第20話 剪定




 ティルノグの中央部吹き抜けを通って、ユークがレトリアの迎えに上がる。

 上層から下層にまで突き抜けて滝のようにぶら下がっている白い花が、真冬の淡い日差しと戯れて各フロアに木漏れ日を落としている。優しげな間接照明と合わさって、どこにも暗い場所はなく、眩しすぎる場所もない。花と緑と光の楽園が広がっていた。

 すぐ真下のフロアを、助祭になりたての初々しい少女二人が歩く。誰もいないと思ってか、大きな私語が響き渡る。


「ねえ見てよこれ」

「ドライフラワー?きれい~」

「これ何の花だと思う?この前の剪定後の掃除で落ちてたレトリア様のお花!」

「ええっ!?」

「一輪だけ綺麗に壁に張り付いたままになってたから、ユーク様に地上に持って帰ってもいいですかって質問したの」

「何あんたユーク様と会話したの!?ずるーい!」

「もちろん一対一じゃなくて掃除の全員集合のときだってば!それでご許可頂いたからドライフラワーにしちゃった。カラクタ避けのお守りになると思って」

「いいね!あー、早くラトーなんていなくなればいいのに。それか、レトリア様みたいにカラクタにならない身体!」

「どっちもハダプ破んなきゃ叶わぬ夢だし、エンデエルデと軍は本当早くしてほしいよねー」

「ねー。司祭様は憧れだけど、軍学校じゃなくて修道院に入って良かったのか未だに迷うわ……司祭になれるのなんてほんの一握りだし、戦ってる間はカラクタなんて忘れられるって聞くし」

「きつい訓練か、きつい修行か……うむむむむむ」


「……」

 話の内容とは裏腹に明るく軽やかな助祭たちの雑談を聞いて、ユークは思わず立ち止まって考え込みそうになった。が、首を振って歩を速めた。



 ティルノグ最後部の甲板にレトリアが降り立った。鎧は解かれ、格納庫の中に飛んで帰っていく。

「お帰りなさいませレトリア様」

「……」

「剪定の準備できております、こちらへ」

「……迎えなんていらない、と何度言えば分かる」

 先導しようと背を向けるユークに、レトリアは冷たい声を飛ばす。

「……私も本当に聞くべきことと、聞かなくてもよいことの区別ができるようになってきました」

「戯れ言を」





 ティルノグ最深部、窓のない高い天井、青白い照明が巨大な水槽の中と足元のみを照らす剪定室。


 ワンピース姿のままのレトリアが、空っぽの水槽に浸かっている。


 剪定における司祭や助祭たちの仕事は、散らかった花の掃除のみである。誰も剪定の瞬間を見ることは許されていない。

 たまに、偽の剪定を公開することはある。レトリアの手や背中から、音もなくふわふわと広がる無害な花の群れをすっかり信じ込んだリリカに「フラルと違って消えずにずっと残るの!?もう一回やって!もう一回!」とせがまれるのは面倒だったが。

「アタシは疑り深いんだからね!」と騒ぐ者ほど、満足できる真実を作ってやればそこに籠っておとなしくなる。


(真実なんて、この国のどこにもないのに)


 水槽を見下ろす高所に据え付けられた制御装置から、レトリアに聞こえないように心の中でユークはぼやく。

 その顔は整った無表情のままだが、瞳は真っ暗に沈んでいた。

 だが剪定が終わって部屋から出れば、また司祭たちに朗らかに微笑みかけるだろう。また国民たちを力強く鼓舞し、勝利のための団結を呼びかけるだろう。

 神樹の守り手オンリン一族唯一の生き残りとして。

 神樹の力を宿した、人の身でありながらレトリアの次に神に近い者として。


 自分にできることは、求められているのは、真実ではないから。


「──始めろ」

 水槽の中のレトリアが告げる。

 沈む気持ちを切り替えて、ユークはレバーを引いた。

 アムリタが流れ出して、レトリアのいる水槽を満たしていく。

 胸の位置まで水位が来ると、無数のカラクタの花々が、たちまちレトリアの背中を突き破って咲いた。

「……!」

 人間よりちょっと涼しい顔が得意なだけの人形、そのうつむいた額から汗が一筋流れた。


 人間の身体は知らない。人間の身体では耐えられない。

 カラクタの種子の苦痛のその先に、さらに満開の花が咲くことを。


 レトリアの身体中を引き裂いて、次から次へと花が飛び出してくる。

 背中は割れ、腹は裂け、両目は潰れて骨は折れ、肉も皮膚も千切れていく。顔だった部分はバラバラになってもはや汗のかきようもない。唇も消えて苦悶の声が出ることもない。白銀だった長髪はカラフルな多種多様な花の苗床になった。手足と胴が千切れて肉塊が飛び散り、さらにその肉塊から花が生えてまたどこまでも細かく肉片が千切れていく。

 柔らかい肉が潰されながら水に沈むくぐもった音と、花と肉と花、葉と葉と肉が擦れ合うざらざらとした音の大合唱が続いた。

 無色透明な体液が遠くの壁にまで飛んで、一際巨大な花がべったりと張りつく。

 水槽と床一面に色んなカラクタの、色んな花が咲き広がった。

 小さな身体の体積を無視した膨大な量の花だが、もはやレトリアだったものは茎に押し潰されて水槽の底に沈んでいた。


 やがて、押し潰されていた肉片と、その一番近くにある肉片が寄り集まるようになった。欠片同士がくっついて、再生が始まる。肉が揃い、骨は繋がり皮膚と髪が生え、空っぽの眼窩も瞼を一回閉じてから開くと真っ赤な両目が戻ってきた。


 全身過不足なく元に戻ったことを確認すると、吐き出し終えたカラクタの花を見向きもせずに、タオルを羽織ってレトリアは水槽を後にした。



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