第75話 逃げられると思ったか? 名前を与えられるという事はそういう事だ

 登場人物


 六郎&リエラ:付き合いの短い人にすら、「気に食わなければ暴れる」という状況を想像させてしまう、生粋の奇行種。


 トマス:六郎とリエラをクラルヴァインまで連れてきた元凶商人。ここに名前が出るって事は、分かってるよね? あ、逃げた! …………諦めな。そういう運命だ。


 ☆☆☆


 前回までのあらすじ


 路地裏で部下と密会するクロウ。部下を名乗る女性に怒られながらも、暫くはジンや六郎達と行動を共にする事を決める。

 陰謀まみれの中年男性と、奇行種二人をパーティに抱える事となったジン。勇気を出して「チェンジ」と言うことを強くオススメする。


 ☆☆☆





 クラルヴァインの大通りを騒然とさせた事件から数時間後……空が白んできた裏通りを商人トマスは千鳥足で歩いていた。


「……ヒック……チクショウ」


 呟く言葉は誰にも届かない。


 世界有数の交易都市と言えど、夜から朝に切り替わるこの瞬間は人通りも流石に少ない。加えて裏通りともなれば、が立ち並ぶ通り以外は静かなものなのだ。


 空が白んで来たとは言え、陽の光が差しているわけではない。今だ薄暗い裏通りをフラフラ、ヨロヨロと歩くトマス。その顔は薄暗さにあっても分かるほど腫れが目立つひどい有様だ。


「なぁにがギルバート商会だよ……」


 壁に身体を預けたトマスが、重力にその身体を任せるようにズルズルとへたり込んだ。


「バカヤロー……」


 誰もいない路地にトマスの魂の吐露が小さく響いて消えていく。「バカヤロー」と繰り返される吐露と同時に、放り出した手がヒリリと痛み熱を帯びた――


 そちらに目を向けると、怒りに背中を丸めて毛を逆立てトマスを威嚇する猫の姿が。


 野良猫の縄張りなのか、寝ていた猫を起こしてしまったのか。兎も角トマスを威嚇するように身体を大きく見せ唸る猫。


「なぁんだ? 俺とやろうって言うのか?」


 背を曲げ、腫れ上がった顔でガンを飛ばすトマス。酒臭い息を「ぷはぁー」と猫に向けて吐き出しニヤリと笑う。


 ……トマスは


 クラルヴァインに来て、たった二日。あれ程この街で成功すると意気込んでいたものの、が早速潰されてしまったのだ。


 この街で商売をするには、ギルバート商会に話を通しておいた方が無難だと、他の商人に言われ、その日の午後に面会に向かったのだが……


 ――何だお前は? 儂は今機嫌が悪いんだ。


 会った瞬間、「最悪のタイミングに来た」と確信した。どういうわけか、部屋に通された時から額に青筋を浮かべたギルバートに嫌な予感しかしていなかったのだ。


 ……アポがなかったからか? そう思ったものの、ギルバートは新規で商売を始める人間に対してはアポ無しでも会ってくれるという話だった。

 実際に受付もすんなり通してくれたし、そこまでは間違いでは無かったはずだ。


 ……ではなぜ?


 ――全く……この儂の呼び出しを無視するとはいい度胸だ。


 ブツブツ呟くギルバートの言葉で、漸く得心がいった。どうやら何処の誰かは知らないが、ギルバートの呼び出しを無視した猛者がいるようだ。

 そんな人間のせいで、八つ当たりのような状況に陥っている事を恨みたい気持ちでいっぱいだが、その相手が誰か分からないので怒りをぶつけようもない。


 ――きょ、今日は日取りが悪いようで……また後日――


 どうしようもないなら、逃げるに限る。と踵を返そうとしたトマスだが、ギルバートがそれを許してくれるわけもなく。


 ――売上の二割だ。

 ――へ?


 不意に投げかけられた言葉に、理解が追いつかなかった。いや、追いついていたが認める訳にはいかなかった。あまりにも馬鹿げた提案だったからだ。


 ――新規で商売をしたいのであろう? ならば売上の二割を収めろ。それがルールだ。


 苛立たしげに吐き捨てたギルバートに、「勘弁して下さい」と懇願するしか出来ないトマス。

 利益の二割でも無茶苦茶なのに、売上の二割なのだ。

 商品はタダで手に入らない。

 仮に金貨一枚で売れたとして、それの仕入れ値が銀貨五枚であれば、利益は銀貨五枚だ。


 そこから税金、次の買付金、自分の生活費、と捻出しなければならないのに、更に良くわからない上納金を払えという。

 それも売上から。先程の例えだと、銀貨二枚を払うことになる。そうすれば利益は銀貨三枚だ。


 確実に生活など出来るわけがない。


 商人であるギルバートが分からない訳がない。つまりこれは、単純な腹いせだ。

 何とか勘弁してもらおうと、縋る思いでトマスがギルバートの腕を掴んだ瞬間――


 ――貴様、儂に暴力を振るったな?


