人気なゲームセンターがある。学生の街で商えばハズレの無い店の一つだろう。

 教室を揃って出た二人の姿もここにあった。ジャカジャカピポパポと騒がしい店内の一角。


「えっと、カイトくんはその、ゲームしたかったの?」

「いや、ここならちょうどいい感じでうるさいから」

「……うるさいのが好きなの?」

「いまはそっちの方がありがたい、かも。気が紛れる方が嬉しいっていうか」

「よ、よくわかんないけどわかった」

「助かるよ。慣れないんだこういうのは」


 解人は胸のあたりを撫でながら小さく息を吐く。緊張しているのだ、とくるるにも伝わる。伝播したドキドキはくるるの心臓も跳ねさせた。

 二人は得体のしれない期待と不安を携えたまま店内をぐるぐると巡った果てに、解人の提案によりレーシングゲームの運転席に腰を落ち着けた。

 湿る手のひらでハンドルを握る解人の視線は、隣りのくるるではなく画面に注がれている。見ていないのではなく、見ないようにしている、という態度だった。決してくるるのことが嫌いになったわけではない。見てしまったが最後、不整脈が襲い、頬の紅潮を抑えられないからであり、異性との交際経験のない解人には止むを得ない選択だった。

 それでも解人は、自分から話を振るくらいの気配りを見せる。


「桜間さんはこういうゲームやったことある?」

「あんまりない、かなあ。カイトくんは運転したかった、の?」

「いや、座りたかったかな」

「そ、そうだよねー! ちょっと一息つきたかったよね!」


 シートの背もたれに内蔵されたスピーカーからカウントダウンを告げる音がする。

 解人はそれでようやくゲーム画面に意識を向けることができた。

 画面には十台のレーシングカーたち。そして、カウントダウンの数字が0に切り替わり。


「桜間さん、土曜日にLINEしてくれたじゃん」

「ええっ、いま話すの!? わわっ、ぶつかっ……っ……っぶなぁ!」

「この方が話しやすいことも、あるんだよね」

「えっ、なんだって!? ごめんきいてなかっ、うわわわわ吹き飛ばされたぁ!」


 レースが始まった。

 大慌てのくるるとは対照的に、緊張をにじませながらも努めて平静な声音で話す解人。


「あのときゴーヤが好きかどうかを訊いてきたのは、俺が苦いものが好きか──いや、ビターチョコが好きかどうかを確かめたかったってこと?」


 くるるの操作する車がクラッシュした。ひっくり返った車体が起こされて再スタートを切る。


「好きな色のラインナップが変だったのも、チョコレートの色だったんだね。ホワイトチョコ、ブラックチョコ、それとピンク色のルビーチョコレートと」


 くるるの車が再びのクラッシュ。先ほどと同じ光景が繰り返された。

 

「桜間さんはどうしてチョコをくれたの?」


 くるるの車がついに逆走を始めた。

 エンジンを唸らせ、蛇行する河川のごとくうねりながら爆走する四輪のスポーツカー。刻まれていく軌跡は、くるるの内心を反映していた。画面には警告の表示。それでも車は走り続ける。自分がどこを走っているのか気付いているのかいないのか。

 そして、対向車にぶつかった。三度目のクラッシュ。

 

「え~っとぉ、えっとえっと」


 くるるはしどろもどろになって言葉を探す。自分の思いを言葉にする手掛かりは何かないかと目をぐるぐるさせていると、ゲーム画面の一点で止まった。おや? と思ったくるるはよくよく見つめる。

