大陸暦1526年――接触者


「まったく。お前はよお」


 ……声が聞こえる。


「あんなにきょどってたら、誰にだって怪しまれるに決まってんだろ」


 ……知らない男の声だ。かろうじて喋っている言葉は分かるが、声が遠くで聞き取りにくい。……いや、遠いのではない。くぐもっているのか。


「ごめんなさい」


 これは……先ほど薬品店で薬を買っていた男性の声だ。

 判別はできるが相変わらず声がはっきりと聞こえない。聴覚に異常があるのだろうか……?

 私は体を動かそうと試みた。しかし、どこからも応答がない。痺れているとも違う。まるで、体が眠っているような感覚……。

 そうか、私は今、眠っているのか。

 それで意識だけが半覚醒していて、だから聴覚もまともに動いていないのだ。


「ほんと俺がたまたま付き合っていなかったら、どうなっていたのか分かってんのか」

「でも……」

「なんだよ」

「こんなことまでしなくても……」

「馬鹿かお前は。あのまま連れて行かれてたら、毒を買っていなくてもやったことにされてたぞ」


 毒――新聞記事でそう書かれているから、それを捜していると思ったのか。

 つまりそう考えるということは、本当に彼は当たりだったのだ。彼こそが犯人だ。ということはもう一人の男はラウネが言っていた共犯者か。


「証拠も、ないのに」

「守備隊も行き詰まってんだ。それぐらいのでっちあげはするさ」


 酷い言いわれようだ。……まあ、守備隊の長い歴史の中で、そのような模造事件が一度もなかったとは言えないが。


「でも……僕は本当に」

「あぁもう、うじうじするな。鬱陶しい。ともかくにも幸い誰にも見られちゃいねぇんだ。だから今後はもうあそこで買うな。俺が裏から買ってやるから」

「でも」

「でもじゃねぇ。お前が捕まったら俺も危ないんだ。それぐらい分かるだろ」

「……うん……」

「ったく。それにしてもこいつ一人で助かったぜ。ふいもつけたし、一人ならおぶっているところを見つかってもなんとでも言い訳つくしな」


 もしかして――私は捜査資料の内容を思い出す。

 死体遺棄現場の近くで怪しい人間の目撃証言は一つもなかった。しかし、その何件かには酔っ払いの男女を見たという人間がいた。そのどれもが酔い潰れたらしい女性を男性がおぶって、声をかけながらふらふらと歩いていたという。

 まさに、それが犯人と被害者だったのではないだろうか。

 酔っ払いを装って、そうやって死体を運んでいたのではないだろうか。

 ありえないことはない。

 遺体の状態は綺麗なのだし、絞殺により鬱血した顔を髪などで隠せば、視界が良好とは言えない夜なら眠っているように見えてもおかしくはない。それにこそこそ運ぶよりは、堂々としていたほうがかえって周りは怪しまないだろう。そうして死後硬直がし終わる前に遺体を遺棄し、被害者に星還葬しょうかんそうのときのように送る姿勢を取らせたのだ。


「この人はどうするの。こ、殺すの」

「当り前だろ。だがすぐには殺さねえ」

「え」

「見てみろ」


 足音が近づく。その直後、暗かった視界が開けた。瞼をこじ開けられたようだ。

 目の前には屈んでいる人間が、そしてその背後には私の顔をのぞき込んでいる人間がいる。体が眠っている所為か視界がぼんやりとしていて、はっきりと二人の顔は見えないが、それでも間違いない。のぞき込んでいるのはあの薬品店で薬を買っていた男性だ。

 彼らの角度からして、どうやら私は少し上を向く体勢で地面に横たわっているらしい。


「これ……もしかして、灰目……?」

「そうだ。上級瘴魔じょうきゅうしょうまの接触者だ。俺も初めて見るぜ」


 手が目から離れる。瞼は反動で少し閉じたが、それでもまだ開いていた。


「知ってるかオリ? どういう仕組みか分かんねえけどよ、こいつらは瘴魔しょうまに深く接触したことでもれなく生殖能力がなくなるんだってよ。それになにかしらの異能――星教せいきょうが言うには祝福か? それにも目覚めるって言うぜ」


 男が言うことは間違っていない。

 私は子供のころ、上級瘴魔じょうきゅうしょうまと接触したことがある。

 この目色と左腕に残っている傷跡は、そのときの名残だ。

 だが、男が言うように私には祝福なんて大層なものはない。

 身体能力は上がったらしいが、元々が平凡な村人だったのだ。著しく秀でているということもない。その証拠にラウネや才能ある人間には勝てないのだ。

 あとは瘴魔しょうまの存在には敏感になったが、その代償とも言うべきか自然体の人間の気配が気取りにくくなった。

 その結果がこれだ。路地に潜んでいた男の存在に気がつかなかった。

 協力者がいることは聞いていたというのに……全く情けない限りだ。


「裏に流せば高く売れるって話もあるぜ。まぁ、俺は売らねぇけど。クソ親父のお陰で金には困ってねぇし」


 そのように言うということは、それなりの資産家か。

 そもそもこの二人の関係はなんなんだ。協力者ではあるのだろうが、友人か。それとも兄弟か。視界がぼやけていて顔が似ているかどうかも判別ができない。

 私は地面に向いている左耳に意識を向ける。そこにはまだ星音しょうおんの感触がある気がする。それならばこいつらの会話はラウネにも筒抜けのはず……いや、どうなんだ。これは一度、起動させたらそのままなのか? それとも私が起きているとか、喋らないと自然と通信が切れるのか? その辺の細かい仕様については私も分からない。

 だとしても私が気を失う前までは確実に聞こえていただろう。


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