第16話 演習 開幕




『嘘じゃないよ、本当に見たんだよ。石のお魚が泳いでた。そいつ、目がなかった』


                    ──今は海に沈んだ大陸の少年の言葉




 ラプセル最北都市スモアで駅を降りる。一面銀世界で雪かきフラル常時稼働のプラットホームすら、忙しなく雪が積もりつつある。これより北には礼拝堂も聖堂もない。


「寒い寒い寒い! 無理無理無理!」


 ツンドラ気候の真冬は草木も生えない。スモアの建築物は植物の代わりと言わんばかりに、モザイクタイルで鮮やかに彩られている。遭難者が遠くでも街を見つけられるようにという昔からの慣習だ。

 日照時間の短さを誤魔化すための黄色と極彩色のホテルが今回の宿泊先だ。

 一番安い部屋でも正直かなり値が張るが、これからの大仕事は英気を養わないとやってられない。

 同行の一人であるクラさんも「本当に大丈夫かい?」と不安そうだったが天井から垂れ下がる紅のカーテンの下で、血も滴るステーキを頬張るや否や心配なんて消しとんで上機嫌になった。

 格上のホテルに泊まるのは何も見栄や英気のためだけではない。

 富裕層を観察するいい機会だった。


 食事中はさして面白いことも起きなかったが、部屋に帰ろうと廊下に出ると奥のVIPルームの前で話し込んでいる如何にも上流階級らしき連中が目に入った。

 ここぞとばかりに植木鉢に隠れて聞き耳を立てる。



 一番若い、といっても俺と同年代ぐらいの男性が恭しく頭を下げている。

「ポソネム・フラウシュトラスと申します」

「ポソネム氏はスタンツ様の甥御様であらせられて、エンデエルデの設計責任者の一人を務められております。例の事故のリカバリーや修復設計も、彼が担当されたんですよ」

「まあ!お若いのに大変優秀でいらっしゃる」

「フラウシュトラス家の方とこうしてお話できるなんて大変光栄です」


 例の事故、ねえ……。




  〇 〇 〇




「エンジン部清掃完了!」


「ドラッグシュート点検完了!」


 整備員のきびきびとした応答が響き渡る灰色の格納庫。その中で異彩を放つ漆黒の戦闘機TMR-1。普段は漆黒だが光学迷彩機能を有しており、随時自動で周囲の色に染まりゆく。その機能も、エイの如きシルエットののっぺりと伸びた翼も左右に分かれた二枚の垂直尾翼も、最大限に搭載された長射程兵装も、ラムノは搭乗訓練やシミュレーションで何度も確認してきた。

 しかし負傷を挟んで、実際に会うのは随分久しぶりになってしまった。

 その影の下に入り込みたい衝動をぐっと堪えて、整備員たちの邪魔にならない距離からラムノは視界いっぱいにその黒を目に焼き付ける。


 “時を駆ける星”─略称TMR-1。

 大層な名前を付けられたこの生まれたての夜空の如き新戦闘機は、しかし宇宙には行けない。


 陸海空軍の中から厳正な審査で選ばれた航空宇宙隊のメンバーの中に、

 ラムノの名前はなかった。










「キャー、スノータス様ー!! こっち向いてくださーい!」

「キャー、プフシュリテ様ご復活おめでとうございますー!! 今年もお麗しいですー!」

「スノータスー! 今度の演習こそそんな田舎女けちょんけちょんにしてぶっちぎりで行くのよー! このリリカがついてるからー!!」


「……」

「ハニーたちー! いつもありがとー!」

「キャアアアアアアア!!」

未だに要領が分からないままぼんやりと手を振るラムノと、投げキッスを返すアランに会場中の黄色い声が嵐となって吹き荒れた。


「あ~まーたいつものバカ騒ぎだ……この大事においてまだサフラスボケが治ってないってのかよ」

 頭を抱えて嘆くマックスの肩をアランが軽く叩く。

「まあまあ、これも演習のうちさ。国民の期待を背負い、それに応えてみせる。僕らは武器であると同時に皆の不安を癒す薬なんだ」

「……俺はお前が朝時間通りに起きれるようになることが何よりの薬でございますけどね、大佐」


 一般国民が入れる見学会場エリアを経由して、将校、士官、兵たちは演習場に入っていく。



「全員、気をつけ!」

 スモア演習場に空軍大将モネネムの号令がこだまする。


 前方正面、快晴を貫く雄大なエンデエルデの加速器部分と砲身。

 西海岸、改修を重ねて機能を拡張したフラル融合炉搭載型空母『ゾ・ラプセル』(第二のラプセル)と、『フラペスト・バウチャー』(空を埋め尽くす花)の艦橋と第一甲板が、冬の荒波にも動じず悠々と陸海空の兵士たちを見守る。

