第38話 午後のティータイム

 ずず、と目の前でマキ論が音をたててすすっているのは、白湯だ。

 紅茶にぴったりの、アンティークな雰囲気のカップ&ソーサーなのに、中身は白湯。ガーネットみたいな紅茶を透かしたらきっと映えるだろうに、しつこいけど、白湯。

 マキ論の隣に座る舞火が用意した飲み物だ。

 カップを握るのは指の残った右手だ。施設についてすぐに処置し直された左手は、指をつなげるのは諦めたらしく清潔な包帯に巻き直されただけだ。

 

 あたしとアッキちゃんも、二人の向かいに座ってかしこまっている。

 座面がふかふかすぎる猫脚の椅子は、座り慣れなくて落ち着かない。

 あたしたちの目の前にも、同じく高そうなカップがある。

 アッキちゃんは白湯、あたしは紅茶だ。

 あたしにもはじめは白湯を出されたけれど、紅茶に変えさせた。


「いいのか? なにか混入されていても、わかりにくいぞ」


 マキ論の問いに、アッキちゃんもこくこくと頷いた。

 それを押し切って淹れさせた紅茶に、あたしはまだ手をつけていない。

 

 真っ白なレースのテーブルクロスと、テーブルの真ん中に飾られたピンクのバラ。

 カーペットは深いグリーン色で、金色の草花の模様が曼荼羅っぽく描かれている。

 マキ論の背後の出窓には、フリルで縁取られた、くすんだピンク色のドレープカーテンがかかっている。

 

 ――セーマン派の本部施設は、挙式場だった。

 

「なんていうか、もっと神社的なところを想像してたんだけど」


 遠慮なく部屋を見渡しながら、なかばひとりごとみたいに呟いた。


「広い施設を維持できて、普段は立ち入ることもなくて、開店休業状態でも不自然じゃない。広告を出さなければ、こんな不便なところにある挙式場で式をあげようってヤツもいないしな。……ところで、飲まないのか?」


 あたし達が揃って黙っていると、マキ論は楽しそうに白湯を飲み干した。

 

「まあいい。そろそろ冷めた頃合いだ。ぶっかけられても火傷の心配はない」


 そう言ってマキ論が語った戴天との過去の話は、予想はしていたけど胸くそ悪いものだった。

 

 

 

 マキ論――真希波まきなの父親は、セーマンの有能な術師だった。彼の術は完璧だったが、トモカヅキと黄泉返り人との相性が合わず術が失敗する、ということが続いていた。

 その父に、詞子のりこと鳥子の姉妹を買うように勧めたのは小学生のころのマキ論だった。

 同じクラスにいた、いつも汚い子供。それが戴天――詞子だった。

 好奇心から戴天のあとをつけて家を探りあてたマキ論と級友たちは、戴天の家を見て笑ったという。


「あばら家だったよ。外から棒で支えているような、な。タイムスリップでもしたのかと思った! 外に穴が掘ってあってな、ドブ臭かったな。そこがトイレだったわけだ! ハハ!」


 そう思い出を語るマキ論は、しんから楽しげだった。

 

「だがな、清潔にしたら見られるようになると思った。……私の審美眼はなかなかのものだというのは、戴天を見たら分かるだろう? そして何より素晴らしいのは、妹がいたことだ。一つ下の妹も、戴天とはまた違った美形だった。同じく臭かったがな。アハハ!」

 

 当時のマキ論は『儀式』について詳しくは知らなかった。ただが必要だということだけは分かっていた。

 マキ論は父親にたずねたという。

 儀式は血の繋がった姉妹でも出来るのかを。

「調べてみよう」と言った父親は、三日間忙しそうにしていた。

 四日目の早朝、自室で眠るマキ論をゆり起こして彼は叫んだ。


「出来るぞ! 姉妹はどこだ!」


 彼のやつれた顔のなかで目だけがギラギラしていたという。


「だから、戴天を推薦したのだ。あそこの子どもなら金で引き取れるぞ、と」


 パシャ! と水の音がした。

 

