『終演』、閉幕

 砂時計が爆散する。激しい爆風に、雫の長い髪とレインコートの裾がはためく。爆風を全身で浴びながら、雫は目を閉じて彼女を想っていた。

(……エンドフェイズさん)

 ここに散った彼女と、いつかの代理戦争の時の彼女は違う。そう悟ってしまった。だけど、と雫は薄く目を開ける。

(できるなら、少しだけ話したかった、です)

 ネガは饒舌な口を持たない。その想いの丈は、魔法を通じて受け取るしかない。わかっていても、そう願わずにはいられなかった。

 世界を滅ぼすほどの情念。それを抱くに至った望みは、なんだったのだろうか。あのときの彼女のそれはおそらく、世界の果てを見定めたいという好奇心。フロンティアで対峙した彼女は、一体何を願っていたのだろう。

 爆風が収まると、雫は一歩、また一歩と歩きだした。空は嘘のように晴れ渡り、鮮やかな朝焼けがミナレットスカイの地平線を照らし出す。太陽を背に受けながら、彼女はエンドフェイズだったものに歩み寄る。

 彼女が太陽を見たのなら、その光は何色だと思うのだろう。そんなことを考えながら、雫はエンドフェイズを構成していた柱の破片を拾い上げる。

「……貴女は」

 問おうとした言葉を、ひとつ飲み込む。それはきっと、今の彼女にかけるべき言葉ではないから。

円環サーキュレーション』を解除し、彼女は柱の残骸をじっと見つめる。どこか祈るようにそれを握りしめ、彼女は静かにその場に跪く。

「どうか、安らかに。……また会えたら、その時はゆっくり話しましょう、ね」


「君もさあ、大概甘いよね」

 背後からかけられた声に、雫は振り返った。彼女のすぐ後ろで、トゥルーヤが足元の砂を拾い上げる。

「僕なら二度と会いたくないけどね、ここまでの脅威。まあ、君は『終演』とそれなりに因縁があったっぽいし、そう思うのも当然っちゃ当然かな」

「……よく言われます」

 雫は薄く微笑み、自嘲するように呟いた。

 トゥルーヤの指の間から、漆黒の砂がさらさらと零れ落ちる。

「今は禁術の影響で、しばらくは術式使えないけどさ……落ち着いたら弔ってあげないとね。あんなにも情念が籠ってたんだ、放っておいたら化けて出かねない」

 言い草の割に、その声色はどこか優しかった。せめて、と雫の隣に跪く。

「貴方も大概甘いじゃないですか」

「べっつに? ただ、君みたいに死者を想う人がいるなら、立場上ほっとけないってだけ。当主様おじいさまと初代様に顔向けできないってだけ」

「……そういうことにしておいてあげますよ」

 裏の雫が一瞬だけ出てきて、すぐに引っ込んだ。


 ◇◇◇


「……終わった、のか……?」

 呟いた瞬間、フェニックスの全身から力が抜けた。纏っていた炎が嘘のように消え、ハーフエルフの姿に戻ってその場に倒れ伏す。勝った。『終演』を、討ち果たした。そんな実感が遅れてじわじわと押し寄せてくる。

 横で同じくらい消耗したカノンもぱたりと倒れた。首だけを動かして見回すと、ガルテアもその場にぐったりと横たわっていた。アルミリアも倒れかけてトゥルーヤに支えられて、その場にそっと横たえられていた。そのままその場を後にするトゥルーヤは、たぶん雫とエンドフェイズの方に向かうのだろう。式神竜は冷静に周辺警戒を始め、ブッコロリンはインベントリから回復ポーションを引っ張り出す。

 皆、笑顔だった。騒ぐほどの気力は誰にもなかったけれど、心地よい疲労感に身を委ねて、あるいはこの事実をただ噛み締めて。勝鬨も歓声もない、静かな勝利だった。


 そんなフェニックスたちのすぐ側で、霧矢の肩を真冬がポンと叩いた。

「……仕事」

「だろうなァ……知ってたわ。こんだけ振り絞ればまァ全員疲労困憊だろーし、大技の代償で大怪我する奴もいるわな……」

 面倒そうな割に大人しく回復に回る霧矢。その表情もどこか晴れやかだ。手始めにその辺に倒れていたカノンから『施療』をかける。

「常務、オイ常務」

「……Huh?」

「俺だけで全員回復すんのめんどくせえ。手伝え」

「…………」

「……オイ常務?」

「……チピチピチャパチャパ……ドゥビドゥビダバダバ……マギコミドゥビドゥビブーンブーンブーン」

「駄目だ、常務ぶっ壊れやがった」

 盛大に息を吐く霧矢。火種を行使し続けた代償か何なのかよくわからないが、カノンは謎のうわごとを呟くばかりだ。霧矢はしばらく考えてから、腕を掴んで強めに『施療』をかけた。