 アルヴァ・ゲート──神樹のモノリスを模した、地面から斜めに展開する空中滑走路が、折り畳まれた状態でも巨大すぎる斧の形でその存在を主張していた。


 戦艦や巡洋艦、駆逐艦も数隻停泊しているが、空母と比べると存在感が霞んでしまっている。地や海の戦いは消え、空だけが残った。

 対地、対潜装備は最低限残されてはいるが、予算の大部分は対空装備に回されていた。砲塔や対空機銃ばかりがごてごてと目立っている。


 演習期間は十日間に渡る大規模なものだが、全員が全員フルで参加する訳ではない。

 下士官や一般兵士には、自分の参加する演習が終わればすぐに基地にトンボ帰りする者も多い。

 それでもほとんどは一週間以上の滞在になるため、国防やラトー警備に穴が空くことがないように各地域最低限の戦力を維持できるように厳密なスケジュール調整がなされた。

 ラムノは演習前半の五日間をエースパイロットとして、後半の五日間を作戦司令官としてフルで勤め上げる。


 巨大ラトーの大襲撃を想定した今演習は、単なる火力の高さだけではなく如何にしてエンデエルデを守りながら戦うかが問われた。

 陸軍による地対空ミサイル発射演習は綿密な弾道シミュレーションの元、エンデエルデに爆風が及ばないギリギリまで攻めることに成功した。

 それから山間部の兵站・衛生訓練、コンテナ陸路輸送、通信設備設置。それらの動きをラトーに気取られないための妨害電波発信等の偽装工作。


 海軍は遠洋と近洋、そして空軍との共同空中戦の三パターンが実施された。

 空母と陸上それぞれのアルヴァ・ゲートから戦闘機が飛び立ち上空で合流、編隊飛行する。


 巨大ラトーには数で攻めるのが正攻法だった。初回は不覚を取られたが、ラムノの戦闘データが元となり、普通のミサイルで気を逸らしている間にフラルリンクミサイルを真っすぐコアまで叩き込む戦法が確立されつつある。

 壁の如く立ちはだかり、触手の部分を伸ばして妨害してくる連結ドローンの動きにも自信を持って追いつけるようになった。

 

 二度の失敗はない。ラムノもそう思えた。



 しかし演習五日目の朝。空軍中将スファネルの口から、驚くべき発表がなされた。


「えー本日最初は四機編隊飛行による少数戦闘訓練の予定であったが、急遽レトリア様がここスモアに降り立ち十分だけ訓練に参加してくださることになった!」


 途端に平原一帯の兵士や士官たちがざわめき出す。





 それを通信ハッキングで盗み見るリリカは不満たらたらに頬を膨らます。レトリアの演習参加は一般にも配信されない極秘中の極秘だった。

「何よ皆してレトリアレトリアって……この世で一番偉いのは、アタシと、アタシのお父様お母様なのに!」


 レトリア・フラウシュトラス。

 花から生まれた神の人形。


 フラウシュトラス家には、聖典とともに代々伝わる家宝の人形があった。

 決して動かない喋らない、ただ精巧で緻密なよく出来ただけの人形が世界──ラプセルを救うのだと聖典には書かれていた。

 そして十年前、奇跡は起きた。預言通りに。


 ラトーに襲撃され、人形が保管されていた宝物庫も海に沈んだ。

 しかしそのとき、天をも貫く光の柱が巻き起こり、海底から突然巨大な花が茎を伸ばして空にまで伸びた。


 中から現われたのは現代の文明では想像もつかないような二枚貝のフォルムの浮遊要塞ティルノグと、昨日まで眠っていたはずの人形が一人だった。





『リリカ、またレトリア様に失礼な口をきいたんですって? だめじゃない、ちゃんと謝った?』

『だってお母様……レトリアの方が失礼なんだもん! フラウシュトラス家のパーティーなんか行かない、だなんて! レトリアはフラウシュトラス家のものなのに! レトリアをずっと守ってきたのはフラウシュトラス家なのに! 恩知らずよ!』


『そうか……でもな、リリカ。確かに代々聖典と人形を守ってきたのはフラウシュトラス家なんだけど、そこに宿ったレトリア様は神様なんだ。器と魂は別物なんだよ』

『ほらお父様だってこう言ってる! やっぱりレトリアは神様のフリした人形よ。お父様とお母様だってそれを暴くために海底の研究をしてるんでしょ?』


『リリカ、そんな乱暴な言葉遣いをしちゃダメ。私たち二人は真実を知りたいの。私たち人類がどこから来てどこへ行くのか……私たちを守ってくれる神樹や花の歴史はいつ、どのように始まったのか……。戦争でバラバラになってしまったピースを一つずつ取り戻して、パズルを完成させていく。暴くなんてとんでもない、むしろ直していくお仕事なんだから』

『お母様、本当好きよねその言い回し。だったらアタシが一番好きなあのピースのお話してよ! 地下迷宮の一番下にあったお花畑!』

『はいはい』


「お母様……」



 リリカの母、マリヒ・フラウシュトラスが乗った小型潜水艦が事故に遭ったのは二年前の春。

 その日はリリカの八歳の誕生日前日だった。


 ブラックボックスに残っていた記録によると艦長がカラクタを発症し、副艦長が緊急時のマニュアル通り操作を受け継ぐも、その僅かな間に水温差による猛烈な水中内部波が発生。艦首を破損してコントロールを失い、海底に沈んだ。

 引き揚げられた潜水艦は原形を留めておらず、惨憺たる有様だったという。



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