「最低……」


 あたしの隣で、アッキちゃんがカップを手に持って、立ち上がっている。マキ論にカップの中身をぶちまけたのだ。

 白湯はすっかりぬるま湯に変わっていて、マキ論を濡らすだけだった。

 舞火がアッキちゃんを睨みつけながら立ち上がり、慌ただしく部屋を出ていく。

 あたしも、イヤな話を聞いたと思った。聞かなければよかった。アッキちゃんが戴天に同情心を起こさないとも限らないから。


「ほんとうに、最低な話」

 

 ため息とともに、カップの持ち手に指をかける。カップの模様をみつめながら持ち上げる。

 指の力をゆるめると、カップがあたしの指から抜け落ちる。カップがテーブルの上に転がり、紅茶のしみが、真っ白なクロスに広がっていく。

 陶器で怪我をしたくないから、ソーサーにはぶつからない位置に落とした。


 ちょうどタオルを持った舞火が部屋に戻ってきたところだった。

 そのタオルを受け取りながら、マキ論が言う。


「わざと落としたな。何のつもりだ」


「別に。真っ白なクロスにむかついただけ。それとも紅茶もぶっかけられたかった?」


 フン、と鼻を鳴らしたマキ論は、クロスを漂白しておくよう舞火に伝えてから席を立った。

 

「貴様らの部屋を案内しよう。逃げられると思うなよ。来い」


 顎で合図されて、あたし達は立ち上がる。

 蛍光灯の真っ平らな光が照らす、赤い絨毯の廊下を歩く。

 知らない建物の匂い、紅茶の匂い、あたしの入院着についたままの血の匂い。そんな匂いに混じってアッキちゃんからガラムの甘い匂いが漂ってくる。


「そういえば、ずっと吸ってないんじゃない? 煙草」

「禁煙車だから吸えてないね。いい加減すいたい」

「だって。マキ論、あたし達の部屋は禁煙?」


 前を歩くマキ論に問いかけると、迷惑至極めいわくしごくって顔をして振り向かれた。


「当たり前だ。言っておくが、部屋の壁やカーテンにヤニを付着させようものなら、ケツからチューブで海水を飲ませてやるからな」


「ハ〜……思い出したら吸いたさが極まってきた。マキ論は嫌煙過激派だから、期待してなかったけどね……」

 

 アッキちゃんがポケットの中で煙草の箱をいじりながら、残念そうに呟く。

 

「じゃあ喫煙所に案内してよ。儀式に協力しようっていうんだから、そのくらいの配慮はしてもらわなきゃ」

 

 マキ論が階段に足をかけたところで、訴えてやる。

 室内に喫煙所があるとしたら、きっと建物の端っこ。もしくは、外。

 建物内で勝手に吸われたくないらしいマキ論は、しぶしぶ階段にかけた足を下ろした。

 



 

「……戴天は追ってくると思う?」


 そう小声で、アッキちゃんに訊ねた。

 建物の裏口に案内されたあたし達は、窓の内側からマキ論に見張られながらしゃがみ込んでる。

 アッキちゃんの副流煙を浴びるのは、なんだかすごく久しぶりって感じがする。


「追うだろうね。舞火が車を出して山を下りはじめたあたりで、再生は終わっていたと思う。それにあたし達が本部に居るっていうのも、想像はつく」

 

 灰を落としながら、遠い目をしてアッキちゃんが言った。

 

「戴天はマキ論と対立してるうえに、ポチのかたきにもなったんだもんね。まあ、ポチはあたし達が殺したようなもんだけど」


「もえ、今なにを考えてるの? 考える時間が欲しくて、あたしの煙草を利用したんじゃないの?」


「いやあ、大層なことは、なにも。時間が欲しかったのはそうなんだけど、考えるっていうよりは、待つ時間かなあ」


「戴天を?」


 フィルターぎりぎりまで火種が迫る煙草を挟んだ指を、くねくねさせながらアッキちゃんが言う。

 頭の上の窓を叩く音がする。マキ論がしびれを切らして、内側から叩いているのだ。


「熱いでしょ、消していいよ。仕方ない、部屋に連行されよう」

 

 アッキちゃんの手をつかんで、コンクリート敷の犬走りに先をこすりつけさせた。

 ざらついたコンクリートの表面で、あたし達は指先を擦りむく。

 アッキちゃんの傷だけが、すぐに消えた。

 立ち上がって、自分の指の傷を日に透かしてみる。その向こうに十字架を掲げた三角屋根の先っぽが見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る