「ふに"ゃっ!?」

「何呆けてんだ常務」

「ふみゃー……『火種ピースサイン』を使い終わったら気が抜けちゃってにゃあ。恥ずかしいところを見せちゃったにゃ……」

「……どういう気の抜け方……?」

 恥ずかしそうに顔を覆うカノンを部下二人は「解せぬ」とでと言いたげに見下ろす。

「ンなことより常務、正気に戻ったンなら他の奴ら治すぞ」

「は、はいにゃんっ」

「つか真冬。テメェもなんか回復とかできねーのかよ」

「……血液の一部を凝固させて止血くらい、なら? でも、やめたほうがいい……加減間違えると、全身の血が固まって、死ぬ」

「だよなァ」

 肩をすくめる霧矢。実際、期待はしていなかった。兵器に回復機能が備わっていてたまるか。フェニックスに『施療』をかけはじめた瞬間、よく通る声が耳を打った。

「みなさーん! ご無事デスかー!」

 ブッコロリンが駆け寄ってくる。両腕に抱えられた回復ポーションの瓶が音を立てる。フェニックスが頭を押さえながら起き上がり、力なく微笑む。

「あー……そうでもない。夜久の援護があったとはいえ、流石に獄炎解放は反動がでかすぎたな。八坂も火種を使いまくった反動でダウンしてたし」

「そ、そのことは忘れてほしいにゃ……」

「ハ、ハイ!」

「常務にゃんはアルミリアちゃんとガルテアちゃんの回復に向かいますにゃ! 霧矢くんたちはこっちの方お願いにゃ!」

「おう」

 脱兎のごとく走っていくカノン。それを見送り、ブッコロリンは一旦ポーションを置いた。

「さて、ボクは兵軍本部に討伐完了の連絡を入れマスね!」


 ◇◇◇


 不意に視界に猫耳が映りこんで、アルミリアはゆっくりと目の焦点を彼女に合わせる。

「……八坂殿?」

「おつかれさまでしたにゃ。なんか、いろいろ大変だったみたいにゃんね」

 カノンの温かい手が、アルミリアの手を握る。アディショナルゲノム『施療グレイ』。彼女の手を介して、アルミリアの身体に活力が戻ってくる。起き上がると、すぐ側で人化したガルテアが優しい笑顔で見守ってくれていた。

「アルミリアさん、本当にお疲れさまでした……! 病み上がりであそこまで頑張ってて、私、すごく尊敬しました! これが一所懸命ってやつなんでしょうか? とにかく、私も頑張らないとって……!」

「大袈裟だな」

「いやいや、あの時のアルミリアさんの鼓舞で皆、最後に頑張れたんだと思うにゃ! 流石団長さんですにゃっ」

「……成すべきことを成しただけだ」

 ふっと視線を外し、アルミリアは『終演』が居た場所に視線を投げる。眩しい朝日を浴びて、雫がどこか祈るように跪いている。

「称えるべきは彼女だろう。『終演』を打ち倒せたのは、あの娘の想いがあったからこそだ」

 彼女の想いを軸に、十の力が結集して、『終演』を打ち砕くに至ったのだ。アルミリアは雫の後ろ姿をしばし見つめ、視線を自身の手へと落とす。

 償えた、だろうか。ネガなる怪物に堕ち、仲間に杖を向けたこの罪を。その表情にカノンは何を重ねたのか、柔らかく微笑んだ。

「何があったかはよくわかんないにゃんけど……きっと大丈夫にゃん」

 その視線の先で、雫が立ち上がる。側に佇んでいたトゥルーヤと何か言葉を交わし、そしてカノンたちの方に戻ってくる。後方からはフェニックスたちが歩み寄ってきているらしく、賑やかな声が近づいてきていた。アルミリアはどこか惚けたような目で前を見て、後ろを見て、仲間たちを見つめて、小さく微笑む。

「そうか、そうかもな」

 立ち上がり、片手を掲げる。哨戒を続けていた式神竜が急旋回して舞い降りる。それぞれに集ってくる仲間たちを見回し、彼女は宣言した。

「──さあ、凱旋しよう」



『終演』、閉幕。

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