第88話 不穏な気配
とうとう死者でも出たのか。
ワクワクとしながら話を聞いた彼らは、自分達の耳を疑った。
「病気が治り始めただって!? 一体どうなっているんだ!?」
報告をしに来た者は、怒鳴り声に怯えながらも話を続けた。
「ど、どうやら、神殿で治療を行っているようで……」
「ありえない!! 治療薬はこちらにしかないだぞ!! デタラメ言うな!!」
皇弟派貴族代表である男は、抑えきれない怒りをテーブルと、くだらない報告をしにきた者に向けた。罵詈雑言を浴びせるだけでなく、手近にあった花瓶を掴み投げようとした。
そんな彼を、別の者が止める。
「まあ、落ち着いてください」
「……しかしっ」
止めたのは、前神殿最高責任者だった。穏やかに微笑む姿に、毒気を抜かれたように怒りが小さくなる。
「向こうも小賢しい手を使いますね。治したと嘘の話を流して、人々の心を取り戻そうと必死なのでしょう。しかし、嘘はいつまでも持ちません。私達は、ただ待っているだけでいいでしょう」
「……そういうことですか。はっはっは。我々の勝利は目前というわけですね」
「ええ。向こうが偽の治療を続ければ続けるほど、本物の効果が発揮されます。無駄なあがきをさせて、力を失っていくのを楽しみましょう」
怒りをすっかり消した男は、満足そうに頷く。
皇弟が突然姿を消した時も、結局は何とかなった。傀儡として使えなくなったのは残念だが、力をつけてしまえば必要も無くなるだろう。
俺達は、俺は運がいい。皇帝を失脚させた暁には、俺が表から国を動かしてもいいかもしれない。そうだ、それがいい。今までコソコソと裏から手を回していたが、かなり面倒だった。
権力を振りかざす未来を想像しながら、男は耐えきれず笑った。
その手は自然と首元に伸び、無意識のうちにかいていたが、それに気がつくことは無かった。
「……いつ頃、気づくか」
長時間同じ体勢でいたため、凝り固まった体をほぐしながら、俺はふと呟いた。
「案外、最後まで気づかないかもな」
「さすがにそれは無いだろ」
「自分達は絶対に安全だと考えているから、都合のいいものしか見えない。おかしいと思いはしても、気のせいだと見て見ぬふりをする。さすがにそれも出来なくなった時は……すでに手遅れだ」
神威嶽はあまり興味が無さそうに、大きくあくびをした。
「それよりも、体の方は平気か? 今日はずっと働いてばかりで、休む暇が無かったよな」
「平気だ。苦しんでいる人を、早く助けたい。疲れなんて、感じている暇ないんだ」
本当なら眠る時間を削りたいぐらいだったが、周囲に大反対されたので仕方なく休んでいる。でもこうしている間にも、まだ苦しんでいる人がいると考えたら、気になって眠るどころではなかった。
抜け出して仕事に戻ろうとする、俺の考えはあらかじめ読まれていたらしい。監視をするように、交代で人が滞在していた。今は神威嶽の番である。
早く寝ろと視線で訴えられているが、目が冴えてしまって眠れる気配がない。目を閉じて、寝たフリでもしてごまかそうか。
でもそんな考えは見透かしたかのように、神威嶽が睨めつけてきた。
「眠れないなら、俺が寝かしつけてやろうか?」
寝かしつける方法が俺にとっては良くないものに感じて、毛布を口元まで引き上げる。残念と口角を上げる姿に、間違っていなかったのだと悟る。
「今はゆっくりと寝ろ。体調が万全でなければ、助けられる人も助けられなくなる。聖が倒れたりしたら、みんなが辛い気持ちになるから、ちゃんと休んでくれ」
目だけを覗かせれば、愛おしいものを見るように神威嶽が頭を優しく撫でてきた。欲など感じさせない触れ方に、リラックスして段々と眠気が誘われた。
「怖がらなくても大丈夫だ」
意識が途切れる瞬間、額に柔らかい感触があった。そのおかげか、起こされるまで一度も目を覚ますことなく眠り続けた。
神威嶽の言う通り、休んだおかげで絶好調だ。俺は手を握ったり閉じたりして、それを確認する。
「ゆっくり休めましたか?」
「ああ、おかげでな。俺ばかりじゃなくて、みんなもちゃんと休んでいるだろうな」
「休息はきちんととっておりますよ。一番気をつけなければいけないのは、聖さんだけです」
「は、はは。気をつけるよ」
きちんと休めと釘をさされたので、とりあえず笑っておいた。そうすれば、目だけは笑ってない顔を向けられた。
「よし。次の人を呼んでくれ」
このまま話を続ければ説教に移行しそうだ。絶対に長くなるから、俺は無理やり中断させるために、次の患者を呼んだ。
「お願いします! 私の子供をっ、子供を助けてくださいっ!!」
腕にぐったりとした子供を抱え、勢いよく入ってきた男性は、今にも泣きそうだった。十歳にも満たないだろう子供は、顔を真っ赤にさせて全身に湿疹が広がっていた。すでに症状が進行している。
苦しそうな姿。すぐにでも駆け寄りたいが、俺が焦ったら駄目だ。
パニックになっている男性を落ち着かせるために、優しい声を意識して出した。
「大丈夫です。必ず治しますよ」
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