 無惨な衝突事故を起こした自分の車ではなく、相手の車を。

 解人の車だった。

 そして事故場所はスタート地点。つまり。


 解人のスポーツカーはレース開始から一メートルも進んでいなかった。


「……へ?」


 くるるはふきだしてしまう。先ほどまで混乱していた彼女の心が、温かいもので上書きされていった。


「もうカイトくんってば。どうしたの?」

「う、だって、その……慣れてないんだよ、こういう状況はさ」

「そ、それは私もだよ!」

「じゃ、じゃあお互い様だね?」

「そ、そうだね?」

「えー…………と、とりあえず、どこうか」

「そう、だね」


 二度と車には乗るまいという誓いと共に運転席を離れたふたりは、UFOキャッチャーのあるコーナーへと歩いていった。



 ◆ ◇ ◆


 騒々しい店内をくるると解人はゆっくり歩いていく。


「あれはさー、友チョコってやつだよ」


 なんでもないことのようにくるるは言った。

 UFOキャッチャーの筐体に囚われたぬいぐるみやお菓子や、ゲーム機やらに目を奪われながら、言っていた。

 解人は視線の合わない彼女の言葉にひとりで頷く。


「友チョコ…………たしかバレンタインには友だちにもチョコをあげる習慣があると聞いたことがあるな、そうか。そういうやつか」

「聞いたことあった? じゃあよかった」

「じゃあ俺は、桜間さんの友だちなのか」


 くるるは足を止めると、わざとらしいくらいに頬を膨らませてみせた。


「私たち友だちじゃなかったの? ちょっと傷つくかもだなー、それは」

「う、いや、その、これにはその、事情がありまして」

「ほおーん。聞こうじゃあないの」

「……UFOキャッチャーやりながらでいいっすか、桜間センパイ」

「なにゆえだね」


 芝居がかった口調で意図を問うくるる。解人は唇を尖らせて言いづらそうに言う。


「さっきのもそうだけどさ、なにかしてながらの方が、その、緊張しないで話せるんだ。情けない話だけどさ」

「えー、かわいいなあ。許そう、カイトくん」


 やたらとニコニコしているくるるの反応に不服な解人だったが、自分のしようとしていることから考えればこのくらいの辱めは受け入れようと呑みこんだ。

 なにせ、『ゲームに興じながら話すから聴け』というまあまあ失礼な宣言をしたのだから。

 解人はお眼鏡にかなう筐体を見つけると、小銭を投入してゲームを始めた。

 アームが動き、チョコクランチの群れめがけて降下していく。引っ掛かりもせずにアームは帰ってきた。残りの挑戦回数は6から5に減る。


「……俺さ、入学初日にやらかしちゃった、って思ったんだよね」

「初日…………自己紹介のとき?」

「はは、やっぱり憶えてたか」


 くるるが自己紹介と同時に『空がジャムになったら』などと言い出したときのことだ。周りはポカンとしていて、解人だけが辛うじて『もしかして……』と口を挟めたあの日。

 二人は懐かしそうな目をする。


「憶えてるよ。当たり前じゃん。カイトくんが初めて助けてくれた時のことだもん。忘れるわけがないよ。だって、私はあの日から──」

「あの日から?」

「なんでもない! ほら、ぜんぜん落とせてないよ!」


 くるるの言うように、解人の操るアームは少しずつお菓子を動かしてはいるが、落とすまでには至っていない。残りの挑戦回数は5、4、3……と減る一方だった。


「う、えっと、何の話だっけ」

「初日の話でしょ? あのときのなにが『やらかしちゃった』なの?」

「ああ……桜間さんはさ、助けてくれたって言ってくれたじゃん。でも俺にはそんな立派な志があったわけじゃなかったんだよね」

「りっぱな?」

「俺がいっつも桜間さんにしてることって、勝手に気持ちを推し量って、勝手に考えてることを想像して、思ったことを言ってるだけの身勝手な行為なんだよ」

「そう、かなあ?」

「少なくとも、俺にとってはそうなんだ。あのときもついつい言っちゃっただけだし、言ってから後悔だってしたんだよ。だから、助けてくれたなんていってもらえるようなカッコいい人間じゃないんだよ、俺は」


 UFOキャッチャーのアームが力なく止まる。残機はゼロだった。解人は筐体のなかのお菓子をぼんやり見つめる。

 まあこんなもんか、と解人は諦めて立ち去ろうとする。


「あとでコンビニでも寄って────」


 チャリン、と音がした。

 解人の言葉を遮るようにUFOキャッチャーが息を吹き返す。コインが投じられたのだ。くるるの手によって。


「私はべつにどうでもいいもん」

「どうでもいいって……」

「ひどい女だよね、私。解人くんがあの時どんな気持ちだったかなんて、どうでもいいんだもん。私がカイトくんに助けてもらったってことの方が大事で、なんで助けてくれたかなんて、私には関係ないって思ってる」

「桜間さん……」

「だって、あの時のカイトくんが『やらかしちゃった』から、私はクラスのみんなに受け入れてもらえた。だから、カイトくんは──」


 カチッと。くるるの手のひらがアームを下ろすボタンを押して。


「──あの時から、私のヒーローなんだよ?」


 ふわりと笑うくるる。解人には眩しい太陽に見えた。


 足元から鈍い音。

 二人の視線がつられる。見れば景品が落ちていた。


「取れた~~~~~っ!」


 自分が仕留めた獲物を嬉しそうに取り出し、くるるは見せびらかす。解人では取れなかったそのチョコクランチを。


「すごいな、桜間さんは」

「えー? カイトくんが頑張ってくれたからだよ。だからこれは二人の勝利なのだ」


 くるるは解人にお菓子を渡す。


「もー、私のチョコだけじゃ足りなかったの? カイトくんって甘党だったっけ?」

「いや、これは、その──」


 解人は言いにくそうに、くるるから受け取ったチョコクランチをくるるに渡し返す。


「──俺からの、その、友チョコだよ」

「えっ」

「友チョコってあれだろ? 友だちから友だちへ渡すものだろ? だからさ」

「~~~~~…………!」

「ま、まあ取ったのは俺じゃないけど」

「ありがと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「声でっか」

「へへ、半分こにしよ」


 くるるはその場で包みを開けて、真ん中までかぶりつき、ボキンと折った。そして口にしていない片割れを解人へと差し出す。


「…………じゃあ、いただきます」


 にぎやかなゲームセンターのなかで、二人は目を合わせて笑い合った。

 甘い、甘いチョコだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る