第34話 市場へ
「ちゃんと剣持の傍から離れないように気をつけるから、いつも通りにしていれば大丈夫。ずっと鍛錬をかかさず頑張ってきたんだろう?」
「はい。聖様のことは、全力を持ってお守り致します」
「気楽にな」
喝を入れるように、少し力を込めて背中を叩けば、気合いが入ったらしく背筋が伸びた。
まだ緊張は残っているが、このぐらいなら大丈夫なはずだ。
「光様、本日はよろしくお願い致します」
「はい、よろしくお願い致します。えーっと」
今日の護衛は剣持だけでは無い。さすがに一人だけは許可されなかった。
そういうわけで、他にも護衛がいる。俺に挨拶してきたのは、その中でリーダーらしき人だった。
どう名前を呼ぶべきかと、困っていれば恭しく頭を下げてくる。
「私のことは、
きっと本名ではない。
でも教えないのは、きっと専属騎士の誓いになってしまうからだろう。一なんて、雑な名前である。でもそう呼べと言ってきたのだから、特に反対することはない。
「それなら、一と呼ばせて頂きます。本日はよろしくお願い致します。急なことなのに、引き受けていただけて、とても嬉しいです」
「こちらこそ護衛できて光栄です」
義務的な返事だった。剣持みたいに、俺を盲目的に信仰しているタイプでは無い。
でもそういう人もいる。仕事をしてくれれば、別に信仰される必要は無かった。
「市場はまだ開いていないですよね。どのようにして行く予定ですか?」
光だとバレないために、庶民のふりをするつもりである。だから服装も、質素なものを身にまとっていた。
神殿の馬車は使えない。そうなると、どの手段で行くのかが分からなかった。
「申し訳ありませんが、馬車は使用できません。そのため、徒歩で向かう予定です」
「徒歩、ですか。市場は近いのですか?」
「はい。歩いて40分ほどです」
それは、近いと言えるのだろうか。結構歩く気がするけど。基準がおかしいのかもしれない。馬車が使えないとしても、もっと別の移動手段があると勝手に決めつけていたのが悪い。歩くしかないなら、そうする他に選択肢は無い。
「それなら、歩きやすい靴で行かなければいけませんね」
今履いているのは、神殿でいつも使っているサンダルタイプのものだった。確かどこかに、ブーツタイプもあったはずだ。
履き替えに行こうと思ったが、一が手で制する。
「そこまで大変な道ではありませんので、履き替える必要は無いでしょう。それよりも時間が足りなくなりますから、早く出発しましょう」
「分かりました」
俺も待ちきれないから、すぐに出発するのは賛成だ。強引な感じもするが、モタモタしていていい品物を逃したくはない。
すぐに受け入れれば、一は何故か微妙な顔をする。
「どうしましたか?」
「……いえ。それでは行きましょう」
徒歩だと分かっていれば、もう少し別の準備をしたのだけど。まあ、仕方がない。
俺は神殿の建物をちらりと眺めながら、小さく息を吐いた。
きっと上手くいくはず。
そこまで大変な道では無いというのは、山道を絶対に含んでいない。俺は傾斜のある道を歩きながら、内心で抗議していた。
最初は平坦な道だったが、段々と坂道になっていった。いくら傾斜が緩やかだといっても、坂道は辛い。ほとんど引きこもりに近い生活をしていたから余計にだ。
自分の体力の無さにうんざりしながら、今どのぐらいの地点に来たのかと考える。俺の感覚からすると、もう30分ぐらいは経ったと思っているが、まだ市場らしきものは見えない。
こんなことなら、体力をつけるべきだった。
息を切らしながら、俺は前を歩く一に話しかける。
「い、今、どのぐらいまでっ、来ましたか?」
弱音を吐いていると馬鹿にされたくなかったけど、残りどれぐらいかを知っておけば、少しは慰めになるかもしれない。
俺をちらりと見た一は、すぐに視線を戻す。
「半分ほどです」
こんなに歩いて、まだ半分。途中まで、馬車に乗っても良かったのではないか。誰もいないところで降りれば、騒がれることもないだろう。
今さらながらに思ったが、もう遅い。
残り半分。その道のりが遠かった。
「聖様、大丈夫ですか?」
疲弊している俺を心配して、剣持が声をかけてくれる。本人は鍛錬のおかげか、息一つ乱していない。
比較してしまうと貧弱ぶりに、恥ずかしくなった。
「もしよろしければ、俺がお運びしましょうか?」
あまりにも悲惨に映ったのか、そんな提案をしてきた。
運ぶとはおんぶだろうか。少し心が揺らいでしまった自分に、どれだけ疲れているのだと呆れる。
「気持ちがありがたいけど、そんなことをしたらっ……剣持が、大変だ。大丈夫……歩けるっ……はず」
いくら専属騎士とはいっても、そこまで甘えたら駄目だ。だから断ったのだが、何故か残念そうな顔をする。
「俺は平気です。聖様は、羽のように軽いですから」
それは言い過ぎだ。確かに剣持から見れば小さいかもしれないけど、剣持が大きすぎるのだ。俺は普通である。軽いわけない。
でも冗談ではなく本気で言っているみたいで、一も何をやっているんだという目で、こちらを見ていた。
俺がいつも運ばせていると勘違いされる。そんなわがままなことはしない。剣持が盲目すぎるだけだ。
全力で否定したいが、その体力も残っていなかった。
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