 下卑た顔で笑うギルバート。その顔とその言葉に、トマスは一気に血の気が引くのを覚えた。


 その後は、絵に書いたようなリンチだ。殴る蹴るの暴行の後に、外へつまみ出されたトマス。力なく立ち上がる彼に手を貸すものなど誰もおらず……それどころか――


 ――衛兵の所に駆け込んでもいいぜ? 死にたいならな。


 殴られすぎて聞き取りにくくなった耳元で囁かれたのは、完全な死刑宣告だった。



 やり場のない怒りを誰にぶつけられるでもなく……。


 アポを無視した輩を恨む気持ちもあるが、それ以上に訳の分からない理屈で上納金をせびり、断れば脅すようなギルバートに腹が立って仕方がなかった。


 どうせ今日機嫌が良かったとしても、遅かれ早かれいつかはボロ雑巾のように捨てられていただろう。


 結局、この街で商売など出来る訳も無かったのだ。


「なに見てんだよ……早く向こうに行かないと、蹴飛ばすぞ」


 自暴自棄になっているものの、無言で猫を蹴飛ばすことはしない善良なトマス。だが猫も退く姿勢を見せない。


「……何だよ。お前まで俺を脅すのか?」


 威嚇を続ける猫に、自分をボコボコにしたゴロツキ達が重なったトマスが、ゆっくりと立ち上がり、猫を睨みつけた。


「どっかに行けよ!」


 大声で叫んだ瞬間――


「そこん御仁。悪いが退いちゃらんね?」


 後ろから、何か聞き覚えがあるような、でも思い出したくないような、独特の喋り口調が聞こえてきた。


「……と、とととと取り込み中なんで」


 振り返らずに答えるトマス。答えた瞬間、なぜ無言で立ち去らなかったのか、と己の馬鹿な行動を悔いたが遅かった。


「取り込み中っちゃ何――おお?」


 不意に掴まれた肩に、ビックリして振り返ったのも拙かった。腫れ上がった顔を、不思議そうに覗き込む魔王六郎に、諦めたように笑いかけるトマス。


「おお! トマス殿どんやねぇか。こげな所で何しよんね?」

「ろ、ロクロー殿。二日ぶりですね」


 ガックリと肩を落としたトマスの耳に――


「ちょっと、ロクロー! ペースが速すぎるわよ!」


 ――六郎の後ろから、もう一人エンカウントしたくない声が飛び込んできた。


「あれ? ロクロー、何してんの?」

「トマス殿どんうての」


 笑う六郎が脇に避けると、その後ろから顔を覗かせたのは少し上気した顔に汗を浮かべたリエラだった。


「トマス……さん?」


 絶世の美少女の額に浮かぶ汗と、血行のよい頬の赤み。知らぬ人間が見たら、それだけで瞳を奪われてしまう程のなまめかしさだが……トマスは知っている。この見た目だけは可憐な少女が、魔王を唯一操れる魔神であるという事を。


「どうしたんですか? その顔?」


 首を傾げる姿ですら絵になる。が、それは人を惑わせる悪魔の囁きと同義なのだ。


「ちょっと、しくじりまして……」


 そこまで言ったトマスの身体を淡い光が包み込む――その光に路地が明るく照らされ、猫が驚いたように逃げていく。


 痛みが引いていく感覚に、トマスが目を白黒させる。恐る恐る頬を触ると、触りなれたいつもの感覚。


「り、リエラ殿? これは――?」


「知らない仲じゃありませんから」


 トマスにはウインクするリエラが、魔神などではなく本当の女神に見えて仕方がない。

 そうだ。思い返せば六郎もリエラも、やる事は無茶苦茶だったが、その行動には一本筋が通っていた。……この際モンスターを呼び寄せたり、野盗のアジトに突っ込んだりした事には目を瞑ろう。


 兎に角……報復自体は常軌を逸していたが、元々通行税のような理不尽がなければ、あんな事にはならなかったのだ。


 そう思うと六郎もリエラも、ギルバートの様な性根からの悪人とは違うのだと思えてならないのだ。


「お二人はこんな時間から何を?」


 この街に来て初めて触れた優しさに、トマスは少しだけ世間話をしたくなっていた。例え相手が常識外れの魔王と魔神であっても。


「ワシらは鍛錬の途中じゃな。毎朝ん日課じゃ」


 笑う六郎はほとんど汗をかいていないが、なるほどリエラ額に浮かぶ玉の様な汗はそのせいなのかとトマスは納得。


「これは、お邪魔してしまいましたね。どうぞ、私の事は気になさらずに――」


 路地の脇へと避け、二人に軽く頭を下げたトマス。善意には善意で返すのが商人の鉄則だ。


 そんなトマスを見た六郎が、小さくため息をつき頭を掻いた。


「リエラ、ちと早ぇが小休止じゃな。向こうん広場で休もうやねぇか」

「それもそうね」


 口を開いた六郎が、トマスの肩に手を置き「トマス殿も一緒にどうじゃ? 水くれぇしか出せんがの」と笑いかけた。


「水を出すのはアタシじゃない!」


 膨れるリエラに、「おうおう、感謝しとるぞ」とその頭を撫でる六郎。


 六郎とリエラが気を使ってくれているのだろう。トマスは熱くなった目頭を抑え、「そうですね、少し飲みすぎましたし」と背を向け歩き出した六郎達にトボトボと続いて歩き出した。


 リエラの回復魔法のお陰か、はたまた傷ついた所を優しくされた気の緩みか……この街にきて初めて触れる人の優しさに、トマスはこの二人が魔王と魔神だということなど既に忘れかけていた。

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